あの日、人類は再生細胞を開発した。
死者さえ蘇らせるというその細胞により、人類は死を超越できるかもしれない。
死を超えた先で、人類はもはや人類ではなくなる。進化し、昇華し、新たな種へと変容する。
しかし、それを使うには代償が伴う。
“命”を持つ細胞には、自我の意識が存在する。
それと一体化すれば、“宿主”たる自我の意識は保ちにくくなるかもしれない。
ならば、それによって蘇った自分は、果たして“元の自分”なのか?
そして、元来自我を持つ細胞にとって、果たしてこの形で生命を継続することが本意なのか?
この新たな再生技術は、精神と倫理のレベルへと昇っていく。
技術はもはや、単なる技術ではない。
技術を研究する者にとって、これは学問の壁を越える課題だ。
“精神の核” すら取り換えられたテセウスの船は、なお、テセウスの船と呼べるのか?