この作品の読み解き方についての技法面でのヒントは、他の方が応援コメントとして詳しく書かれているので、そちらに譲るとして、こちらは感覚的に読む場合について書こうと思う。
一読した限りでは、舞台が一般的な病院の待合室なのかそれとも歯科のそれなのか、はたまたそのどちらでもないのか、つかめそうでつかめない、という人が多いと思う。
その上で、この作品の魅力は「なんだかよくわからないけれど、不気味で美しい」点にあるだろう。
思い起こされるのは、手術など大掛かりな治療を受ける時に感じる気持ちだ。あまり経験がないことだし、実施前から起こる、どんな痛みが待ち受けているだろうという、緊張感や不安、焦燥感、そして恐怖が、喉元までせり上がってきて、息苦しいような生々しい不気味さを感じさせる。
一方で、「真珠」や「真珠の女」の描写は美しく、読み手をうっとりとさせるものがある。採れたての、まだ海水に濡れてゆらゆらと輝きを放つ瑞々しい真珠が、頭に浮かぶ。「平たい皿にミルクの匂いをかがせて、ふちをペロッと舐めたような表情」という部分など、具体的にどんな表情なのか考え込んでしまうのに、何度も読み返したくなるような、艶っぽさと可愛らしさを兼ね備えた美しさを感じる。
終盤では、この作品の救いのような存在だったけがれのない「真珠」が、一転、鮮血にまみれている光景が浮かぶ。
人間は、一貫性が無く、矛盾を抱えた生き物だ、というのが、忘れてしまいがちな「本当のこと」だと思う。美しい真珠を、そのまま変わらないよう永遠に取っておきたいという気持ちと、血にまみれさせて台無しにしてしまいたいという気持ち、両方を抱えながら生きているのがやはり人間なのだ、ということを思い出す。
細かい解釈はひとまず脇に置いて、そんな不気味さと美しさが同居している世界観に、肌が粟立ち背筋にうっすら悪寒が走るような思いをし、幻惑的な文体によって現実から離れながらも現実に思いを馳せるに至ることが、この作品の楽しみ方の一つなのではないかと思う。
ここから先は蛇足かもしれないが、先程引用した「真珠の女」の表現についての描写は、猫を彷彿とさせる言葉が並んでいる。そういえば、作品の最後の方で、彼女に関して「猫のように手を伸ばし」と書かれていた。
こんな風にヒントを拾いながら考えていくと、この作品が意味するところが見えてきそうだ。悩んだら、作品の紹介文をもう一度読み返してみると良いかもしれない。