Everdawn
蛙形
Everdawn
——起きろ、と。
誰が、そう言った?
暗い。ここはどこだろう。
さっきまで話していたのは誰だったんだろう。いや、自分が誰かに話していたのかもしれない。
体を起こそうとする、けれど、うまく動かない。やっと横を向いたと思えば、骨ばった手がびたんと布を掴む。……自分の手は、こんなふうだったっけ。まあ、いい。体を起こすと、ぎし、と不安定な音がする。下を見ると裸足が床を踏んでいる。腐った木の、甘い匂いがする。
寝台にしていた場所から、おりて、立つ。薄っすらと見えている打ち付けられた板が横へズレる。足がふらついていると分かった頃には、腕を押しつぶすように壁にぶつけていた。
少し目線を下げると、ドアノブがある。掴もうと動かした手は何度か空を掻く。廊下に出て、進もうとしても体が一歩分イメージとズレる。軋む音もその分遅い。壁伝いに、暗い廊下を歩いている。
ぎぃ、ごとん!
視界が揺れる。なにか硬いものが落ちる音がした。
目の前には、ねじれた配管。上を見ればガラス戸がある。いや、この体が倒れているだけだ。起き上がる、さっきのように。想像から少し遅れて、ゆっくりと。
壁を探して振り上げた手が、滑らかな何かを掴んだ。取っ手のようなそれによって立ち上がると、割れた硝子の中から女が見ていた。
「……」
女は無言だった。歪に割れた顔に黒いインクが伝っている。
何も無いなら、別にいい。
下を見ると、白い器に穴があいている。洗面台だったのか。蛇口を捻ってみる。からからと回って、水は出ない。視界を戻す。女が少し遅れて顔を上げる。
——ああ、鏡だったのか。
なら、彼女が自分なのだろう。彼女こそが。
廊下に出て、端まで歩く。右に曲がろうとして、うまく止まれずに壁にぶつかりそうになる。
下に続く階段を、そのまま暗い穴の中に落ちそうになりながら降りていく。階段があると思っていた体が、がくんとする。踊り場を抜けて、更に降りる。ようやく下の階へ辿り着くと、白い足が、ふと青みがかる。顔を上げると、廊下の奥、剥がれた板の隙間から誰かが覗いている。
いや、そこにはただ、月があった。
『ほら、この恐ろしい夜を抜けないと!』
背後の、暗い無人の踊り場から、芝居じみた声が降る。
誰もいない。誰もいなかったはずだ。扉の中に潜んでいたのかもしれないけれど、いま、暗い踊り場には誰も見えない。ずっとぎしぎしと重みに耐えていた音は一つも聞こえない。そこには、誰も、居ない。
だが。
階段から、青白い足元に続くように、黒いしみが続いている。ぽつぽつと。木と、埃の匂いに混じって、金属質の匂いがする。
『そりゃあ、君。それは血だろう? 生温い君の生存証明だとも』
もう一度、声。しかしそれはすぐ耳元で囁く。なるほど、血か。どこで血を流すようなことがあったんだろう。振り返っていた体を戻して、変調に揺れながら前に進む。
ふと、手を這わせていた壁がへこみ、少しぐらつく。
横を見ると二本の線は壁を抉って、間柱が覗いている。人が居ないと、こんなふうに壊れていくのか。
『或いは、獣の爪痕かも知れないね?』
後ろにある壁を頼りにしようと一歩下がる。すると視界、大きく揺れる。足や手がばたつきながら動いているのが何度か見えて、ガチャンという音と共に体が引っ張られる。二つに別れた天井……玄関、それから夜の空。立ち上がろうとしてみる、腕が妙だ。見ると、ドアノブに挟まるようにして、それを掴んでいた。固く握り過ぎで、震えて爪まで白っぽくなっている。離せばいいのに、離れようとしない。もう一本の手に指を剥がさせて、ようやく立ち上がる。
歩いてみても、外は静かだ。
凹んだコンクリート、ガラスの割れたビル。標識は剥げて、看板は光らない。自動販売機は中身を忘れたように白い筒が並んでいる。
『全く、伽藍堂だね。夜を支配した叡智の光は見る影もない!』
その痕跡は、文字はいたるところにある。それをどう読むか、どんな意味を持つか知っている。けれど、判らない。形と意味の間にある繋がりが、解けている。口に出して、音にすればなにか変わるかと、声の出し方を思い出す。
——!
遠くで、何かの音がする。
『おや、おや。聞こえたかい、何かが狩りを始める遠吠えをさ!』
風が吹いたんだ。吊り下げられた看板は揺れる。古い板も悲鳴を上げる。風化した壁も崩れる。たったそれだけのことだ。カーテンが揺れる音も、扉が揺れる音も。何かを予感させる、それだけのものだ。金属質の匂いはまだしている、けれど、埃っぽいよりは、何もない匂いだ。
いつの間にか止まっていた足を、また覚束ないまま動かす。鎖でぐるぐるに巻かれたフェンスを横切り、半開きになった扉の中の影を覗き見て、少しだけ濡れている地面を通り過ぎる。
ふと、道の先に光が見える。そういえば、どうして歩いているんだったか。何を探しているわけでもないのに。けれど、明るいなら、暖かいならそっちの方が良いだろう。
『4分33秒。主演と観客は……そうだな、街と君、どっちがいい?』
広場は、確かに明るい。遮るものがないからだ。壁についていた手を離し、中央に見える彫像の側へ向かう。座面が折れたベンチの肘掛けにもたれるようにして、足を曲げて、座る。顔のない彫像を見上げる。
静かだ。静かで、きっと寒い。この月の光は少しの温かみもない。
だから、夜を明かさないと。
——ぎ、ぎぎ。
何かの音。板が擦れるような、何かが地を掻くような音。どこか、背後、通りの向こう、彫像の真後ろから聞こえる。大きななにかの、音。この体ではないなにか生き物の。
__!
厚い本を落としたような、バサリという音。
一瞬のうちに月光は消えて完全な影に飲み込まれる。逃げなければならないのか、置物に徹したほうが良いのか。いや、どちらでもこの体ではままならない。
絶え間なくお喋りを続けていた声も、ぴったりと止む。考え込むように、ふむ、と鼻を抜ける音さえ聞こえる気がした。
ぐらぐらと落ち着きのない頭を抑えて、月明かりの中に現れたそれを見る。それは、大きな鴉だった。
大鴉は、彫像の足元にいた。記憶の鴉を何倍も大きくして、侍るように。少しの嗅ぎなれない匂いが、現実の存在だと知らしめてくる。
「……何が……」
およそ自分のものではないような掠れた声で呟く。何が起きているんだと、言いたかったことの半分も言えないまま。
大鴉は軽く羽を広げ、身動ぎをする。
「——
低い声だ。地を這う靄のような、湿っぽさ。それに、喋っている。
斜めになった視界のまま大鴉を見つめてみる。他に仲間がいないから、ガアガアとは鳴かないのだろうか。大人しい大鴉はじっと、見つめている。きっと、こちらを。この鴉も、朝日を浴びれば青く見えるのだろう。
『無人の街に、古い詩を引用する大鴉……悪くはないけど、ちょっと黴臭いね』
つまらなさそうに、声が言う。鴉は何も返さない。
体を動かそうとすると、頭が傾く。片肘が上がって、座ったまま足先だけが跳ねる。ぎし、と聞こえるのは自分の体からだろうか。そんなに長く座っていたのか。だけど、動かないといけない気もする。理由はないけど、起きて動いたから、また立って動こうとしている。なぜか。
「……夜を、っげほ、ぇ゙……抜けないと」
咳き込んで、目の前はがくがくと揺れ、言葉を吐く。
夜を抜けないと。何をしているのかも、何をするべきなのかもわからない。だから、動いて、夜を。
「
彫像の足元からとん、と降り立った大鴉が膝の先までやってくる。その嘴がさした先に、黒い液体が丸くふっくらと落ちている。おすすめできない飲み物だ。体を支えていない方の腕を伸ばす。ぎこちなく前に出てきた手の甲に、抵抗なく押されて鴉は跳ねて下がる。
今も少しづつ広がる液体は、どこから降ってきているのだろう。そういえば、彼女が血を流していたのを見た。空いている手で頭を探る。手のひらが汚れた。ああ、ならことさらに鴉が飲むべきじゃない。
もたれていた手すりを掴んで、立ち上がる。見下ろした膝は笑っているが、動くなら、まあいい。
「
路地、灯らない街灯の上で鴉が言う。こちらをじっと見つめている。待っているんだろうか。待っているなら、ついて行こう。どうして起きて、歩いているのか忘れたから。
ふと、何かが鳴いた気がした。頭の後ろを撫でるような音で。何歩か進んで、止まる。後ろを見る、目を追いかけて顔が後ろを向く。
影だ。そこには影しかない。
顔を戻して、大鴉を追いかける。ごぼごぼとした音がまだ聞こえていても、何もないなら、何も見えないだろう。
このアスファルトの上で何をしても、柔らかい沼地を進んでいる心地になる。足から伝わるごつごつとした音が聞こえていなければ、今動いているのが自分かも、分からなかったかもしれない。
「……あ」
月が遮られた。毛羽立った雲の中で、まだ光りながら。いくばくかの明るさも更に失われた街は、物と影が混ざって、さらに不明瞭になる。
後ろ、遠くでは今もなにかの音が聞こえている。石が削れるような、水に大きな泡が浮かぶような。足を止めて振り返ろうとするたびに、大鴉は先へと進む。なので、振り向かずに歩いている。だからこの音が野犬が吠えている音なのか、風に揺られた何かの音なのか、区別はつかない。狭い路地を吹き抜ける音に、大鴉の羽音がくぐもる。
『世界と認識の密接を実感するね。我々の存在は、あまりに確固たるものだ!』
曇らない声が笑いを含んで囁く。
暗闇の中で、物と影を見る。何かの音を聞く。生温い匂いがする。上を見る、大鴉の羽音。下を見る、繋がった板と棒切れのようなもの……自分の体。
「
チェロのような低く広がる声が、曲がり角の柵にまで降りてきて、待っている。
その、奥。
道の奥、暗がりの中に影がある。人だ。人が立っている影だ。影は、何かを待っているのだろうか。歩けと足を急かす。
『……おや、王笏だ』
ゆっくりと、光が人影を浚っていく。
そこにあるのは、ただの棒だ。それだけだった。声は道に響かない。ぎこちなく指が伸びる。手の甲に筋が浮いている。突いて、倒してしまわないように。そっと棒を掴む。細長い円柱形で、ところどころ傷があって、両端の角がすこし削れている。
指が、もつれまいとしながら棒を握る。こつ、と硬質な音をして軽い衝撃を感じる。
『三本目の足は調子いかがかな?』
足同士で踏み合うことを気にするだけなら、変わりない。速くはならないかもしれない。手をつく壁を探さなくて良くなった。それだけで良いだろう。
「
降りてきた大鴉が言う。先を急かしたいのかもしれない。さっきより変調でない足音を響かせながら、景色は後ろへ鈍く流れていく。小さく水がはねて、輪郭をなぞって、落ちる。棒を掴んでいる手が、割れている。そのような黒い線が走っている。落ちて、垂れて、また落ちる。棒を前に進めて、体をついていかせてみる。血は止まっていない、止める方法もない。
「
大鴉はくり返して、飛ぶ。開けた道に影をつくりながら。引き返すことなく来た道の先で、両開きの扉が口を開けている。それはぐんぐん近づいてくる、迷うことなく歩いているからだろう。
木の扉、把手は黒くまばらに錆びて鈍く光を返す。ホールの奥の硝子から彼女が見ている。一人で、じっと佇んでいる。その後ろ、彼女の後ろで、影が踊る。
「
——ゥガウ!
霧を裂くような声。それを声だと思うより前に、首が動く、足が動く。後ろを振り返ろうとして、重心を崩し、足より先に頭が入り口を潜る。
扉の向こう、建物の外で、割り込んだ大鴉の羽ばたいて広がった羽がその奥の何かを阻んでいる。それは細く黒く曲がった背をしていて、犬でも、狼でも、人でもない。野性的には聞こえない、理性的にも聞こえない。奇妙さがそのまま形になったような、怪物だった。
視点が低い。座り込んでいる。唯一まともに立っている棒切れを体の脇に寄せて、言うことを聞かない手に力を込める。立ったら、走る。入り口に背を向けて、前のめりになる体と、足の反射に任せている。
「はっ……ぁ゙、おぇっ……」
えづくたびに世界が揺れる。酸素が足りていないのか、吸い込みすぎているのだろうか。暑いのかもしれないし、寒いのかもしれない。
後ろから、ばりばりと包み紙を破くような音が聞こえる。あの得体のしれない、何かは、もうすぐそこまで来てしまっているのだろうか。あの大鴉は、紙のように引き裂かれたのか。
これは、夢なんだろうか。
『胡蝶の夢だよ。同じことさ』
そうだ、どちらにせよ。何もかもわからない。覚えのない街の中の、知らない建物の、何処かも分からない通路の、影の中を走っている。走っているのか? ただ変わらずに、ふらふらと歩いているだけかもしれない。分かるのは、ただ、景色が変わっているから、前に進んでいるんだろうということだけ。
何のために。夜を越えるために。ずっと、そうだ。そうしていなければ、きっと永遠に夜を抜けられない。
不規則な足音、体を揺らしている衝撃、三つのうち、どれが自分の足なんだろうか。それすらよく分からなくなってきた。頭が揺れる、前に進むほどに景色が飛んで変わる。薄く開いた扉、割れたケース、三角コーン。壁と影は一つになって、通路が迫ってきている。冷たく粘ついた夜が。
目の前に迫る壁に銀色が光る。ドアノブが。どこまでが手で、どこからが棒か分からなくなっているところから、指を引き剥がして。
風が吹く。
冷たくない、温かくない。湿っていない、乾いていない風が吹く。壁にぶつかって、そのまま転がるように後ろを向く。
伸ばした輪ゴム。背を丸めた細く大きい影。それは裂けた口で息をしている。手を探らせる。どちらの、棒を握っていない方。ドアノブを下げる、それが目の前を埋め尽くす、棒を振る。扉の間に滑り込む間際に、それが軽く頭を振った。
体重をかけて扉を閉める。指は欠けることなくついてきている。走らないと。気管が軋んで細い呼吸の音がする。足でも棒でも前に出して。
?
暗い。ここはどこだろう。
寒い。寒い。熱い。痛い。寒い。
体を起こそうとする、けれどうまく動かない。ほっぺたがざりざりとしている。地面は少し毛羽立っている。カーペットだろうか。背中が燃えている。骨ばった手が這っている。生温い液体の上に倒れている。
『そりゃあ、君。……君から、痛みが少しでも遠ざかっていたらいいんだけど』
背後の、頭のすぐ後ろから、柔らかい声が降ってくる。
痛い。遠いけど、確かに自分のものなんだろう。だから痛い。波打ち際で、足の下の砂を攫っていくのを、思い出す。
がちゃん、がちゃん。
何度も鍵を回す音をしながら、骨みたいな足が、周りを回っている。今か今かと、息絶えるのを待っている。このまま怪物に喰われるのか。それは、駄目だ。鍵の音が聞こえる。声、まだ喋っていてほしい。意味のない話だって、私は聞いているから。
あの時も鍵を回していた、壊れかけの鍵。
『そう、君と。何回もあの古い資料室に足を運んだものさ』
……。
『でも、君の期待通りにはならなかったでしょ』
『まさか、全くの無駄骨だったとは言うまいね?』
そんなわけがない、と首を振る。今すぐ形にできるものは一つもないかもしれないけれど、楽しかった時間すら無駄なんて、とても言えない。
『どっちかと言えば、私より君の時間の方を無駄にさせたと思うんだけど』
『それこそ君が気にすることじゃないね! 教授の手伝いよりたのし……友達を手伝いたいと思うのは普通でしょ』
身振り手振りをしながら話す友人に笑う。いつも芝居がかった話し方をするのは、この奇特な人特有のコミュニケーション方法らしい。
『ほんと、何か奢るよ、いつものお礼に……根気よく付き合ってくれるからさ』
『そりゃあ、ねえ』
ばさばさ、と羽が風を切る音がする。あれ、大学じゃなくて外だったんだっけ。沢山のものが漂着した浜辺、いくつもの箱が並ぶ部屋の中。いや、カフェだったかもしれない。
そうだ、温かいコーヒーの匂い。はにかんで君は言った。
『優しい人だからさ、君が』
照れを誤魔化すように、ケーキを頬張る。口の中に違和感がして、鉄の味がする。がりがり、目の前で白い光に照らされた汚れた手が地面を引っ掻いている。埃や毛が爪の間に詰まっていく。
逃げられるとは思わない。ただ、まだ生きていると。証明したい、この体はまだ生きていて、自分はまだ死んでいないということを。今ここにいることは、全くの無駄骨でないんだと。
そうしたら、君はまた笑ってくれるかな。
――コツ、コツ、コツ。
赤茶けてぼやける意識を、硬質な音が揺り起こす。目を上に向ける。顔が動かない、視界の端が歪む。光が差している。見下ろしているのは、誰?
座っている。ガラスケースの中、冷たい光を浴びて、白い肌は、更に白く。傍らに、自分が足にしたそれとは比べ物にならない杖。柔らかいスカートの布一枚もなびかない。震えることのない睫毛、永遠の眠り。綺麗だ。今の、壊れかけて汚れに塗れた自分とは懸け離れた姿。決して手に入らない、清浄で、完璧なかたち。
「——
遠く、大鴉の低い声がぼわんと広がっていく。ネヴァモア、ああ、二度とない。醜くもがいて地を這いずる人間と、美しいまま目を閉じた人形なんて。
コツ、コツ、コツ。
繰り返し、大鴉の嘴がケースをつつく音。そこにいるはずの怪物すら、意にも介していない。
「
言葉が分からないのは、自分の頭が靄がかかってきているからか、大鴉があの人形へ語りかけているからか。見えないところにいる怪物が、唸りを上げている音ばかりが耳につく。
「
きりきり。ぜんまいを巻くような小さな音が、自分の心臓と息の音ばかりが強く響く耳に届く。視界が滲む。乾いた目と流れ込んだ赤茶色を流していく。まだ熱い水が伝って落ちて、乾く。
瞬き。一瞬の暗転。傾いていた人形の頭はまっすぐ、目は下を、こちらを見下ろしている。切れた口の中から息の塊と血と唾液が吐き出る。人形は、軽く腕を持ち上げて杖を突き直す。コン、杖を持ち上げ直した人形は、手首を回す。斜めに傾いた杖の先端がそのままの角度で降ろされる。
——ガシャン!!
透明の壁は消える。ほとんどその場に、崩れ落ちる。からんと倒れた破片の一つが、落ちてくる。ばさりと降りてきた影が、それを跳ね除けた。
「
「……配慮に欠けたわたくしの振る舞いと、怪物を御前に晒した鴉の失態、ご寛恕願います」
ため息混じりの声が振ってくる。何を謝られているんだろう。人形や鴉に、こちらへの義務は一つもない。何を負うこともないのに。ごほ、と口からは湿った咳だけが漏れる。
「煤払いを先に済ましてしまうこと、お許しくださいませ」
杖か、靴が地面を叩く。
羽とは別の、風を切る音がした。それから唸る音が絶えて、硬い布を引き裂いたような、悲鳴だろうか。あまりにも呆気のない幕引き。人形が自分と違う、正常に動くからというだけでは理由がつかない。ただ、本当に煤を払うほどに当たり前のような。
地面が離れる。体はどうなっているのだろう。硬く、冷たい棒に乗せられている。人形に抱えられているのだろうか。ああ、傷。服に血がついてしまうな。
「
「……」
「今少しお待ちくださいませ……あら……」
低い大鴉の声と少女のような人形の声が、ぼんやりと耳に響く。もう一度ぐらりと視界が揺れて、人形の青い視線が光を返す。
彼らが何を言っているのか、声にはどんな意識が込められているのか。緩んでいって、離れていく。
何時間も経ったような気がするし、ほんの数十分のことかもしれない。何でもいい、夜は越えられたなら。
「お眠りになられたのですか?」
何もかも、ゆっくりと遠ざかっていく音の中で目を閉じる。瞼に光が当たっているのだろうか。白い、白い景色。
夜が、明ける。
Everdawn 蛙形 @kaeru_no_katati
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