第四駒 朝の月に。
翌日の朝。なにも変わらず、仕事へ行くために朝早くに起きる。そして気付く、もうあの会社には居ないことを。
癖になっている。あの会社が倒産した後、何度も職場を転々としてきた。そこの何処にも良い所なんてのはなく、理不尽に怒られてきた。
だから、いつの日も、暖かく出迎えてくれたあの会社を、思い出してしまう。
いつもの
「起きたか。早くその薄ら開いた目を完全に開けろ、朝だぞ」
——そう、きっとこいつがいるから。
こいつの羽から、微かだが確実に、太陽の匂いがするのを知っている。天界にいるっていうなら、太陽に近い位置にあるというのなら、この落ち着く香りが漂うのも分かる。
「……ん。ガチでまだいるじゃん……。おはよう、エリス」
「まだ疑っておったのか、空から突き落としてやるぞ」
「悪かったって。――本当に寝なくて良かったわけ?」
ベッドからは少し遠い位置、昨日と同じ椅子の上。本棚から勝手に取ったであろう本達を机の上に山積みにしているのが見える。今も尚、読みかけの本を開いた状態で、こちらに顔だけを向けている。
「問題ない。天使に人間の三大欲求は適応されない。出来ないことも、ないだろうが」
「別にベッドで寝てくれてよかったんだぞ、俺床で寝るし」
「ふん、何を言う。床で寝れば体を痛めるであろう。して貴様は今日面接だと言っておった」
「体の痛い状況で仕事まがいなことなどしていたら、余計死にたくなるであろうが。大人しく己のベッドで寝ておれ」
これがこいつなりの優しさなのかもしれないと、密かに思っていた。本人にそう言えば、きっと「仕事だからな」の一言で片付けられるだろうけど。
平常心を保っているように見えるが、これでも昨日のことが夢じゃないのだと驚いている。今すぐにでも頬をつねりたいくらい。
昨日の夜はというと、その後もしつこく事実確認をした。ちょっとやそっとで、天使が目の前に舞い降りました。なんて、やっぱり信じられるわけがなかった。
流石に何度も聞き過ぎて――。
「何度も言わせるなと、聞こえなかったのか?」
「天使だからと舐めるなよ。元来悪魔より天使の方が厳しい性格なのだ。人間一人堕とすことぐらい、容易いぞ」
――と、俺の肩踏んづけながら言われもした。
その時初めて、筋トレしてて良かった、なんて思えた。羽があるから軽いなんてことはなく、ちゃんと痛かったしちゃんと重い。しかもその時のエリスはヒールを履いていた。どこから出したかもわからない、結構高さのある白のピンヒールで。――いや、底は黒だったな。
ともかく、その後のぐりぐりと言われれば、痛いなんてものじゃない。成人男性の体重に力に。猛獣に噛まれでもした方がましなほどだった。
そしてその時のエリスは、最初の窓に腰をかけていた時より威圧感があって、流石にもう聞けなくなった。
それでも、朝を迎えた今でさえ信じられていないのも無理はないと思う。何故なら――朝に月を前にしているのだから。
その後だ、俺にベッドで寝ろと言ったのは。
生憎、天使を前にしたのは初めてだったし、天使についても詳しくなかった。だから、睡眠は必要なものなんだと思っていた。今朝の言葉を昨日の夜も言った。
そしたら、全く同じ答えが返ってきた上「汚いベッドで寝られない」「臭い」「最悪」などと踏んだり蹴ったりに言われた。
俺は泣く泣く自分のベッドに潜り、頭まで被った布団の隙間から、伏し目がちにエリスを見ていた。今だカーテンの閉めていない窓から入る月光に照らされる姿は、また俺の目には輝いて映った。それに伴い、夜の匂いも共にしてた。
俺は久しぶりに、良い夢がみれそうだと思った。今日こそは、天使が隣にいてくれるなら、きっと。
そして、今に至る。
何の夢を見たかは、もう忘れてしまったが、悪夢ではないことは確かだ。エリスがいてくれたのが理由なら、このまま家に置いておくのも悪くはないと、早そう思い始めていた。
「何を見ておる、さっさと立ち上がらぬか」
「……はいはい」
まだ重い目をこすりながらも、呆れを含ませたその耽美な声に、逆らうわけにはいかなかった。
こうして今日から、このうるさくて傲慢で高貴な天使との同居生活が始まる。
「む、どこへ行く」
「顔洗って歯磨いてくる」
「――――人間めんどくさっ」
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