第39話: 違う世界
森を抜けた瞬間、視界がひらけた。
思わず、足が止まる。
そこにあったのは――
戦場でも、荒野でもない。
緩やかな起伏の大地。
等間隔に区切られた畑。
低い木造の家屋が、川に沿うように並んでいる。
どこか懐かしい。
ガロンの胸に、説明のつかない感覚が広がった。
「……田舎、だな」
ソフィアも同じように呆けた声を出していた。
整いすぎている。
だが、作られた感じがない。
“そう在る”ことが当たり前の風景だった。
その時だ。
――気付く。
追ってきていたはずの、オークの足音がしない。
さっきまで、あれほど近かった唸り声も、枝を折る音も、
嘘のように消えている。
「くそ……気づかれたか?」
ガロンは舌打ちした。
陽動は失敗か。
それとも、別ルートに散ったか。
どちらにせよ、このまま開けた場所に留まるのは危険だ。
「一度、戻るぞ」
ソフィアが頷く。
二人は、再び森へと足を踏み入れた。
――そして、見た。
木々の間の、少し開けた空間。
そこに、一人の女性が立っていた。
腕には、小さな男の子。
いや、抱いているのではない。
守るように、前に立たせている。
その正面に――
オークが、三体。
牙を剥き、低く唸りながらも、
なぜか踏み込めずにいる。
「……は?」
ソフィアが、思わず声を漏らした。
女は、武器を持っていない。
鎧もない。
布を何重にも重ねた、不思議な衣。
土と草と水の色が溶け合ったような装い。
それでも――
オークは、彼女に近づけない。
女は、静かに口を開いた。
「ここは、あなたたちの道じゃない」
声は大きくない。
威圧もない。
だが、確かに届いていた。
オークの一体が、苛立ったように地面を踏み鳴らす。
それでも、前へは出ない。
女は一歩、前に出た。
その動きに合わせるように、
男の子が小さな手で、彼女の衣を掴む。
「……戻りなさい」
それだけだった。
次の瞬間、
オークたちは低い声を残し、森の奥へと引いていった。
――逃げたのではない。
引き下がった。
ガロンは、剣に手をかけていない自分に気づき、驚いた。
(なんだ……この感じは)
敵でも、味方でもない。
それ以前の何かだ。
女が、こちらを振り返る。
目が合った。
不思議と、敵意はなかった。
だが、すべてを見透かされているような気分になる。
「……通りすがりか」
女が言う。
問いではない。
確認でもない。
ただの、認識。
ガロンは一瞬だけ言葉に詰まり、
それから、名乗るのが正しいと直感した。
「俺はガロン。
こっちはソフィアだ」
女は、少しだけ考えるように首を傾げた。
子供の頭に手を置き、
それから、静かに口を開く。
「ミヅハ」
その名が、森に落ちた。
水面に波紋が広がるように、
ガロンの胸の奥に、何かが揺れた。
「……神、か?」
思わず、そう聞いていた。
ミヅハは、首を横に振る。
「神、という言葉は知らない」
「この土が芽を出すことと、
川が流れることと、
争いが起きることを――
同じものとして見ているだけ」
ガロンは、ゆっくり息を吐いた。
わからない。
理解もできない。
だが、確信だけはあった。
――この女は、
裁く側ではない。
ソフィアが、小さく呟く。
「……ねえ、ガロン。
この人、危なくないよね?」
「ああ」
ガロンは、はっきり答えた。
「少なくとも、俺たちよりはな」
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