第2話 喫茶店に雨

 喫茶店に、黄ばんだ照明。私達の影が落ちる。


 目の前には、私の小説が綴られた、原稿用紙。

 古時計の針が、カチリ、と鳴る。


「貴方の本気を見せて」


 そういう編集者アンタは、瞬きもせず私を見ていた。


「貴方の前作、三行目の比喩。あれを書ける人が枯れるわけがない」


 私は頭を抱え、心臓がぎゅっと締め付けられるのを感じた。


「もう、もう、やめてくれ……私に期待するのは……」

「大丈夫、出来るわ。貴方は天才だもの」


 私は乱暴に立ち上がる。


 そして、逃げ出した。


 酷い雨が、全身を打つ。それでも、私は走り続けた。


 立ち尽くして、俯いた。


 ふと、雨が無くなった。視界に影が差す。


「……?」


 俺は、不思議に思い、後ろを向いた。


「ねぇ、風邪を引きますよ」


 ────────貴方がいた。

 私に、雨傘を差していた。


「君だけだよ……私と一緒にいてくれるのは」


 俺は、濡れ鼠のまま、貴方に抱きつく。

 冷たかったろうに、貴方は拒まなかった。


「えぇ」


 ふと、貴方が震える。


「っくしゅん」


 私は目を見開く。

 貴方は少し困った顔で視線を泳がせ、微笑んだ。


 私は、何も言わず、もう一度抱き締めた。


「私は……ずっと、隣の椅子が空いている気がしていたんだ」

「……」

「座る人は、見つかったよ。でも、何故だろう。息が苦しいんだ」


 元気になる自分を思い浮かべると、心の奥にぽっかりと穴が空く。

 壊れかけの私だから、拾ってもらえた。


 きっと、貴方がいなかったらこんなこと考えなかっただろう。


「……ずっと、傍にいますよ」


 貴方ははにかんだ。


 ……知っていた。


「……貴方が離れるなんてのはね、実は思ってないんだ」


 俺は、あまり浮かない声で囁く。

 その瞬間は、“俺”だった。


「そう。信じていてくれた?」


 しっとり、声が耳朶を撫でる。


「信じてる、なんて強いものじゃない。ただ、予感だけ」


 俺の喉は、揺れなかった。


「私も、貴方がきっと、心の底から笑える日が来ると、予感しております。貴方の予感と、私の予感が重なるまで。一緒にいますわ」


 は、静かに黙した。もう、言うことはなかった。


 同じ視線を探してくれる君が、温かいなんてものじゃない。それは平熱の、体温だった。


「言葉が尽きた瞬間って、怖いですよね。大丈夫、傍にいます」

「ふふ……」


 ふっ、と力が抜けた。安心したは笑みを零した。


「別に、悲しくて黙ってたんじゃないんだ。ただ、満足しただけ。ありがとう」


 貴方の顔は、見ない。


「……貴方が柔らかくて、近くて。私、ちょっぴり泣きそうですわ。貴方の満足した顔を、そっと胸にしまっておきます」


 貴方も、それっきり俺の顔は見なかった。


 俺はきっと、変わらず暗い顔をしているのだろうと思ったが。

 こんな情けない姿も、見られず済むのなら、この他ない。


『天才だもの』


 言葉が脳内に響く。


「少し……頑張りたい」


 俺はさっきより僅かに明るい声で、空へ呟く。


「貴方の“少し”が、いつか“もう少し”に変わるまで。それが、いつになるかなんて、急がない。

 ゆっくりでいいわ。一緒に、ね」


 背中を撫でられる。


 の心の奥に、じんわり熱が残った。

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