昨今は、割と「頂き女子」絡みの大きめな事件が取り沙汰されることが多くなったように思います。
「頂き」のスキームを販売して刑務所にぶち込まれた「りりちゃん」はまだマシな方で、無敵化した「おぢ」に命を「頂かれる」という展開を迎えた事件も後を絶ちません。
しかもその事件を紐解いてみれば、「頂き女子」側も誰かにいいように使われて金を収集するためのピエロのような存在だったというパターンまであって、なんとも事件の業の深さが感じられます。
ただ共通するのは、この「頂き女子」と呼ばれる女性たちが、押しなべて教養が低そうなカスであるということ。
世間的には「ぶっ殺されてもやむ無し」な風潮がすでに出来上がっているわけですが、それでも飛び込んでいく程度には無知無学で浅慮なわけですね。
これをただの「自業自得」と笑うか、それとも「周囲の家庭環境が生んだ悲しく醜悪な者の末路」と見るかは、まぁケースバイケースでしょう。
そういう意味では、本作はある意味安心して読むことができます。
おぢを食い物にする「頂き女子」側はヘイト稼ぎまくりで、反省という文字を知らないかのような救いようのないカスとして描かれており、一切同情の余地がないです。
そして、それに相対し貢ぐ「おぢ」側も、タイトルからしてただ妄信的に金をドブに突っ込んでいるわけではなさそうという雰囲気が感じられます。
欲望、金、虚飾、嘲り。
それらがすべて混ざり合い、汚泥よりもひどいドドメ色の溝カスとなり、醜悪に彩っていく本作は、なかなかにアクが強いです。
そしてこの仄暗い優越感じみた愉悦は、そんなアクの強さからしか味わうことができません。
互いの思惑が交差したその結末に待ち受けるものを目にしたとき、きっとあなたの中に邪悪なほくそ笑みが残ることでしょう。
ああ、こいつらと関係がない世界に生きててよかった、と。
何、引け目を感じる必要はありません。
本作はフィクションなのですから。
救いようのない病理というか、どうしようのない業のようなものを感じました。
大野雄二は「頂き女子」と思われる相手とパパ活で知り合う。相手は何かと金が必要になると泣きついてきて、それに多額の金を支払うことになる。
一方で雄二から金をたかる中野凛花はホストに入れ込み、「推し」を一番にするために「頂き女子」などをして金をかすめ取ることを第一としていた。
凛花の完全に壊れてしまっている精神。倫理なんて感覚もなくなっている状態の彼女は一体どんな結末を迎えるか。
そして、それに入れあげていると見える雄二もどうなってしまうのか。
そんな二人の運命が交錯した時に、「ある事実」が。
凛花のような人間は本当に現実のどこかにいるのかもしれない。そして、想像力もなく、ただ目の前にある快楽のためだけに他者を簡単に犠牲にできる人間。
本作はそんな「歪んだ人間」の精神を垣間見させつつ、「絶望感のその先」のようなヴィジョンを示してくれるのが特徴的でした。
「分別(ふんべつ)」を持たなかった人間は、最後に「分別(ぶんべつ)」される運命にあるのかもしれない。そんなことも思わされました。