第3話 共有される記憶への応援コメント
全然関係ないですが、日本の集合写真で亡くなった生徒が写るときは隅っことか後ろにですが、アメリカの場合は国民性か真ん前に写るそうです。
作者からの返信
平 一悟 様
なるほど、とても印象に残るお話ですね。
国や文化によって、
「亡くなった人をどう写すか」という感覚は、思っている以上に、その国の記憶の持ち方を映しているのかもしれません。
日本では、そっと隅に残されることで、見えなくならないまま、静かに距離を保つ。
一方でアメリカでは、前列に置くことで、『確かにここにいた』、という事実をはっきりと残す。
どちらが正しいというより、
その違い自体が、人がどうやって記憶と一緒に生きてきたかを
語っているように感じました。
記憶は、ときどき配置を変えながら、それでも消えないふりをするものなのかもしれませんね。
考えさせられる視点を、ありがとうございました。
第1話 春の光への応援コメント
コメントはじめてです。
恋は、記憶のふりをする——忘れられた名前
第1話 春の光を読ませていただきました。
まず、自然体の文章に感服いたしました。
遥の思考、動作、感覚まで流れるように綴られており、非の打ち所がありません。
光の存在は遥の記憶の中の情景だと思うのですが、現段階では判然としないところも先の物語の展開を広げてくれます。
長くなりましたが、今後の執筆を楽しみに待たせていただきます。
作者からの返信
シバカズ 様
コメントありがとうございます。
光や季節の描写に目を留めてくださり、とても嬉しいです。物語の雰囲気や遥の感覚を大切にしながら、丁寧に紡いでいきます。
温かいお言葉は大きな励みになります。これからもどうぞ、静かに物語の世界を楽しんでいただければ幸いです。
第3話 共有される記憶への応援コメント
客観的事実があっても、自身の記憶の正誤が確認できる訳でもありませんよね。
そもそも、客観的事実すらもそれが真実である保証は存在しませんからね。
唯一性は真実ではなく、観測された事象だけなのかもしれません。
作者からの返信
K-enterprise 様
深く受け取ってくださり、ありがとうございます。
真実かどうかよりも、「どう観測されたのか」という感覚を大切に書いていたので、そう感じていただけたことが嬉しいです。