21.変わった未来

 ベッドに腰かける私の髪をルティアが梳かす。鼻歌まで歌って、とても上機嫌だ。


 こんなに嬉しそうなルティアを見るのは久しぶりだ。それに釣られて、私も嬉しくなって口角が上がる。


「あら? マナが笑ったわ。何か良いことでもあった?」

「ルティア様が嬉しそうにしていたので、私も嬉しくなったんです。気持ちが軽くなったのかなって思って……。ずっと、心配していたんです」

「ふふっ、マナったら……嬉しいこと言っちゃって。私の態度でそんなにマナが嬉しくなるんだったら、どんな態度でもいられるわ。ずっと、嬉しそうにしていたらいい?」

「いえ、流石にずっとは無理じゃ……」

「そんなことないわよ。マナが喜んでくれるなら、私はいつだって嬉しい顔をするわ。どんな時でもね……」


 以前のルティアに戻ったのかな? と、思っていても感情の重さは変わらなかった。肝心なそこも軽くなって欲しいのだけれど、やっぱりすぐには無理そうだ。


 でも、嬉しそうにしてくれるのは私も嬉しい。その笑顔を見ると心が温かくなるし、優しくされると寄りかかりたくなる。ルティアがいるだけで、こんなにも感情が揺り動かされる。


 ルティアの指先が、丁寧に、まるで壊れものを扱うみたいに私の髪を梳いていく。絡まった毛先を見つければ、無理に引かず、そっと解いてから撫でる。指の動き一つひとつに、慈しむような温度があった。


 ……こんなに優しくしてくれるのは。きっと、私を見ているからじゃない。死んだ妹――ナディアを、私に重ねているから。


 そう思えば、すべてが腑に落ちる。過保護なほどの気遣いも、どこか必死な笑顔も、私の些細な変化に一喜一憂する態度も。あれは私に向けられているというより、失った誰かをもう二度と手放さないための手つきに近い。


 それだけ、ルティアはナディアのことを想っているのだろう。きっと、とても妹思いだったのだ。……優しい人だな、と思う。


 同時に、胸の奥が、ちくりと痛んだ。小さな針で刺されたみたいな、でも確かに無視できない痛み。今まで感じたことのない種類のものだった。


 これは、なんだろう。寂しいのとは少し違う。悲しいわけでもない。怒っているわけでもないのに、胸の奥にどろりとした何かが溜まっていく。


 私を見てほしい。そんな声が、喉の奥でかすかに震えた気がして、はっとする。違う。そんなこと、思うはずがない。


 ルティアが誰を想っていようと、私に優しくしてくれる事実は変わらない。それで十分じゃないか。私は救われているし、温かいし、幸せだ。


 それなのに。ナディアという名前が心に浮かぶたび、私は代わりなのだと突きつけられる気がしてしまう。


 代わりでもいい、と思っていたはずなのに。その役割で、ルティアの心が少しでも軽くなるなら、それでいいと本気で思っていたのに。


 どうしてこんなに、胸がざわつくのだろう。ブラシが止まり、ルティアの指が私の頬にそっと触れた。


「どうしたの、マナ? 少し、顔色が……」

「い、いえ。なんでもありません」


 慌てて笑う。いつも通りの、少し照れたような笑顔を作る。そうだ。余計なことは考えなくていい。この痛みの正体なんて、知らなくていい。


 きっと、考えれば考えるほど、良くない方向へ進んでしまう。今はまだ、触れてはいけない感情だ。だったら、蓋をしてしまえばいい。


 胸の奥に浮かび上がってくる、黒くて粘ついたものを、ぎゅっと押し込める。見ないふりをする。気づかなかったことにする。


 私は前を向くと決めたのだから。


 ルティアに救われて、ここまで来た。なら、私はいつも通り、明るく、前向きでいなきゃいけない。彼女の負担にならないように。余計な心配をかけないように。


「ルティア様」

「なぁに?」

「今日も……ありがとうございます。私、すごく幸せです」


 嘘じゃない。本当に、幸せだ。ただ、その奥底に沈んでいる感情から、目を逸らしているだけ。


 ルティアは目を細めて、私の頭を優しく抱き寄せた。


「マナが幸せなら、それでいいの」


 その言葉が、甘く胸に溶けていく。……それでいい。それでいいはずだ。


 私は目を閉じる。温もりに身を預けながら、胸の奥に生まれた小さな痛みを、さらに深く、深く押し込めた。


 きっと、その方がいい。前向きでいよう。私は、私の役目を果たすだけなのだから。


 ◇


「あの……今日も、ですか?」


 ベッドの脇で立ちつくす。視線を上げると、ベッドの上でルティアが微笑みを向けている。


「えぇ。一緒に寝ましょう?」

「でも、もう暗殺者は来ませんよね? 別に一緒に寝なくてもいいと思うんですが……」


 暗殺者らしきメイドを排除したから、もう殺される心配はなくなった。それなのに、ルティアは私をベッドに誘う。


 不思議そうにしていると、ルティアの微笑みがいっそう深くなる。


「なんだか、さっきのマナが不安そうにしていたから……一緒にいてあげたくなったの。マナの気持ちが落ち着くまで、ずっと一緒に寝てあげるわ」


 その言葉にドキッとした。だけど、すぐに気持ちが温かくなる。ルティアが自分の事を思ってくれたようで、むずかゆい感じだ。


「だから、マナ……おいで。不安な心を癒してあげるわ」

「……はい」


 その誘いにあらがえず、ゆっくりとベッドに上がる。そして、横になると優しく布団をかけられた。


「マナが寝付くまで、ずっと見ていてあげる。だから、安心して眠って」

「ありがとうございます」

「いいの。マナの幸せは私の幸せでもあるから。ずっと、笑って欲しい」


 そう言って、優しく頭を撫でてくれる。その感触だけで、すぐに寝入ってしまいそうだ。


 スッと目を閉じた時――部屋の扉が勝手に開いた。驚いて体を起き上がらせると、月明かりに照らされてその姿が露わになる。


「そ、そんな……」


 そこにいたのは、何度もみた暗殺者の姿だった。

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