第25話 影が降る日
レインは、ずっと水晶を見ていた。
独房の壁一面に投影された映像。
そこに映るのは、神殿上空に浮かぶ無数の結晶群と、
整然と配置につく『ヌル・クワイヤ』たち。
止められない。
止まらない。
それを、ただ“見せられている”。
『正しい』
頭の中で、もう一つの声が囁く。
『秩序が始まる』
『混乱は終わる』
(……違う)
(これは……虐殺だ)
二つの意識がぶつかり合う中、
映像が、急激に切り替わった。
――視界が、歪む。
次の瞬間。
王都の外縁部が、映し出された。
城壁のはるか手前。
あり得ない距離。
だが教団軍は、そこに“いた”。
ノアが、静かに手を掲げる。
空間が折れ曲がり、
軍勢そのものが転移していた。
行軍ではない。
出現だった。
警鐘が鳴る前に、
軍はすでに城門前に立っていた。
「……っ」
レインの喉から、声にならない音が漏れる。
次の瞬間。
神殿の最奥、水晶越しに――
“影の神”が、目を開いた。
セフィ。
いや、もはやそう呼ぶべきではない。
彼女の周囲に、影が集束する。
感情のない、静かな声が王都全域に響いた。
『――始めなさい』
それが、進軍の合図だった。
空が、裂けた。
水晶群が一斉に起動し、
黒い光が王都へ降り注ぐ。
潜伏していた教団員たちが、各地で姿を現す。
市場。
路地裏。
貴族街。
下層区。
同時多発。
逃げ惑う市民。
悲鳴。
混乱。
男たちは、容赦なく殺された。
抵抗する者。
逃げようとする者。
理由はない。
“男である”という一点だけで。
女性たちは殺されない。
代わりに拘束され、連行されていく。
泣き叫ぶ者。
呆然と立ち尽くす者。
選別は、一瞬だった。
騎士隊が出動する。
だが遅すぎた。
情報も、想定も、何もかもが不足している。
「敵はどこから来た!?」
「数が……多すぎる……!」
混乱の中、前線は崩れる。
ヴァルカが城門を正拳突きで粉砕し、
ミゼリアの水が街路を血で染める。
リュシアの幻惑が隊列を狂わせ、
敵味方の区別すら失われていく。
戦いですらない。
蹂躙だった。
王城内部。
最後まで残った近衛たちが、王の前で立ちはだかる。
セラの雷撃が一蹴する。
エリスが、静かに手を翳した。
王の身体が、歪む。
声は出る。
恐怖に引き攣った顔のまま、
逃げることも、死ぬことも許されない姿。
玉座前。
民衆が集められる。
泣き、叫び、震える中。
ノアが、王の背後に立った。
指先が、思考に触れる。
王の口が、ゆっくりと開く。
「……我が国は……」
声は、確かに王のものだった。
だが意思は、違う。
「影の教団に……降伏する……」
民衆が凍りつく。
誰かが叫ぶ。
誰かが膝をつく。
誰かが、壊れる。
水晶越しに、そのすべてを見ながら――
レインは、何もできなかった。
拳を握っても、鎖は外れない。
叫ぼうとしても、声は喉で潰れる。
(……俺が、選んだ結果だ)
アリアを救うため。
セフィを守ろうとして。
世界を、差し出した。
『必要な犠牲だった』
もう一つの声が囁く。
『争いは終わる』
『これで、世界は静かになる』
(……静か、なんかじゃない)
(これは……死んでるだけだ)
王都は、影に覆われていく。
炎。
血。
絶望。
そしてその中心で。
影の神は、ただ静かに見下ろしていた。
感情も、迷いもなく。
世界が“正しい形”へ矯正されていく様を。
レインの視界が、滲む。
涙ではない。
それすら、もう出なかった。
ただ一つ、確かなことがあった。
――もう、戻れない。
世界は、終わった。
彼の選択と共に。
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