第五章 必然の歯車
朝のニュースは、いつも通り淡々としていた。
悠夜はトーストを焼かず、白米をよそい、牛乳をコップに注ぐ。
新聞は、職場へ行く前に目を通すだけのものだった。
ページをめくる指が、不意に止まる。
地方欄。小さな囲み記事。
〈宗教施設跡地で発見された記録文書〉
見出しは地味だ。
だが、その内容が、目に引っかかる。
〈火災で焼失したとされていた施設から、地下保管庫の存在が確認された〉
〈そこから見つかったのは、研究日誌とも、信仰記録とも取れる文書〉
悠夜は、読み進める。
〈“羽”と記された存在について、成長・適応・模倣の記録が残されていた〉
〈年齢の進行に関する記述が曖昧で、経過年数と身体的変化が一致しない点が複数見受けられる〉
喉が、ひくりと鳴る。
……一致しない。
次の行。
〈関係者の一人は、「彼女は老いない」と証言している〉
紙面を、思わず伏せた。
陽菜は、まだ寝ている。起こす理由は、ない。
だが、胸の奥で、何かが確信に変わりつつあった。
その日の帰り道。
いつもの道から、一本外れた場所にある、古い教会の前で、悠夜は足を止めた。
そこに、立っている人影がある。
黒い服。黒いヴェール。
あまりにも、現代の服装としては場違いで、そして――どこか懐かしい。
「……あの」
声をかけると、その人は、ゆっくりと振り向いた。
年齢は、分からない。若くも見え、老いているようにも見える。
けれど、目だけは、深く、静かだった。
「新聞を、読まれましたか」
なぜか先に、そう言われる。
「……はい」
言葉を選ぶ暇もなく、頷いていた。
「あなたが関わっている“羽”は、もう隠し通せる段階ではありません。私たちですら、匿えない事件を起こしてしまった」
断定。質問ではない。
「……あなたは」
「名を明かすつもりはありません」
即答だった。
「ですが」
彼女は、小さく微笑む。
「あなたが、彼女と“生きる”選択をしたのなら、必要な糸は渡せます」
悠夜は、一歩、前に出た。
「お願いします」
深く、頭を下げる。
「彼女を、……独りにしたくない」
沈黙。潮の匂いも、鐘の音も、ない。
ただ、時間だけが止まる。
やがて、彼女は、懐から一枚の紙を取り出した。
「“春咲”」
その名を、口にする。
「彼女の教育係だった人間です。唯一、最後まで“人として”接していた」
紙には、連絡先が記されている。
「もう、同じ場所にはいません」
「……それでも」
悠夜は、紙を受け取った。
「ありがとうございます」
顔を上げたとき、彼女の姿は、もうなかった。
教会の前には、誰もいない。
ただ、風に揺れる影だけが残る。
その夜。陽菜は、何も知らず、シチューを温め直していた。
「今日は、トマト入れてみますか」
柔らかい声。
悠夜は、頷く。
新聞記事の文字も、不老の証言も、名を名乗らないシスターも。
すべてを、飲み込んだまま。
それでも、確信だけが残った。
彼女は、人ではない。けれど――。
寄る辺ない日常に、確かに、帰る場所を作ろうとしている。
その中心に、湯気の立つ鍋と、白いご飯があった。
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