第33話 豪華客船



「素敵だよ、珠子さん」


 次郎の一等室で着替えさせてもらった珠子は、すとんとしたワンピースに近いドレスに大きなリボンのついたハットを被っていた。


 日本ではまだ、バッスルスタイルの腰の辺りがゴテゴテしたドレスが流行っていたが、船内にいる異国の女性たちのドレスはもっとすっきりとした感じだ。


 なので、次郎の妹のものだというこのドレスは、この場によく馴染んでいた。


 妹さんは流行りに敏感でセンスがいいんだな、と珠子は思う。


「珠子さんは背も高いし、腰が細くて脚も長い。

 ドレスがよく似合うよね」


 そう言い、次郎は笑っていた。


 ドレスの丈は、珠子が着ても充分なほどだった。

 おそらく、次郎の妹は長身なのだろう。


 まあ、次郎さんも大きいもんな、と珠子は思う。


「一等食堂に行こうか」

と誘われ、ついていく。


 まあ、今、船から海に飛び込んでも、岸に泳ぎつけないだろうし。


 じたばたせずに船内を見学させてもらうか、と珠子は腹を括った。

 



 春日丸には、一等から三等までの切符があり、一等の部屋は二人、二等は六人。三等だと、二百五十五人もの大部屋になっていた。


 だが、二段ベッドがひしめく三等室もみな和気藹々わきあいあいとして楽しそうだった。


 まあ、出航したばかりで、誰も船酔いしていないからかもしれないが。


「門司まで船旅を楽しむといいよ」


 門司には船の燃料である石炭を積むために寄るのだと言う。


 珠子は次郎に手を引かれ、階段を下りる。


 一等食堂に下りる階段は絨毯も手すりも意匠が凝らしてあって豪華だ。


 女性は盛装、男性はモーニングやフロックコートなどを着なければならないと決まっているので、食堂の中は着飾った人々でいっぱいだった。


 着物姿の女性も多く見られる。


 お茶にしようと次郎は言っていたが、結局、食事をとることになった。


 西洋料理の並ぶ献立書から注文する。


「その献立書、記念に持って帰っていいんだよ」

と次郎が言う。


「そうなのですか」


 晃太郎様にもお見せしよう、と思い、珠子は、ふふふ、と笑った。


「あ、ところで、門司までに一泊しないといけませんよね。

 今から、三等の切符、買えるでしょうか?」


「なんで?

 大丈夫だよ。


 さっきの部屋は珠子さんの部屋だよ」


「えっ?」


「二段ベッドだったでしょ。

 珠子さんも同じ部屋でいいじゃない。


 上がいい? 下がいい?」


「あの、でも――」


「まあ、俺がいるのが嫌なら、別の部屋に行くから。

 仕事で乗ってるんだし、何処か融通してもらえるでしょ」


 そんなことを次郎は言う。


「いえいえ。

 私は何処の片隅で寝かせてもらえるだけで、大丈夫です。


 さきほどの婦人室でずっと本を読んでてもいいですし」


「そういえば、あの部屋、ピアノがあったよね。

 珠子さん、ピアノ弾ける?


 ああでも、あの部屋、女性専用なんで、俺は聴けないんだけどね」


 次郎の話題は流れるように変わっていってしまう。


 こういうところ、池田様と似てるなあ、と珠子は思っていた。


 



 その頃、晃太郎は池田家でウロウロ歩き回っていた。


「ほんとうに申し訳ない」

と池田が謝ってくれるが、もちろん、池田のせいではない。


 むしろよく教えてくれたと思っている。


 高平が、

「でもまあ、豪華汽船に乗ってるんだろ?

 いざとなれば、周りに助けを求められるだろうし。


 危険はないんじゃないか?」

と言ったが、池田は、


「……物理的には大丈夫かもしれないけど」

と意味深なことを言う。


「最初に寄港する門司港までの間に、二人に愛が芽生えるかもしれないじゃないかっ」


「……そんな簡単に芽生えるのか? 愛。

 お前たちと珠子の間にもなかなか芽生えなかったのに」


 そう言う高平に、

「だって次郎さんだよっ」

と池田はソファから立ち上がる。


「あの人、なんか人を乗せるのが上手いからっ。

 商売相手も、いつも、ふうっと乗せられちゃうんだよっ」


「大丈夫だ」

と高平が頷いた。


「珠子も人を乗せるのが上手いから」


「狐と狸の化かし合いみたいになってそうですな」

と後ろに控えていた黒崎がちょっとだけ笑って言う。


「それにしても、今から門司港に行っても間に合わないですよねえ」

と黒崎は言った。


 飛行機にひょいと乗れないこの時代。


 もう出航してしまった船を追いかけて、追い抜くのは難しい。


 第一、みんな仕事もある。


「岩崎」

と高平が肩を叩いた。


「行ってこい。

 仕事は俺に任せろ。


 お前の上司には言っておいてやるっ」


「……高平」


「俺が空き時間にお前の代わりにできることはすると言っておく」


「高平っ」


「でも、すぐ帰れっ。

 俺にお前の代わりなんて務まらないからっ」

と高平は本音をもらした。


 船で行くか、列車で追いかけるかという話になったが。


 冷静に考えて、間に合うわけもない。


「……いや、俺はやはり、珠子を信じて待つことにする」


「岩崎」

と高平が晃太郎の珠子への愛と信頼に涙ぐむ。


「岩崎……。

 でも、珠子さんはともかく、次郎さんは信用しない方がいいよ」

と池田が余計なことを付け足していたが。


 



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