第8話 そして来た2019年。
実結が不安定なまま2019年が明けた。
実結の友人とその家族と初詣で会った。
女の子の耳には補聴器らしいものがあるから実結が話してた聴覚障害者の同級生だろう。
祭子さんと賢治さんが親御さんと話してる間、女の子と実結は手話で会話をしていた。
知らなかった。実結がここまで手話が使えるなんて。実結達の手話は僕に内容はわからないけど女の子特有の共鳴があるのだろう。
時々、笑い合ったり実結は久しぶりの友人との再会を楽しめるまでは回復してる。
僕は3月には東京に戻る。それまで実結の心が心配だけど僕自身の未来のために東京に帰らなくてはいけない。
実結達は何かを話し終えたのか終わった後ハイタッチをした。
帰り道に「何を話してたの?」と聞くと「みゅうがいなくて早苗ちゃん寂しかったって」と嬉しそうに話していた。
帰ると祭子さんから「親御さんと話したんだけど早苗ちゃんと一緒に学校に行く練習をしてみないかって提案してくれた」と実結が徐々に再び学校に行く練習に前向きな形で進めていくことを聞いた。
「実結は早苗ちゃんとだったら学校に行けるの?」
「わからない。でも、早苗ちゃんはいい子だから裏切りたくない」
「そんなに早苗ちゃんのことが好きなんだ」
「早苗ちゃんね言ってた。私は手話と筆談しか出来ないけどみゅうの心が挫けちゃったことをバカにする子もいたんだって。私に声が出せるなら人の心の傷を馬鹿にするなって怒りたかったけど、それがきっかけでみゅうがいじめられたら私は後悔するから我慢したって」
「じゃあ早苗ちゃんは実結が熊本にいたのを知ってるの?」
「うん。でも熊本にいたこと以外言ってない。それ以上は知らない」
「そう」
「ゆっくん」
「うん?」
「みゅうね。優しい人には心の痛みを想像する力があるから必要以上のことを言わない方が優しい人のためにいいことがあるってここに来るまで知らなかったよ」
「それは実結の心が成長したからだよ」
「そう?」
ASDの特性でコミュニケーションに偏りがあっても届く優しさや理解力はある。
どんな人間も必ず優しさに救われる。何より実結が生きることを諦めなかったから出会えたのが僕達と早苗ちゃんという理解がある友達だ。
「みゅう。また学校に行けるようになるかな?」
「少しずつでいいよ。人は望めばいくつからでも前に進めるよ」
「ゆっくん、あのね」
「うん」
「ここに来る前、みゅうね地震が起きて置いてけぼりにされたとき海に行こうとしたの?」
「なんで?」
「お母さんは海で死んだってことは聞いたから、海に行ったらみゅうはお母さんのとこに行けるって思って道に迷いながら彷徨っていたら気づいたらここにいたの」
「うん」
「あのときの記憶は思い出したくないけど、みゅうは逃げてよかった?」
「それは逃げじゃないよ。実結は助けられるために生きるために前に進んだ。生きようとしている人を助けてくれる人は必ずいるから実結が助けられたのは必然だった。それだけだよ」
「ゆっくんはみゅうのような人達を助けたいから東京に戻るんだよね?」
「そうだよ」
「みゅうは今のゆっくんも大好きだけどゆっくんの夢が叶ったらゆっくんのこと尊敬してもっと好きになると思う」
「実結…」
「だから必ず東京で夢を叶えてね。みゅうはここで生きて応援するから、ゆっくん頑張って」
実結が握手を求めたので僕は優しく握り返した。
「僕は頑張るよ」
実結の成長が素直に嬉しい。
はたから見たら他人が被虐待児である実結に優しくしている姿を偽善だと言うかもしれない。
けど僕は一度も実結に好かれるために優しくしたつもりはないし自分を犠牲にしたつもりは一切ない。
人は懸命に生きる命を目の前にするとエゴや偽善を捨てた本当の心でその命を助けられるか試される。
僕にとって実結は守るべき命であり本当の自分とは何かを試される試験だった。
僕は好かれるためでも無く、ただ目の前の命が健やかに育つようにときに無力さに打ちのめされながら実結を通して自分を一から育て直されたような気がする。
もちろん僕はただの子どもで何でもできた訳ではないけど実結のために自分を犠牲にしたつもりは全くない。
僕は実結を通して自分の優しさの形を学び直せた気がする。
だけど実結は救世主ではない。
実結は日々を懸命に生きただけだ。どんなに辛くても実結は生きることを諦めなかった。
傷ついた1つの小さな命が生き直そうとできる環境が今ここにある。
それは奇跡ではない。
恵まれる環境にいることを奇跡と呼ぶならこの世界は間違っている。
それくらい思ってはいいだろう。誰にでもある権利でいい。
東京に帰るまで僕達は大事に日々を過ごした。大学も無事に合格した。
実結は月に2回から週に2回学校に通えるようになった。
遅すぎるかもしれない歩みだけど、それが実結という人間だからそれでいい。
東京に帰る前の日は餃子パーティーをした。
皆で手作りした餃子をホットプレートでじゅうじゅう焼いて、お腹いっぱいになるまで食べた。
「ゆきくん。年末に限らず帰りたくなったらいつでも帰ってきていいからね」と祭子さんは言った。
賢治さんは「僕達には子どもがいないけど、こんな形の家族も悪くないよね」と普段は飲めないお酒を少しだけ飲み目を潤ませながら言った。
「もう!賢治くん。泣いちゃったらゆきくんが寂しくなっちゃうでしょう!」
「だってさあ…ここまでゆきくんが回復できるなんて思わなかったよ。この子は大丈夫かな?って何度も心が挫けたよ」
「ごめんね。賢治くんは泣上戸だから酔うと泣いちゃうの」
「ゆきくん。本当に生きててくれてありがとう…おじちゃん、ゆきくんを応援するよ。年末に帰ってきたら何が食べたい?」
「今聞いてどうするのよ?」
「今からゆきくんが帰ってくるのが楽しみだよ。もうゆきくんと実結はうちの子だよ。だからゆきくんも実結も自立して家を出てもいつでも帰ってきてね…じゃないと、おじちゃん泣いちゃう」
「涙でせっかくの餃子がしょっぱくなるから、お酒はここまで!とりあえず水飲みなさい!」
「うぅ〜」
その日の夜は切ないけど幸せだった。この幸せをお土産に東京に戻る。
別れはいつも通り「行ってきます」「行ってらっしゃい」の挨拶で終わった。
この別れは永遠じゃない。だってここが僕のもう1つの実家だから。
必ず帰ってくる。
その約束が東京に戻ってからの僕を支えるだろう。
だけど東京に戻って数カ月後に知る「我妻美希人、咽頭がんの治療のため芸能活動休止。同時に父、今村優。2020年の舞台を最後に芸能活動無期限活動休止」のニュースとコロナ禍の2020年が僕の人生を大きく変えたのは次回話そう。
今だけはもう1つの家族の思い出に浸らせてほしい。
大丈夫。未来の僕は孤独ではない。
ー続く。
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