刑事、害者、恋人

 ダニエル・ロペスの朝は早い。

 早朝から日課の筋トレ、ジョギング、帰宅後はプロテインシェイク。

 汗を流そうとシャワールームの戸に手をかけた時、

「ダン! いるんでしょう?」

 静寂の朝を貫くように声が響いた。

 聞き慣れた声に、ロペスはため息をつく。

「朝から大声で呼ぶなよ」

 ドアを開けると、いつも通りにけばけばしいメイクの妹の姿があった。

「ダンの方こそ、汗だくじゃない。さっさとシャワー浴びなさいよね」

 妹はどたどたと大きめのカバンと子供用のリュックを手にして部屋に入ってくる。

 ロペスは、ああ、と察して足元に目を落とす。

 妹の影からくるくるとした黒い巻き毛がのぞいており、ひょいと飛び出してきたのは甥っ子のいたずらな笑顔だった。

「悪いんだけど、MJのこと学校まで送って行って欲しいの」

 本当に悪いと思っているのか、ほぼ確定事項としてパスされた子供は、にっこりとこちらを見上げている。

 ロペスはこの賑やかな妹と、屈託なく笑う甥っ子をどう扱えばいいものか分からなかった。


「おはようございます!」

 殺人課から応援に来た、臨時の相棒も賑やかな女だ。

「おう」

「ロペス刑事、もう出ますか?」

「ああ」

 9ストリートギャングの下っ端が殺された先日の抗争で、街の緊張感は高まっている。発砲事件が数件発生しているが、警察のパトロールの強化によって、重大な事件に発展していないことが不幸中の幸いといったところだ。

「被害者のカルロス・ロドリゲス。気になるのは彼の金遣いの荒さですかね」

 相棒の言葉に、ロペスは少し考える。その間を埋めるように相棒が言葉を連ねる。

「まぁ、単純に流れ弾が当たったと考える方が自然でしょうけど……」

 そう言って、はは、と笑う彼女に、ロペスはそれを否定した。

「いや、俺も探るべきだと思っていた。害者の口座や自宅からも、あんな車や時計を買う余裕があったようには見えなかった」

「そ、そうですよね! なにか収入源があったんじゃないかと。やっぱ恋人のマリアを探りますか?」

 相棒の表情が明るくなる。

「ああ、張り込みになるな。俺は巡査に相談してくる。お前は張り込みの道具借りてこい」

「はい!」

 相棒がうさぎのように消えていくのを見て、ロペスはなんとも言えない気持ちになった。

「おう、ロペス。どうだ、調子は」

「あ、巡査。ちょうど探し行こうと思っていました」

 タイミングよく現れたボルト巡査に、ロペスは捜査状況の報告をした。

「なるほど、金の流れか。基本中の基本だな。わかった。二人でマリアの周辺を張れ」

「はい」


 ロペスは張り込みが嫌いではなかった。じっと息を潜めるようにしてターゲットを観察し、生活パターン、交友関係を記録する。

「ロペス刑事、食べます?」

 差し出されたのは奇妙なパンだった。丸く、何か胡麻のようなものがかかっている。

「これは?」

「あんぱんです。中に豆を甘く煮て作った餡がはいってるんですよ」

 豆を、甘く、煮る、だと……。ロペスにしてみれば、信じられない調理法で、かなり抵抗を感じた。

「これは昔、日本では定番の刑事の張り込み食だったんですよ。牛乳とセットなんですけど、私乳糖不耐症なもので、牛乳はちょっと……」

 そして、ははは、と彼女は笑った。

 伝統食を断るのは、相手文化に対して失礼だろう。甘い豆、というのが受け入れ難いが、ロペスは短く礼を言ってそのパンを受け取った。

 恐る恐る一口かじってみると、パンは柔らかく、問題の豆もそう悪くはなかった。

「あ、ロペスさん。あれ」

 相棒が指さす先をカメラの望遠で追う。

 害者の恋人と、フードを被った大柄な男が接触している。角度を変えて数枚の写真を撮り、男の顔の角度が変わるのを待つ。

 そして、拡大されたその顔は、ロペスにとっては特別な顔だった。

 かつて、名を呼び合った男の顔だった。

「顔、見えますか?」

 相棒の問いかけに、ロペスは動揺を悟られないように努めて答える。

「……いや、はっきりとは見えなかった。署に戻って写真を分析して貰えば何か分かるかもしれない」

 ロペスは、臨時の相棒にその名を告げられなかった。

 告げればいいものを、その名は音にならずに消えた。

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