第34話
9月20日。第七回定例会当日。七人が『円卓の間』に入ってくると、過去には見かけなかったものが用意されていた。八人分の顔写真をはめ込んだ、パネルである。選挙の広報か何かのような恰好だが、もちろんそんなものであるわけはない。
みなお互いの顔を見合わせる。特に、一番顔を見られたのは竜司であった。だが、竜司はそこにいた。居なかったのは、姿を現さなかったのは、高階志保である。そして、第七回定例会の開始が告げられ、両神が
「高階志保は私の観察対象から外れた」
と述べた後。パネルの『八枚の写真』の中から、一人の黒服の手で高階志保の額一枚だけが外され、別室へと持ち去られた。
「……悪趣味が過ぎませんか、両神さま」
と、押し殺したような怒りを表明したのは宝月麗奈であった。その言葉に対する返答は無かったが、川上が詳細を付け加えた。
「高階志保さまは、いまから六日前の未明、自宅の火災によって死亡されました。直接の死因は一酸化炭素の吸入による中毒死であると断定されました。自殺・事故の両面から捜査が続けられておりますが、いかなヤヌス・プログラムといえども警察の捜査それ自体に干渉・介入はできませんし……それに」
簡単に付け加える。
「死亡された方は、その時点において観察の対象外となります。その事実に例外はありません」
灰に包まれたような空気の中で、話題の口火を切ったのは花乃であった。
「あの。この、今日着てきた服なんですけど。ご覧いただいただけで分かるかどうかはともかく……これ、NOTHING BUTの最新作なんです。昨日うちに届きました」
声が震えていた。花乃が志保と格別に親しかったかというとそのようなことはないが、そりゃあ、この状況、この場面では動揺して当然である。
「前回、誇らしげに事業の成功について報告していらっしゃったので……驚かせてみようかと思ったのですけど。まさか、こんなことに……なる、なんて……」
花乃は声を詰まらせた。両神がちらっとその服に目をやって、すぐに視線を戻した。浜田恵が十字を切った。しばらく全員が無言だった。2、3分が経過して、ようやく口を開いたのは竜司。
「えーと……まだキャンピングカーで暮らしています。東京から北に向かうか西に向かうか迷ったんですが……冬が来たら東北以北は難しくなるかと思ったので。宗谷岬まで行ってきました。……静かで穏やかで、何もない場所でした」
蟹田も話を始めた。
「別にその話と関係はないが、俺は西に行っとる。といっても、もう甲子園やない。松江や。松江ってどこか知っとるか?」
葉月が答えた。
「島根県ですね。いわゆる山陰地方」
「せや。松江に、宍道湖って湖の近くに家を買った。広い家やけど、そんなに金はかからんかった。一千五百万とちょっとくらいや」
「……あの。なんだってまた、松江に? ご出身でしたっけ?」
「いや、ちゃうねんけど。何度かキャンプで宍道湖に行ったことがあってな。そんで」
蟹田は意を決したという感じで、説明した。
「松江に少年野球のチームを作って、俺が監督やろうと思てるねん」
そこで平山が相槌を打った。
「それはよい御心がけですな。チーム名はなんとなさいます?」
蟹田は一瞬だけ口ごもり、そしてその名を口にする。
「『宍道湖ピューマーズ』。ピューマ―ってのは、アメリカの南北大陸に暮らしてるネコ科の猛獣で……その」
平山が額をぽんと叩いて、その言葉のあとを引き取った。
「存じております。ピューマ―は、英語では。『クーガー』。そう呼ばれておりますな」
「……そうなんや。まあ、ちょっと恥ずかしいねんけど」
説明されずとも誰にでも分かることであるが、蟹田は息子の名である『久我』にあやかりつつ、それに直接言及することは避けたわけである。
「そんなことはありませんよ。誇るに値することでしょう。……人の子の父親として」
そこで平山は簡単に言った。
「あ、せっかくなので私の近況も報告しておきます。一番上の息子が、車を欲しいと言い出しまして。許可することにいたしました。……ただし」
もういっぺん額を叩いて、こう言った。
「自分で金を出すのではないのだから中古で我慢するようにと。そう言っておきました」
次に葉月が挙手。
「夏休みが終わりました。……あ、ご存じない方の方が多いかと思いますのでいちおう説明しておきますと、美大の夏休みというのは短いもので。それで」
明るい表情。
「夏休みの間に制作した絵が、売れまして。まあもちろん……そんなたいした高い金額ではないのですが。それでも、売れたということに変わりはありません」
何人かが拍手をした。蟹田からは『やったやんけ』の声。
「はい、蟹田さんも、皆さんも……ありがとうございます。今回の近況報告は以上です」
そして浜田。
「娘が、ピアノを習いたいと言い出しまして。ピアノを買いました。わたくし、あまり詳しくありませんので……『中古でいい?』と言いましたところ。『お母さん、分かってない。いいピアノを買うときは中古の方が上等なのよ』と。そう言われました」
一同笑う。
「でもまあ、結局娘が欲しがったのは電子ピアノだったのですけどね。お客さんの迷惑にならないように、ヘッドホンをして弾く、ということで。それはさすがに新品を買わせていただきました」
最後に宝月。
「……特段大過もなく。患者様がたの治療に専念する日々を過ごしております。他に申し上げたいことはありません」
ひやりとした声であった。誰にでも、そこに怒りが込められていることが分かるほどの。
「では、これにて休憩時間とさせていただきます」
と川上が言って、その場はいったん散会となった。
「では本日のディスカッションを始めていただきたく思います。本日のテーマは……」
川上が発表する。
「各位におかれまして、“このプログラムで得られた最大の幸福は何か”です」
川上がそう言ったとたん、宝月が川上の顔を見た。そして、両神の顔を。その目に示されていたものは、もはや怒りではなく……それを通り越した、『虚空』であった。だが、その目の本当の意味に、果たして両神ですら気付くことができたか、どうか。
「では皆様、挙手してご発言ください。……はい、では平山さま、どうぞ」
眼鏡をキラリと光らせて、平山が言った。
「それはもちろん、家です。マイホームですな。まだ住める状態ではありませんが、だいぶ形にはなって参りました。おかげ様でございます」
次に浜田恵。
「雨漏りを直して、ピアノを買って……他の事には何も使っておりませんけれども。でもまあ、暮らし向きの上で日々の生活を心配する必要はなくなりました。ありがたいことです。それが幸福といえば幸福でございましょう。以上です」
葉月。
「こんなこと言うのは変かもしれませんが……花乃と出会えたこと。それが一番、です。……そう……思いたいです」
花乃。
「ソシャゲーの世界では……私、女王などと呼ばれるようになりました。……もしかしたら、それが幸福なのかもしれません」
竜司。
「……分かりません。今の自分が幸福なのかどうかも」
蟹田。
「まだ宍道湖ピューマーズの計画は動き始めたばっかりやけどな。でも、スカウトに行った先で、目を輝かせた野球少年のボンに会うと思うんや。……まんざらこれも悪くないな、ってな」
そして最後に……宝月麗奈の番が来た、のだが。
「……ノーコメント。とさせて頂きたく」
さすがに川上がたしなめようとすると、宝月はこう言った。
「どうしても語れ、というならこう申し上げましょう。……金では買えぬ幸福があることを、私はよく理解しました。これは幸福ではありませんが、ある意味幸運なことではあったかもしれません。……それだけです」
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