第4話 異世界の定食屋は、致命的に不味い
その日の正午。
俺は街の裏通りにある一軒の食堂の前に立っていた。
「(……ここなら、まともだろうか)」
昨日から口にしたのは、自分で焼いたミノタウロスの肉と、宿の薄いハーブティーだけだ。
肉は極上だった。
だが、人間の身体は炭水化物と野菜、それと温かい汁物を欲するようにできている。
それに――ギルドから報奨金の銅貨も受け取った。
店に入って、普通に飯を買える。
目の前の看板には『大衆食堂・赤猫亭』とある。
店構えは古いが、扉の蝶番は手入れされ、窓ガラスも曇りがない。
飲食店の良し悪しは、清掃に出る。
この店は「当たり」の部類に入ると、俺の勘が告げていた。
「いらっしゃい!」
扉を開けると威勢のいい声が飛んできた。
店内は昼時ということもあり、労働者風の男たちで賑わっている。
これなら期待できそうだ。
俺は空いているカウンター席に座り、壁のメニューを見た。
『日替わり定食:パン、スープ、煮込み 銅貨5枚』
シンプルだ。
だが、それがいい。
俺が求めているのは、飾り気のない、腹に染みる日常の味だ。
「日替わりをくれ」
「あいよ!」
注文を済ませ、俺は水を一口飲む。
……ぬるい。
それに、わずかに土っぽい。
井戸水だろうか。
ろ過が甘いのか、口の中に細かい引っかかりが残る。
硬い水の感じもある。
まあ、この世界の基準なら、こうなるのかもしれない。
数分後、目の前に盆が置かれた。
「お待ちどう!」
どん、と置かれたのは、拳ほどの黒パン、何かの根菜が浮いたスープ、そして茶色い煮込み料理だ。
見た目は悪くない。
湯気も立っている。
「(いただきます)」
まず、スープ。
俺はスプーンを入れた。
透き通った出汁ではなく、少し濁りがある。
野菜の旨味が溶けているのだろうか。
期待を込めて、口に運ぶ。
ズズッ。
「(…………?)」
手が止まった。
味が、しない。
いや、正確には塩気だけがある。
出汁の概念がないのか。
野菜をただ湯で煮て、塩を放り込んだだけの味だ。
しかも、浮いている根菜のえぐみが強い。
舌の横が、じわっと渋い。
「(灰汁抜きが、されてないのか……)」
眉間に皺が寄るのを抑え、俺はパンに手を伸ばした。
黒パン。
見た目はどっしりしている。
齧り付く。
ガリッ。
「(……硬い)」
外側が硬いのはいい。
だが、これは中まで詰まりすぎている。
噛めば噛むほど、酸味が広がる。
発酵が進みすぎた、嫌な酸っぱさだ。
小麦の香ばしさはほとんどない。
残るのは、酸っぱい土を噛んでいるみたいな感覚だけ。
「(……参ったな)」
スープもパンも、空腹を満たすための燃料でしかない。
「食事」としての喜びが欠けている。
だが、まだメインがある。
煮込みだ。
見たところ、肉と豆を煮込んだものらしい。
肉なら、多少のことは誤魔化せる。
そう思っていた。
俺はフォークで肉片を突き刺し、口に入れた。
「(……)」
噛んだ瞬間、鼻孔を突き抜けたのは――獣の腐臭だった。
「(臭い……)」
血抜きがされていない。
それどころか、内臓のような臭みと、古くなった脂の酸化した匂いが混ざっている。
香草で消そうとした形跡はある。
だが、完全に負けていた。
俺は口元を手で覆い、なんとか飲み込んだ。
胃が、嫌な音を立てる。
「おい、兄ちゃん。残すのかい?」
カウンターの奥から店主が声をかけてきた。
太い腕を組み、どこか挑戦的な目つきだ。
「うちの煮込みは、この辺じゃ一番人気なんだぜ。オークの肉をたっぷり使ってるんだ」
オーク。
豚に似た魔物だと聞く。
豚肉なら、もっと美味くできる。
これは調理以前の問題だ。
「……肉の下処理は、どうなっている?」
俺は静かに尋ねた。
文句というより、確認だ。
「下処理? ああ、血抜きのこったろ? そんな面倒なことしてたら、銅貨5枚じゃ出せねぇよ。食えば精がつくんだ、文句言わずに食いな」
店主は鼻で笑った。
面倒。
その言い方は、胃にくる。
「(……不快だ)」
俺は席を立った。
銅貨5枚をカウンターに置く。
「残りは結構だ」
「あぁ? なんだその態度は。せっかく作った料理を……」
「料理とは、呼べない」
俺は店主の目を見て言った。
「俺には、餌に近い」
店内が静まり返った。
店主の顔が赤黒く変色していく。
「てめぇ……! この店を馬鹿にする気か! 表に出ろ!」
店主が包丁をダンッとまな板に突き立てた。
脅しのつもりだろう。
だが、俺の心は動かない。
恐怖より、失望のほうが大きい。
俺は背を向け、店を出た。
背後で店主が何か喚いているが、もう耳には入らない。
外の空気が、妙にうまく感じる。
酸化した油と妥協の匂いから解放されただけで、助かった気分だ。
「(……腹が、減った)」
一食を無駄にした。
その事実が、空腹をもう一段鋭くする。
「ドンガオ様?」
声をかけられ、振り返るとミレナが立っていた。
手にはいつもの帳簿。
「お食事でしたか? ……あまり、お口に合わなかったようですね」
「ああ。ひどいものだった」
「この街の『普通』ですよ、あれが。流通している肉は、処理が雑なものがほとんどですから」
ミレナは淡々と言った後、少し声を潜めた。
「でも……噂では、ダンジョンの近くに『当たり』の肉が出る屋台があるそうです。出所不明の肉ですが、味は確からしい、と」
ダンジョンの近く。
出所不明。
怪しい響きだ。
だが今の俺には、「当たり」という言葉が、妙に明るく聞こえる。
「(……行ってみるか)」
俺は歩き出した。
人の作る料理が信じられないなら、素材の鮮度で勝負するしかない。
ダンジョン。
そこには、俺の舌が納得する何かがある気がした。
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