最終話【健康と美容】(終)
忘年会の時に見せた、知性を兼ね備えた賢王の顔だ。
「よかった……」
殿下はもう、自由なのだ。
そう考えた途端、私の体から一気に力が抜ける。
崩れ落ちそうになる体を、殿下が隣から腕を伸ばし支えてくれた。
「なんで……なんでよぉ……!」
柔らかな空気が漂い始めた中で、ユフィの唇から苦々しい声が紡がれる。
へたりこんだまま、爪を噛んでいる。
よく見れば爪はもうボロボロで、指先は何度もさかむけているのか血が滲んでいた。
『もう、立ち上がることもできないのでしょう? それだけ肉も筋肉もそぎ落とし、自分の体を虐待したのですもの。当然の報いですわ』
「父上、この件はユフィのスキルに、救済の指輪――マジックアイテムが混じった結果です。直ちに調査をし、しかるべき対応をお願いします」
「うむ」
王族までもを巻き込み、国を揺るがしたのだ。
軽い刑では済まないだろう。
「なんで……私はヒロインなのに……なんで、なんでぇえ? こんなに綺麗なのに……なんで分かってくれないの……」
彼女の嘆きには、もうなんの力もない。
叫ぶだけの体力すら、無理なダイエットで枯渇しているのだ。
だけどユフィの姿は、もしかしたらアスカのいなかった場合の私の姿なのかもしれない。
一歩足を踏み外せば、あっという間に間違った美へ進んでしまう。
美しさを求めることは悪ではない。
だが美しさとはなんなのか、一番大事なものを、私はアスカに教えてもらったのだ。
「健康でいなくちゃ、綺麗になんかなれないわ」
零れた言葉は、だがユフィには届かないのだろう。
「そんなの嘘よ……カリカリでいてこそ、美人でいられる。細い体が一番綺麗なのよ……」
爪を噛み、自分の顔を搔きむしるユフィの姿は痛々しく、輝いていたあの頃の面影はどこにもない。
すべてがもう、終わったのだ。
今後ユフィがどうなるのか、私には分からない。
だけど、せめて。
「元気になって」
そう祈るしかない。
窓の外には澄み渡る青空の中、悠然と輝く太陽が見えた。
◆ ◆ ◆
一人のスキルが暴走し、国を混乱に陥れた――。
ユフィの及ぼした影響は強く、公にはそう発表された。
かつて作られた【救済の指輪】が関わっていたことを知るのは、一部の人間だけに留まった。
正しく使えば特効薬ともなり得る医療アイテムだが、今回のように再び間違った使い方をする者が現れないとも限らないためだ。
知らなければ使わない。事件の裏に救済の指輪がが存在したことは、ひっそりと伏せられて終わった。
ユフィはその精神状態を鑑み、僻地の修道院へ送られることとなった。
神官に鑑定をしてもらったが、ユフィは体力と同時にスキルも失ったようで、もう今はなんの力もないという。
空気のいい場所で、少しでも元気になってくれることを願う。
◇
わずかに積もった雪も解け、季節は春になった。
学年も上がり、まもなく新学期となる。
一般生徒は春休みだが、生徒会は新入生を迎える準備に追われている。
私もすっかり生徒会メンバーのような扱いになっていて、当然のように春休み返上で学園に来ていた。
「時給発生しますよね、これ」
「仕事の合間にモチモチを触ると癒されていいですよ」
「うおおお、アスカさーん! 結婚してくれえええ!」
『静かになさい! セロトニンというものを知らないんですの!?』
今日も生徒会室は賑やかだ。
だがこの平穏が、なにより愛おしい。
私は殿下と共に職員室に荷物を届け、静かな廊下を歩いていた。
「どうにか落ち着いたね」
「無事に明日を迎えられそうで、安心したわ」
歩きながら、そんな話をする。
春休みの学園は生徒がおらず、廊下はとても静かだ。
殿下の穏やかな声がよく響き、心地のいい空間でもある。
だが隣を歩いていた殿下が、ふとその足を止めた。
「そうじゃないよ、ココ」
もうすぐ生徒会室が目の前だというのに。立ち止まる理由が分からず、首を傾げた。
「もうすべてが終わって、落ち着いたよね? 返事、聞かせてほしいな」
一体なんの話だっただろうか。
そう考えて、すぐに考えに思い至る。
殿下の手が、ゆっくりと私の手を握った。
「好きだよ、ココ。僕と結婚してほしい」
まっすぐに私を見つめるアイスブルーの瞳。
自信たっぷりで、私に断られるなんて全然思ってもいないんだろう。
だけど触れる指先が冷たくて、ほんの少しだけ震えていた。
どうしよう、愛おしさだけが募って言葉にできない。
返事のできない私をどう思ったのか、殿下はほんの少し不安そうな顔をする。
「モチモチじゃない僕じゃ、駄目?」
この一年、殿下は努力の甲斐があり、とても痩せてかっこよくなった。
180cmで120kgだったモチモチ殿下は、今は体重82kg、体脂肪率はなんと15%まで落ちている。
騎士団の訓練に混じっても、遅れをとるどころか席巻しているのだというから驚きだ。
文武両道、優しく賢い王太子殿下と名高い。
今、私の目の前でシュンとしょげ返る殿下はきっと、ほかの誰も知らないのかもしれない。
胸のあたりがキュウと甘く切なく疼く。
湧き上がる想いは言葉となり、もうそれを隠すことは難しい。
いや、もう隠さなくてもいいのだ。
握られていた手を、強く握り返す。
「モチモチじゃなくても、いいの。私は、アッシュだから。アッシュが――好きなの」
開いていた窓から、桜の花びらが吹き込む。
驚きに目を見開き、それからクシャリと嬉しそうに笑う殿下の姿を彩った。
「ココ! ああ、どうしよう。僕は今、人生で一番幸せだよ!」
「きゃあ!」
殿下はそう叫ぶと、私を抱きかかえた。
目線の下に殿下の金髪がきらめく。
「大好きだよ、ココ。ずっと僕のそばにいて」
「もちろんよアッシュ。嫌だっていっても、いるんだからね」
私を抱きかかえたまま、殿下はくるくると回る。
逞しい腕もブレない体幹も、この一年殿下が築き上げてきたものだ。
『おーっほっほっほ! ほら見なさい! ついにお嬢様が殿下を射止め、これでめでたしハッピーエンドですわ! おーっほっほっほ!』
高笑いに振り向けば、廊下のど真ん中にアスカが扇を開いて立っていた。その上、少し開いた生徒会の扉からは、全員ひょこりと顔を覗かせている。
「あ、アスカ! 静かにしなさいっ! 品位を疑われますよ!」
「あーあ、バレちゃった。ま、殿下がいつまでも奥手だからしょうがないよね。ハイ、俺の勝ち。みんな千円ずつくださーい」
「アスカさん! 次は俺たちの番だな!」
ぞろぞろと出てきた彼らは、好き勝手ばかり言っている。
だがそれがいい。
これがいいのだ。
個性豊かな彼らはきっと、ゲームの世界ではなく今を生きている。
知らない誰かを好きになったり、働いたり、もしかしたら大冒険に出るかもしれない。
そんな幾枝にも広がる未来が、みんなの足元には広がっているのだから。
「もうっ! 人の恋路で賭けをしないの!」
そう怒ってみるものの、口元の緩みは隠し切れない。
穏やかな春の日差しの中、私たちは歩いていく。
◇
そして数年後、変わらぬアスカの高笑いが響くのだ。
『おーっほっほっほ! お嬢様、よく聞きなさい! ブロッコリーやほうれん草は素晴らしい食材ですが、葉酸だけではいけませんわッ! 二人分の血液を作るための鉄分、カルシウムを欠かすなど、沸かしていない白湯のようなもの! 栄養を摂りつつ妊婦のむくみ解消を狙うメニューは、これですわ!』
私とアスカのダイエット――改め健康管理は、まだまだずっと、終わらない。
終
120kgのモチモチ殿下!痩せさせなければ私が死ぬ!?〜モブ令嬢が破滅回避のため悪役令嬢(スキル)と一緒に栄養管理したらなぜか溺愛されました!~ あかつき @akatsuki-
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