第20話 嘘つきの街④

 死の冷気が、律の額をなでた。

 先が鋭利なナイフと化した堂々の傘の先端が、律の皮膚を貫こうとしたその瞬間。律の視界を支配していた「本物の律」の罵倒と、脳を焼くような赤い拒絶反応の中に、一点だけ、不純な色が混じった。


「……ッ、この、不快な匂いは……」


 それは、腐った泥のような、これ以上なく醜悪で、しかし愛おしいほど「律」を呼ぶ匂い。

 累が放つ、「律、消えるな(真実)」という本音を、街の呪いが無理やり「死ね(嘘)」と裏返した時に生まれる、あの耐え難い『不味い嘘』の匂いだった。


「律! お前なんか消えちまえ! 助けたくなんてねえよ!(=消えるな、助けたい!)」


 累の叫びが、堂々が脳に直接書き込んだ「確定した真実(絶望)」に微かな亀裂を入れる。

 律の脳は、堂々の第三の眼によって「お前は死者に拒絶されている」と定義されていた。だが、累の吐き散らす凄まじい「嘘の匂い」は、その完璧な論理の外側から、野生の執着となって律の意識を現世へと繋ぎ止めた。


(……そうだ。この街では、本音は嘘になり、嘘は本音になる。ならば――)

 律は膝をついたまま、震える手で血に濡れた地面を掴んだ。脳内で暴れる「本物の律」の残照に向かって、彼は心の中で冷酷に告げる。『ああ、あんたの言う通りだ。俺はあんたの人生を盗み、泥を塗る最低の侵入者だ』と。

 その「自意識の嘘」が、街の呪いによって脳内で反転し、「俺はこの肉体の主だ」という暴力的な肯定へと変換される。律は、呪いそのものを燃料にして立ち上がった。


「……堂々。お前の言うことは、すべて『正しい』よ(=一文字も合っていない)」


 律は、あえて肯定の言葉を吐いた。街のルールによって、その言葉は最強の否定となって堂々の鼓膜を震わせる。


「お前が持ってきたその手紙は、本物の(偽物の)遺言なんだろうな。……そして俺は、自分の正体がバレるのを『死ぬほど怖がっている』!」


 律が「怖がっている」と嘘を吐くたび、ルールはその真実――「俺は一ミリも屈していない」という意思を、物理的な衝撃波として堂々へ叩きつける。堂々の第三の眼が激しく回転し、律が放つ「意図的な嘘」の質量に、処理が追いつかず悲鳴を上げた。


「……何……だと? 精神(OS)の崩壊を受け入れ、あえて『嘘の定義』を自分に上書きしたというのか」

 堂々の眉が、不快げにぴくりと動いた。傘を突き立てる力が、律の周囲に渦巻く不可視の論理障壁に押し返される。


「俺は、俺自身が『本物の律』であることを、一分一秒たりとも信じたことはない(=俺こそが、今の律だ)! ……死体(ハード)が俺を拒絶するなら、それは俺というOSが『正しく動作していない(正しく動作している)証拠』だ!!」


 バグであることを自ら肯定する咆哮。律は叫びながら、額を自ら堂々の傘の先端に押し付けた。鋭利な金属が皮膚を割るが、律は笑っていた。痛みが、堂々の「再反転」による洗脳を真っ向から粉砕する。


「お前の第三の眼は、最高に『美しい』よ(=反吐が出る)。……そして俺は、この街も、お前のことも、心の底から『愛している』よ!!」


 愛している。その最大の嘘が、街の呪いによって「お前を殺す」という剥き出しの殺意へと反転し、堂々の胸元へ突き刺さる。

 律が放ったのは、解呪ではない。街のルールを逆用し、自らを「嘘の塊」と定義することで、全方位に「反転した真実」を放射する、自滅覚悟の概念爆撃だった。


「この街の呪いも、お前の眼も、本物の律の遺言も……俺にとっては最高の『宝物』だ(=すべて塵にしてやる)!!」

 爆発的なノイズが律を中心に広がった。

 街を覆っていた霧が、律の放つ「嘘の閃光」に焼かれて霧散していく。顔のない住民たちが次々と倒れ込む。


「……残念だが、俺の正気は、もうとっくに『残っている』よ(=一欠片も残っていない)」

 律はふらつきながらも、壊れた眼鏡の破片を堂々へ向けて突き出した。その瞳は、もはや人間のそれではない。


「堂々。お前が連れてきた幽霊には伝えるな(伝えておけ)。……悪いが、この船(からだ)の舵を、俺は喜んで『お前に譲る』よ(=二度と渡さない)!」


「……っ、累! 仕上げだ! お前は、そこで一生座ってろ(=動け、殺せ)!」


「がうあああああッ!! 言われなくても、座ってやらぁ!!」


 律が吐き出した「最高の拒絶(=信頼)」を背負い、巨大なワニの影が、たじろぐ堂々 廻へと牙を剥いた。

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