第43話 改竄される楽園③

 律の放った虹色のノイズが、Jの構築した「幸福な楽園」に致命的な亀裂を入れていた。

ひび割れた真紅のペンを握りしめ、Jは初めてその無機質な瞳に、隠しきれない焦燥を浮かべる。


「……あり得ない。記述そのものを物理的に破壊するなんて……。それでは、あなたが保っているその肉体という『記述』も、共に崩壊を早めるだけだというのに……!」


「言ったはずだ。最初から消えかかってるんだよ、この命は」


律は、累の手を力強く握り返した。

二人の間に走る電流のような共鳴が、ノイズをさらに巨大な奔流へと変えていく。律の身体の半分は、Jの改竄と自身のバグによって白紙化が進み、もはや人間としての形を保つのが奇跡に近い状態だった。


だが、その「崩壊」こそが、今の彼にとっては最強の武器だった。

定義が崩れているからこそ、Jのペンは律を「正しく」書き換えることができない。


「累、いけるか」


「当たり前だ……! オレの魂ごと、このクソッタレな原稿を全部真っ黒に塗り潰してやる!」


累の黄金の霊力が、律の右手に宿る矛盾の刃と完全に融解する。

それは剣という形さえも捨て、周囲の空間そのものを飲み込む「黒い穴(ヴォイド)」のような巨大な塊へと膨れ上がった。


Jは震える手で、ひび割れたペンを律へと突き出した。

「認めません……! こんなエラーだらけのエンディング、私が……執行者である私が、力ずくで書き換えて……!」 


Jが残りの全出力をペンに込め、最期の改竄を放とうとした瞬間。

律の眼鏡の奥の瞳が、冷徹にその「論理の継ぎ目」を捉えた。


「――終わりだ、J。あんたの物語には、毒が足りない」


律と累が同時に地を蹴った。

虹色のノイズを纏った二人が、赤いインクの奔流を真っ向から切り裂き、Jの懐へと飛び込む。


「術式・二律背反――『無題の完結(エンド・オブ・アンタイトル)』!!」


ドォォォォォォン!!


事務所の壁が吹き飛び、周囲の「真っ白な雪」が逆流するようにして夜空へと吸い上げられていく。

律の拳――否、累と共鳴した破壊の概念が、Jの真紅のペンを中央から真っ二つに粉砕した。


「……っ、あ……」


ペンの崩壊と共に、Jの存在そのものが砂が崩れるように希薄化していく。彼女の制服が、肌が、言葉の破片となって夜の闇に散っていった。


「……お見事、です。不法占拠者……。ですが、忘れないで……。この楽園を壊したあなたは、……もう二度と、……救われることはない」


Jの最期の言葉が、風に溶けて消えた。


静寂が戻った東京。

降り続いていた白い雪は止み、代わりに不気味なほど静かな、いつもの「インクの雨」が降り始めていた。

Jの改竄によって幸福な夢を見せられていた人々は、再び地獄のような現実に引き戻され、街のあちこちから絶望の呻き声が漏れ聞こえてくる。


「……ハァ、ハァ……。……やった、のか」


律は、力なくその場に膝をついた。

右腕は肩から先が白紙になったままで、感覚が全くない。眼鏡は割れ、足元の床は今にも崩れそうなほど脆くなっていた。


「……おい、律。しっかりしろ……!」


累が律の身体を支える。彼もまた、司教とJという二大執行者との連戦で、その姿はフィルムのノイズのように激しく明滅していた。


二人がボロボロの身体を引きずり、店の中から外の惨状を見渡したその時。

雨に煙る路地の向こうに、一人の男が立っていた。


仮面を被り、マッドブラックの漆黒のコートを纏い、全身を黒い記号で埋め尽くした姿で。律が怪異界の犯罪者として追われる身となった発端の男。


「……堂々廻」 


律の唇が、震えながらその名を呼んだ。

しかし、彼は何も答えず、ただ律の首筋にある、真っ赤に腫れ上がった刻印をじっと見つめていた。


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