編集済
無情の鵺 リライトへの応援コメント
ご、ごめんなさい……。
再び見ようとして、手が変なところに当たってしまいました。
あ、つ、通知、い、行っていませんか?
なら、全然大丈夫なのですが、ナニコイツとなってしまいそうだと……。
ハート、取り消したわけではありませんので!
本当にすみませんでした!
作者からの返信
はい? いや、そんなびくびくしないで大丈夫ですよ苦笑
何度も読み返していいです。勿論、これは違うなとか、これは譲れないな、とか、そう思う気持ちを大切にしてください。
私は確かに、一つの正解を書きました。これは私の美学、技術、考え方から導かれた形でしかないんです。解説でも触れましたが、私は元文も好ましく思ってます。
ただ、だからとそのままぽんっとリライトしました、みたいに提示しては比較したり、なにがどう違うのか、分かり難いでしょうから。
描写や説明の違いにしろ、カメラワークにしろ、比喩の置き方にしろ。なにかしら糧になれたら本望です。
ですから、気楽にゆーるりと分からないところとか、質問があればしてくださいね。近況とかでも、他の方のリライトでも、ほんまに気楽に。
私はこの企画、作品や作者の向上や糧になりたくて開催してます。無論、私の研鑽もありますけど。
極論で言うと私はもう、私の美学で完成されているので、あんまりスタンスは変わらないです。文体とか書き方は変えられますが、根本の部分は、ですね。
まあ、そんな訳で。気にせずどうぞー
編集済
解説への応援コメント
余りに高度なやり取りに、青ざめて震える。
元も美文なのに、と。
小説のリライト教室に、ただの作文を提出してしまった……どうしよう(戦慄)。カクカク。呆然自失。
読んでいると、カクヨムで洗練された文章を書く人は多いのに?と。なるほど、これが足りないのか……。
そうか、カメラワークか……。プロット作って、美文を習得して、音響匂い、カメラワークをする? 震える……。
脚本、ライティング力、撮影アングル……。作家さんって、そうか、一人制作だから全部するのか。
小説を書きたいのでなくて(無理だから考えたことない)、「大人のお伽話」を楽しく書きたいだけでカクヨムにやって来た私は……蒼白。
そういえば子供の頃に、漫画を一度描いたことを思い出しました(少額貰ったw)。(あ、その職ではないです)コマ割り、ものすごく難しんですよね(これが一番無理だったような?)。一回でも経験があると分かるけれど、一流の漫画家さんは上右から左下まで流れるようにコマを切る。
双子の野球漫画の人は、今風漫画(説明過多)とは違って、描写だけで恋心を見せているし。
小説を読んでいても、あっという間の世界に惹かれて読めてしまうのはそういう事? ふわっと世界が広がるってこういう理由? 美文だけでない何かってこういう事?
掲載始めた限りは完了させるまで書く、と決めている。(消さないし)
下書きがかなりあってたぶん完了させられるけれど、残りの期間、脚本、ライティング力、アングル力の何もない自覚があるのに、載せ続けるのか……。(撮影アングルとか……絶対無理だ)
プロになりたいとか、コンテストに出したいとか、考えていなくて楽しく書きたいだけ(でも足りないことだけ分かる)けれど、どうしたらいいんだろう。カクカク。
作者からの返信
いやそんなビビらずどうぞ苦笑
これは数多ある正解の一つです。私の場合、少々特殊なので正解ではあっても作者様の正解ではないと思います。
美学、譲れないものや、描きたいもの、それを忘れず違和感や解釈違いだと思うように書いていたりする側面はあります。
だって極端な方が比較して、参考にし易いでしょう? 全文をリライトするのはそうした意図があり、私の美学から本当は弄りたくないなって文もあります。
が。
それだけじゃあ、分かり難いもので。なら徹底して、技術的、技巧的な書き方を優先していたりします。他の方のリライト、解説、原文を読むのも無駄にはならないと思いますよー
解説への応援コメント
今回はリライトありがとうございました!
演出……カメラワーク……。む、難しい……!
私の書く文章が説明寄りなことは、いろいろ指摘を受けたこともありやっと理解が出来たところです。
正直、わりと感覚的に適当に書き散らしていた部分が大きかったので、こうして言語化していただけると非常にありがたい。
カメラワークについては、だいぶ昔に「カメラの位置が違う方に向くのはおかしい」と言われて以来、位置を固定する癖が出来てしまったので、もっと寄ったりくるくる動かしていいのだなと改めて気付かされた感じです。周囲とキャラ、それぞれにフォーカスを動かすことで、立体的、多面的な画面作りができるという……感じなのかな……。とりあえずリライトしていただいたものをもう一周してよく観察してみたいと思います。
そして再び演出。
基本的に目に見えるものを描くだけでは演出足り得ない……というのはなんとなく理解できたかなと。言葉に複数の意味を持たせる……羊の話で言うなら、そこにいるだけではなく、モチーフとして話に絡ませられるとより意味を持たせられるということ……。全体的にその瞬間だけの言葉として投げ捨ててしまうのではなく、後々に意味を持たせることで文章にも肉付けができるのだろうか……。
描写と説明は違うと言いつつも、その境界がいまだ微妙に理解できていなかったことを思い知って戦々恐々としています。我ながら文章だけでも無知をさらしているので、もう少し学ぶべきだと思いつつも、こういう理屈はどこで学べるものなのだろう……? ……とりあえずできることから始めようと思います。
技術は磨けると信じて、もう少し頑張ってみます。
基本的に「自分何書いてんだ状態」ではあったので、こうしてリライトと解説を加えていただけたことで多少は書く方向性がはっきりした感じです。
……実際書けるかどうかはまた別だとは思いますが……!
意識的に書くことで何かしらの成長が得られたならそれは良い傾向だと考えつつ、とにかく今は少しでも前に進むためにいろいろ吸収してみます。
いろいろ書き散らしてしまいましたが、今回は本当にありがとうございます。
お時間をかけていただき、感謝しております……!!
作者からの返信
カメラワークに関しては視点ブレとの戦いではあります。私のこの三人称神視点はちょっと特殊な書き方で、相当に危うい書き方ではあります。
質感や文脈、そうしたもので映像の間を必ず繋いでいるんですが。五感を引き金にして、楔、アンカーみたいに据えるイメージ。
もっと噛み砕くと、頭の中でカットのないアニメを流したとします。で、それを三人称神視点として内側や外側をすいすい飛び越えると大抵は破綻します。
我ながら筆力の暴力で制御してますが、神視点は制御出来ると最強なので楽しいです。
リライトでは説明を描写に置き換える、を繰り返したりしてますが。説明と描写の比率はあなた次第です。
で、一応、説明と描写の違いは第一回でも触れているのでそちらも是非。後は、創作論の「描写の種類」も参考になります。
なにか質問があれば近況とかふらっときてください。暇人なので、ほんと気楽に。
補足
私は感覚で書けず、計算なので必ず書けるようになります。こうして言語化したり、リライトしたりしているのが証明です。
才能は研鑽で潰せるっ!
あ、具体的な練習方法とかも語れますので、もし気になったらどうぞー。
編集済
神様は神託の鐘を鳴らさない。 リライトへの応援コメント
大丈夫。圧はないよ()
リライトを読んでいて浮かんだのは、『狼と〇辛料』のようなカメラワークです。あるいは『十二〇記』に近い雰囲気でしょうか。
ライトノベルでありながら、少し文学寄りの空気があるという印象を受けました。つまり「ライトノベルとファンタジー文学の中間」みたいな。
作者さんがどこを目指したいかにもよりますが、手触りやカメラワークは勉強になりそうです。
作者からの返信
神視点は大雑把に二つありますよね、冷徹な記述タイプと寄り添いタイプ。イメージは海外本とこれみたいな。
今回は特筆して、その物語をどうみせるか? にあると思ってます。会話にしろなんにしろ。
カメラワークは弄る程に視点ブレのリスクはありますが、接続詞になるだけ頼らずシームレスに繋げる快感は他にないので体験して貰いたいところ。
どのリライトもそうですが、どう演出するか、その糸口になったり設計の仕方が掴めたら本望です。
余談
ホロは良い……良い子。
編集済
LINK ー警視庁・特殊捜査課ー リライトへの応援コメント
先生! 二点だけ気になった箇所があります。
一点目:「白石の知性が、読者の理解力を追い越してしまわないか」
「石炭がお似合いだよ」という返しについてです。読者がベファーナの伝承を知らなくても「何やら凄い皮肉で言い返したな」と伝われば良し、とする設計でしょうか。
白石の底知れない有能さを演出するには、その引用元となる知識という「下地」がないと、凄みが伝わりにくい懸念があります。読者に知識を強要せず、かつ白石の有能さを際立たせるには、新崎に「解説」させるのではなく「反応(驚きや感心)」をさせるのが最適だと思います。
(例)「へぇ……この状況でイタリアの魔女(ベファーナ)を引用して皮肉を返すなんて。白石、君、相当性格悪いね?」
二点目:物理的な「カメラの位置」のズレ
本作はミステリーだと思いますので、主人公である白石の視点から「見た・感じた」という体験に誠実であるべきだと感じます。たとえば、以下の箇所です。
>白石のきょろきょろする姿に、柔らかくも凛とした声が掛かる。
この一文は、カメラが「白石の外側」に回って彼を客観視してしまっています。白石の視点に徹するのであれば、「きょろきょろしている自分」を外部から描写するのではなく、「視界が定まらずに彷徨っていると、声に引き戻された」というように、彼の内面的な感覚として書く方がより自然ではないかと思います。
以上です。横やりすみません。
作者からの返信
一つ目は端折ってはいますけど、要点は『無駄にならないように使い倒しましょうね』にあります。
表現の仕方は様々かなぁ。見せ方もです。
これってこのワンシーンの演出だけの視点じゃなくて、伊語をなぜ出すの? に対するアンサー。
じゃあ皮肉を言わせよう、ならこっちやあっちでも無駄にせず使い倒そう。
どちらかと言えばこの設計思想自体が伝わる方が優先かなぁと思いまして。あ、作者に。読者目線だと演出は他にもあると思うー。
二つ目はシンプルに直し忘れー。
最初に三人称だけで書いて、そっから白石くんにフォーカスで直してたんですけど。私がやってた塩梅について解説してなかったからしましょう。
言われてみればそうよなあ、この視点位置に付いては解説しとかなあかんかった。
リライト文の更なる補足。
比較の為に文をちょっと直しますね、分かり易くなるので。
『きょろきょろする白石に〜』
とすると、主語的にも白石くんにフォーカスされるから良いと思う。更に踏み込むと面白いのが。
これってどこまで白石フォーカスするかもあるんですよね。
あくまで白石にフォーカスしつつ三人称として外部に置くか、それとも完全に一元にするか。ここは作者の意図によるかも。
私はどっちでもありかな。白石にあくまでも縛られるか、フォーカスはするが外にも置くか。
神視点か一元かってやつ。
徹底するなら白石フィルターありきの
『きょろきょろしていると、凛とした〜』
みたいに省いた方いい。
あとは作者様に任せたい所存ー。三人称だからどちらも正解ではあるー
解説への応援コメント
早速のリライトありがとうございます。
一日で書かれたとは思えない内容に、度肝を抜かされました。
文章がとても知的で描写的になっており、非常に学びがあります。
時間を掛けて何度もリライトと解説を読ませていただきました。
自分に落とし込める部分と、まだ理解に至らない部分があり、そこはまた時間を掛けて読み解きたいと思います。
菓子箱の見事な回収と、イタリアの伝承の紐付け、素晴らしかったです。
そして新崎に「クソガキ」と言っていただけたこと、思わず笑ってしまいました。とても面白かったです。
プレートについては、改稿を重ねて付け足した表現が迂闊だったなと反省しました。隙間風や白石の動きによる風とは到底取れない書き方でしたね。改めて見直します。
豊富なボキャブラリーと創作理論による分解と再構築、その質の高さに脱帽いたしました。
自分の勉強不足も痛感しております。
大変ありがたい企画に参加させていただき、ありがとうございました。
作者からの返信
こちらこそ、ありがとうございました。
なにか質問があれば気楽になさってくださいませー
編集済
解説への応援コメント
道具で時代などを説明することにより、想像させる。
>やってみようと思います。ありがとうございます。うまくいく気がします。
古風な世界に「エレキテル」「カラクリ」「ぽぴん」に「銭」と。
>それっぽい単語を入れる方が、よいかもしれないと思いました。やってみます。ありがとうございます。
歌舞伎や落語の語り口調を取り入れ、読者を一気に非日常へと引き込もうと演出してます。
>読みにくいかと思ったのですが、むしろこちらの方がよいと知ることができました。少し組み入れるようにするつもりですが、それだと次に出てくるキャラクターが異様に目立ってしまうため、控え目にします。申し訳ありません。
江戸情緒と「壊れもの」の儚さを象徴させ、無情さを際立たせています。
>無情さは後半に持っていきたい……。今はまだ載せたくない……。という都合であるため、参考にしますが、ここは……。まだ……。
主人公の擬態を「演目」と定義し直し、キャラクターの解像度を上げました。
>こちらは演目とした方が面白くなりそうです。やってみます。受動的ではない方が良いと気づけました。ありがとうございます。
句読点の打ち方や、ルビ(妖(われら)など)による視覚的な情報操作。
>やります!
第一関節とか。
>消します。
凄く個人的には感情ありありな気もするけれど。
>まずいので変えます。
他にも様々なところが勉強になりました。
明日明後日にでも、参考にして全体を書き直そうと思います。
この度もリライトしてくださり、ありがとうございました。
作者からの返信
消さないでっ! 雰囲気としてはありなんですっ!
もうちょっとだけ分かり易い感じに補足するとか!
私のリライトした鵺は『演劇を見詰めながら、次に備える黒子』みたいな感じになってます。
本文でのサイコパスな思考追従さは少なくなりますし、やんわりと冷ややかな感じもリライトではなくなっちゃうので。
文体や語彙選択、それと説明を世界の肉付けにする工夫をプラスしてはどうでしょう。
オムニバス形式、まあ、演目っぽくすると本作の魅力はさらに引き出せますもんね。そこにちょっと落語っぽさを入れるとこんな感じになります。
Webでの読み易さか、作品の強度か、どちらを選ぶかは作者様次第かなと。
それに私は正解ではなくて、こうした演出が出来るよーって感じなので謝らなくとも大丈夫です。違和感や譲れない場所を胸を張って仰ってください。
リライトは私色なので、あなたの色の無情の鵺をどうか書いてください。
実際、こうして比較すると解釈違いとか気付きとか、あると思うので。ちょっとでも糧になれたなら本望です。
第一回リライト教室 総括への応援コメント
指南していただいた通り読ませていただきました。(以下長文です。すみません)
うわああ……すごい。プロはこういう文を書くのかぁあああ。『バタ(倒れた音)』……。でした。
こんなきれいな文、100年かけても自分には書けない。
物語を最終章以外下書きを書いてからリライトしながら投稿していたのですが、うまくリライトができない。
千古不易さんのサイトを見つけた時、質問を書くのは勇気が要りましたが、どうしてもどうしても自分が書くために必要な気がして質問してしまいました。本当にありがとうございました。
第二章に来週から入るのに、何度リライトしても自分では不満。二章は複雑化するのに、説明が多すぎて話の中にどう転換するのか、話の動きがこの書き方だと停滞している、とかは感じるけれどどうしたらいいのか分からない。
それなのに投稿日の来週はもうやって来る。あああ、もう時間がない、と。
最初はお話を書いてみたい、書いたらどんな体験ができるのだろう? という単純な動機でしたが、初めて書いてみたら下手でもめちゃくちゃ面白い。そして苦しい。苦楽しい。
書き始めると、あれがこれが必要だよねと気付き始めました。小説というジャンルは言語化表現が別次元。足りない部分が沢山あるのが感じるけれど、明確に自己認識できない。
何か壁があってうまくできない、いくら調べてもそれが何か分からない。(劣等感だけが膨らむ)
客観的相関物について調べたところ解説サイトを読んで、悩んでいたのはこれだったんだ! と思いました。でも主観と客観の組み合わせるなんて書けない。(そして自分が書きたいのは人物固定の自由間接話法だったんだ)
もう書いてしまった下書きに心情のアンビバレンスも素材で使っていて、自分が何かを書くときにどうしてもこだわりたい個所はこのフィルターだったんだ……。こんな難しいことを無意識にやりたがっていたのか!(無理だろw)
客観的相関なんて草野球をしたことがない人がメジャーリーガーになろうとしていたくらい無謀だ。
プロットと登場人物と、知識収集だけでも大変なのに。
投稿済みを訂正する時間がないので、週明けの投稿分からは考えて削りながらリライトしてみます。
アンカーという意識は知らなかったのですが、自由間接話法を意識して書いている時に、なんとなく入れた方がいいかなと感覚的に入れたりしていました。(挟みたくないときもなんとなく片方とか?)アンカーっていうんですね。
解説サイトで読んだような「寂しい」を「秋の夕暮れに感じる孤独感」と書くやり方は、文芸小説になる気がします。SNSの時代に、「夕暮れに感じる孤独感」を「寂しい」と読める人がどれだけいるのでしょう。けれどプロレベルの人には分かるんだと思いました。
(私ならくどく書くとしたら「夕暮れに秋風の孤独がひたひたと迫ってくる」とかにするかも(孤独って感じるより襲って来る気がするから。これもくどい)。このひたひたは修飾になる気がするけれど、孤独は主観か客観かは分からない)
文芸小説を書くつもりもなく(メジャーリーガーだ)、それでも表現して書きたいと思うことがなんて難しいのか。頭が付いていかない。文字(書くこと)がこんなに不便だとは。(自転車練習しているみたい)
再度『バタ』 ……。書く作業は楽しいけれど、一方でこんなに苦悩するのか?(けれどこの楽しみを覚えてしまい、きっと起き上がって書くでしょう。どうしよう。困った……)
リライトしながら最後まで書き上げたいと思います。ああこうしようかな、という視点がちょっとだけできて、以前よりリライトしやすくなりました。
本当に助かりました。お礼申し上げます。
追記、印象深く思ったことは、「描写」ってこういうことだよ、という解説でした。(怖かったと書くより、手がふるふると震えたと書いた方が良いんだ)
(ただファンタジー要素を入れるとオリジナル設定があるので、説明部分が必要となってしまってそれに引きずられる。説明の入れ方も模索しよう)
後は、動きを付けて単調さを減らす、削る作業も大事、というところも勉強になりました。文章読本も買って読んだけれど、このサイトの方がずっとよく分かる。
「媚びるではなく読者を殴るつもりで拘ってリライトしてます」←脱帽……。
「頬を染めて戸惑う」を「頬を染めながら、じりじりと後ずさりする」にリライトしました。アンビバレンスの部分も登場人物の会話に落とし込む練習をします。
また道に迷ったら質問に来るかもしれません。<m(__)m>
作者からの返信
是非、遊びにきてください。気楽にどうぞー
編集済
解説への応援コメント
すみません!最後の質問です!
"文法的な正しさ云々ではなく、その表現を選ぶ整合性があるかないか、ですね。つまり、説得力。そこへの妥協が悲しいなと、そんな話です"
こちらの場所、お伺いしたいと考えていた現象を、あなた様が近況ノートでお話ししてくださいました。あなた様のその悲しいというお気持ちについて、聞いてみたいことがございます!質問とは、以下、受け手の意図と、現実との接続度はどれくらいの割合が適切だとお考えでしょうか!
相対的な多くの読者は、サリーとアン問題のような神の視点で判断してしまうことが多いです。読書に慣れた方、またはコミュニケーションが得意な方はアンの視点でボールの場所を指差しできます。
現実らしい描き方は辞書的で、意図を軸に描くことは語用的と定義しました。
その適切な割合は、作品としての表現ではなく、物語の現実としてどのような割合だとお考えでしょうか!
作者からの返信
論点がまた変わった気はしますが、そうですね。うーん。
私の場合は6対4ですかね。前者が事実ベースです。作品によって変動すると思います。あてにならんす。
そもそも、人間は火を手にしただけの猿ですし、共感や共鳴はニュアンスの方が得意な生き物ですから。意味より音、感覚が強いでしょう?
なので、作者がどんな比率にしようが、読者は勝手にニュアンスや事実を使って受け止めるでしょう。
ニュアンスの割合は高いでしょうけれど。私はそう考えてますね。
解説への応援コメント
リライトと解説、ありがとうございました。
やはり、自分だけだと気づかない点が多く、非常に参考になりました。
特に現実の付与という概念がめちゃくちゃ刺さりました。「下書きを保存する」で決意を見せるっていう描写が、完全に盲点でした。リライト版を読んで、説得力が違うと感じました。
キャラの内面に引っ張られたのか、何もない空間で自問自答するみたいな形になっていましたね。
あと「短文でさらっと入れるだけが一番綺麗になる」って言ってもらえたの、自分のスタイルを理解してもらえてる感じがして嬉しかったです。
自分が今目指しているスタイルとしては会話主軸・短文テンポ・普段は削ぎ落として、決定的瞬間だけ描写を厚くするというメリハリを意識した方向性です。
(今回、見ていただいた辺りは思考と感情に引っ張られすぎていたかなと……)
内省回でも現実をさらっと入れるところですが、擬似的な相手、身体を動かす、小道具に語らせるというアプローチで解決したいと思います。
差し支えなければ、一点質問したいことがあります。
墨香の作家らしさを意識したキャラクター性についてです。
リライト版を読んで、墨香が作家として世界を観察してる感じが出ていて、キャラの解像度が上がったと感じました。頭では分析してる。でも身体が勝手に反応してしまうみたいなイメージ像が出来上がりました。
キャラとして、そのようなイメージを感じておられましたか?
(抽象的な内容で申し訳ないです)
この度は本当にありがとうございました。
作者からの返信
墨香さんのイメージについて
リライト前から、作家らしさはありましたね。
理由として。
今まで(他の章)とかで、墨香さんは『人間心理』を重視する作家である、と分析されていたり。
墨香さん自身が結末を出せない理由を自問していたり、そうした所作にキャラクター性が出ていると思います。
風景が遠退く(現実の変化が少ない)展開も、深く思考していると捉えられますし、伝わっています。
混乱しているから目の前が褪せている、みたいな。
そこで、私のリライトでは墨香さんをこう定義してました。
○
頭では『今、自分はこういう心理状態で、この状況はこう描写可能だ』と常に客観視している。
然し、その作家特有の病でも出る――反応(思考のスパイラル、顔のリフレイン、言葉、家族と言う身近な存在位置の分析など)をしている。
またそれに、身体(指先の震え、呼吸の浅さ、肌を刺す空気)が過敏に反応してしまっている女の子、です。
○
作家とは奇妙なもんで、どんな時でもどっかに己を客観視して冷徹に『これは活かせるな』ってほくそ笑む側面がある。
私の持論ですが、墨香さんもそうだろうなと思いまして。
『普通』はそのまま深く内面に沈んで、現実が希薄になる場面ですが。
墨香さんなら逆に、すっごい狭くて解像度高い視点を是非使いたいなと。寧ろ、そうした細かな着眼点こそが墨香さんの造形に繋がるな、なんて考えリライトしましたね。
作家は客観視の使い手ですから、自己分析したり、小さな変化に気付いたり、ありふれた物に質感を探り出す生き物。この業を私は現実の濃さで背負わせた感じです。
解説への応援コメント
実に興味深く、面白いですね。文体の志向が、かなりはっきり分かれています。
原文:
・地の文が「感情の直截的提示」に寄っている
・心理→評価→断定、の運びが早い
・読者に「理解させる」文章
リライト:
・地の文が「感覚・状況の積層」に寄っている
・感覚→連想→心理、という遠回り
・読者に「追体験させる」文章
特に、比喩の使い方が明確です。
原文:
「意味」を担う → 一文で意図が明確 → 心理状態の説明として優秀
リライト:
「感覚」を担う → 理屈ではなく、侵食感を読者に渡す
この差は、巧拙ではなく狙いの違いでしょう。
よって、所感としては、
原文=語られる内面(私小説のよう)
リライト=滲み出る内面(文学のよう)
といったイメージを抱きました。
第三者が割り込みまして、失礼しました。
純粋に、面白いです。
作者からの返信
そうなんですよね。私としては上記の、短文とか、ちょっとだけ入れるのがベストかなと思ってます。
正直な話、こう言った方向性の違いで悩む所が変わるので難儀なんですよね。
説明っぽさをなくすには私みたいにすると良いのですが、でも原文の強味と真っ向からぶつかる訳で苦笑
なので演出の選択肢として長々と語った訳です。多分、きっと糧になれたかなあと。今回も手応えはあります!
編集済
幽閉の救霊 リライトへの応援コメント
"書き手の私は読み手に理解される事を期待はしてないですね。勿論、こうして作品を目につく場所に投擲している以上、マナー、嗜みとして対話するフリしてますけど。別に誰かに読まれなくてもええやって思ってます。そもそも誰かと関わりたくて創作していなかったので、私はそんなスタンスが根底にあります苦笑"
おや……驚きですね。そのモチベーションで創作が続けられるのですね。私は寂しがりなので、対話がなければ創作は苦しく感じます。描きたいという思いも、自分以外の誰かが読む人がいてそう感じると直感しています。自分を他者として外部化するのであれば、この問題は解決しますが。その部分に関しても、拙作は描いていることがあります。
"こう、なるべく事実ベースにしていますよね。上記で話した行間を補っていたりとか、その部分です。これって読者への配慮ですよね、まあつまり、創作が対話の延長であってバッドコミュニケーションとかを避けたいって感じでしょうか"
おっしゃる通りです。創作を始めた頃は、みんな、人の心が読めると思っていました。誘ったけれど反応が悪い、声かけへの反応が鈍い、など、そうした動きから相手の心が自然と直感できると。
しかし、そうでないことに気づかされました。
そのため、新たな要素として、読者が人の心が読めるように、という方針を付け加えました。
単純に、説明するのではなく示すという表現技法に収束する、ということでもあると思います。
あとは語り部との気持ちの乖離があると、なかなか物語へ入り込みづらい経験があるためです。語り部が「これは大変だ」「これは簡単だ」と言い、読者側が「そうでもない」と感じると、退屈に感じてしまう懸念のためです。しかし、語り部の主観を入れないようにする、という描き方は、今度は読者がついて来れなくなるという現象を観測しました。語り部の主観は、物語を楽しむことに慣れていない人のための骨格であるんだなと、配慮であるという気づきを得ることができました。今ですら、主人公の動きを見るだけで、その気持ちが読者にはわかる、と勘違いしてしまいます。
"アタオカしき様の作品を全て読んだ訳ではないので、一つの創作としての形は見えてない、のが前提にあるんですけども"
私のテーマや描き方は共通しているので、一部だけでも全体がわかるようになっていると思います。
"やっぱりこの作品って対話とかがテーマなんです?"
テーマの一部、になっています。より正確な言い方をすると、相手の意図を汲み取り、汲み取ってもらう、という相互作用をしましょう、という読者への呼びかけです。ラノベや娯楽映画などは、受け手の感覚へ最適化されていることが評価のひとつです。しかし、現実を生きる上でのコミュニケーションは、意図を汲み取り、汲み取られるという相互作用がなければストレスフルで、争いが絶えないものです。
私の創作の到達点とは、読者が人の心を読めるようになり、そして心を読み取ってもらえるようになることです。
「二の腕を掴むと、毛穴がぷつぷつしていた。気持ち悪いから」「力が入って、ぎゅっと喉が潰れて。錆びついたように、指と目だってごくわずかにしか動かなくなる」「少しだけ、顔をしかめたくなった」「目先の飾りから、青臭さがちょっとする」「死んだ魚みたいな息が、首飾りのうっすらした青臭さも押し退ける」「顔とほっぺ、目尻がぐちゃっとなって、涙でぼやけた」「まっすぐな丸の瞳め、その光が太陽のように降り注いでくる。ぼやけた目の前に、はっきりと。」
とても好きです。ありがとうございます。おかげさまで、このシーンに対する自分の不満を解消することができます。たしかに、セリンが思う彼へのイメージの引き出しが少なかったです。やはり、創作はひとりで向き合うべきではありませんね。
もしよろしければ、このシーンを書き直すにあたり、心がけたことをお聞かせくださいませんか?いえ、次の話数「解説」にてすでにおっしゃってくださったことではなく、私という作者像とどのように対話なさったのでしょうか。
作者からの返信
○
おや……驚きですね。そのモチベーションで創作が続けられるのですね。私は寂しがりなので、対話がなければ創作は苦しく感じます。描きたいという思いも、自分以外の誰かが読む人がいてそう感じると直感しています。自分を他者として外部化するのであれば、この問題は解決しますが。その部分に関しても、拙作は描いていることがあります。
A
誰かとの対話目的より、私が四百詰めを漁って読み返す労力を嫌って公開している部分があります。後はモチベーションで私は書いてないから、もあるかなと。コンスタントに出力を続けて生きてきた中で、私は自己完結していたりします。そりゃ勿論、人間ですので反応があれば嬉しいです。でもそれを求めているだけなら、この企画はやってないと思います。だってこれ、対話はしてますけど、極論私が文章に触れたいだけなんです。
いや……んー。正確じゃないですね。間違えました。
他の作者と対話する機会がないから、この機会に溢れたカクヨムってサイトを利用して私が満足出来る私を求めているだけです。マイルドでシンプルな言い方をすると『知見を広げたい』です。
○
おっしゃる通りです。創作を始めた頃は、みんな、人の心が読めると思っていました。誘ったけれど反応が悪い、声かけへの反応が鈍い、など、そうした動きから相手の心が自然と直感できると。
しかし、そうでないことに気づかされました。
そのため、新たな要素として、読者が人の心が読めるように、という方針を付け加えました。
単純に、説明するのではなく示すという表現技法に収束する、ということでもあると思います。
あとは語り部との気持ちの乖離があると、なかなか物語へ入り込みづらい経験があるためです。語り部が「これは大変だ」「これは簡単だ」と言い、読者側が「そうでもない」と感じると、退屈に感じてしまう懸念のためです。しかし、語り部の主観を入れないようにする、という描き方は、今度は読者がついて来れなくなるという現象を観測しました。語り部の主観は、物語を楽しむことに慣れていない人のための骨格であるんだなと、配慮であるという気づきを得ることができました。今ですら、主人公の動きを見るだけで、その気持ちが読者にはわかる、と勘違いしてしまいます。
A
非常に面白い試みだと思ってます。私は「」()で敢えて行間を書き出すアイデアは浮かばないですし、それを捻り出したアタオカしき様の苦悩や葛藤を察する他にないのです。これもまたちょっとバッドなコミュニケーションになりそうですけれど、そうした視座を生で得られたので私としてはほっくほくしてます。あ、収穫的な話です。
これはですね、アタオカしき様と私が対極だからです。私は選民思想の書き手で、偏屈で傲慢です。つまり『分からねえなら失せろ』と頭を下げつつ、首切りハンドサインするタイプのやべえ人間です。いやいや、作品によってこのスタンスの強弱はありますが。
万人に伝わらなくても良い、だって人間だもん。矛盾するやろ。
要約すれば、これですね苦笑
○
私のテーマや描き方は共通しているので、一部だけでも全体がわかるようになっていると思います。
○
テーマの一部、になっています。より正確な言い方をすると、相手の意図を汲み取り、汲み取ってもらう、という相互作用をしましょう、という読者への呼びかけです。ラノベや娯楽映画などは、受け手の感覚へ最適化されていることが評価のひとつです。しかし、現実を生きる上でのコミュニケーションは、意図を汲み取り、汲み取られるという相互作用がなければストレスフルで、争いが絶えないものです。
私の創作の到達点とは、読者が人の心を読めるようになり、そして心を読み取ってもらえるようになることです。
A
これは上記で話した通り、同じ理由ですね。アタオカしき様は私と違い、もっと届けたい、伝えたい訳で。そうした視点を客観する事は出来ても、どうしても私は気持ちを真には理解出来ない人間だと思うのです。こうだろうか? とかはあっても、なんとなしに確率が高そうなだけ。適当に納得し保留しているだけでしょう。なので、私は敢えて理解したとは言いません。
私なりの……うーん、誠意ではあります。だって私、他人の気持ちわかんないもんっ! あ、中二的な話じゃなくて。なんとなくこうだろ、を理解したとか分かるとか言いたくないだけです。普通に察して、共感する感情豊かな青年です。
でもやっぱり、他人の気持ちは分からない。極論ですが、猫や犬と変わらないっすよ、他人とか(苦笑
〇
「二の腕を掴むと、毛穴がぷつぷつしていた。気持ち悪いから」「力が入って、ぎゅっと喉が潰れて。錆びついたように、指と目だってごくわずかにしか動かなくなる」「少しだけ、顔をしかめたくなった」「目先の飾りから、青臭さがちょっとする」「死んだ魚みたいな息が、首飾りのうっすらした青臭さも押し退ける」「顔とほっぺ、目尻がぐちゃっとなって、涙でぼやけた」「まっすぐな丸の瞳め、その光が太陽のように降り注いでくる。ぼやけた目の前に、はっきりと。」
とても好きです。ありがとうございます。おかげさまで、このシーンに対する自分の不満を解消することができます。たしかに、セリンが思う彼へのイメージの引き出しが少なかったです。やはり、創作はひとりで向き合うべきではありませんね。
もしよろしければ、このシーンを書き直すにあたり、心がけたことをお聞かせくださいませんか?いえ、次の話数「解説」にてすでにおっしゃってくださったことではなく、私という作者像とどのように対話なさったのでしょうか。
A
赤裸々に宣うんですが、あんまり作者は考えてないですね。
いや。待てちょい私。こりゃ言葉足らず過ぎるぞ私!
語弊があんまりにもあるので、詳しく語りますね苦笑
えっとぉ……例えば。
私は昔『作者がこの作品を書いた気持ちを考えましょう』ってあるあるの宿題に『お金が欲しかったから』と書いた人間です。間違ってはいないと思う部分と、そうじゃないやろ、両方あるんですが。上記で話した『他人の気持ちなんざ分かる訳ないやろ』と繋がります。ですのでこうなったんすよね。
を、踏まえまして。
作者は考えてない、になる訳です苦笑
今回のリライトで意識した事。
どうしたら読者にエンタメと言い張れるだろうか。
どうすれば原文の強味を効果的に強められるだろうか。
読者を第一に、しかし媚びるではなく読者を殴るつもりで拘ってリライトしてます。原文の最後に手を加えていないのは、それが最も構造として美しいと考えたからです。ですが、その美しさを伝える対比が不十分か、と演出の側面から捉えて原文を活かした提案をしたんですよね。
エンタメ、読者への寄り添いと。そっと読者の首を絞めたいいじわるな、性格の悪い人間としての判断です。とどのつまり、にちゃにちゃ人間観察している私だからあのリライトになってます。割と人間讃歌しつつがっつり否定もする、矛盾したまま愛している人間なんですよね。
結論
対話はしていても、あくまで読者と。でしたね。
あんまり作者を思い浮かべてなかったです。作品だけを真摯に分析し戦略を練って、そこからやっと作者様の糧になれそうな方法を加味して再構築してました。面白い作品にしたいし、面白いと思えた文章をもっと読者に叩き付けたくて苦笑
はい、私はただの活字好きです。うーん、それだけですかね?
蛇足
この返信方式いいすね、すごく便利。分かり易い苦笑
カウンター・ウェポン リライトへの応援コメント
リライトありがとうございます!
はぁ〜なるほど〜!
主観描写の主観性がとても高いですね。
ありゃー。これは、結構難しいぞ??
う〜ん。どこから書くべきか。
ちょっと私の作品は、純ファンタジーやSFにありがちですが、所謂『中世ヨーロッパもの』や普通の『現代もの』と比較して、世界観の個性が強いところがありますよね。だから、書いていない景色が、さらに読者側にイメージしにくいのでしょう。そのことに、ようやく気がつき始めました。かといって、説明が多ければいいというわけでもない。主人公のキャパオーバーが起きます。つまり、情報の密度はある程度、高くしつつ、誤魔化さないと、読者側に世界観は伝わりにくいのではないかと思います。
こういうわけで、千古さんがちょこちょこ言っている『情報の密度を上げる』ことが必要だなと感じました。
これを前提とした上で。
私の最近の悩みを勝手に書くと...
アシュパ主観での説明の入れ方に悩んでいるところがあるのです。主人公の感想側に、描写を混ぜちゃうのって、ちょっとまだ難しいんですよね。逆に、主人公の主観から見た風景に感想や思いを混ぜるのもまだ試行中のところがあります。
なんというか、主人公はアイヴァックとの会話で、思考は鍛えられているとはいえ、一応設定上、ティーンエイジャーなんですよね。説明できる言葉には限りがあるし、理解力もティーンのレベルに合わせないといけない。とはいえ、たまにはしれっと私の趣味も入れたい! 神視点で正確な描写が、主人公視点で、正確な描写とも限らない。なんなら、そこにこそサスペンス性やトラブルのタネの出し方もあるわけですし。
という悩みも抱えつつ、リライト読ませてもらいました。
すると、あ〜、確かに。と思うところがありました。
例えば、アシュパさんは、アイヴァックさんより思考を単純にしなければいけません。
例えば、運転中にそこまで相手の容姿を観察できるのかという問題
(交通量ゼロの砂浜で、交通事故の可能性はないとはいえ。おそらく砂浜での走行速度は行き先へのやる気のなさを踏まえれば、Maxでも30km/h程度なので、不可能ともいえないですが。自転車の早めの速度だと思えば。とはいえ......。う〜ん。難しい。)
ほうほう、と。
それで、ちょっと疑問も出ました。
う〜む。
動きのやり方はなんとなくわかったのですが...
削りたくない説明があるのです。
本当はアイヴァックの言語能力の説明を削れば、いいとは思っているのですが、これはできたら、物語の早い段階で入れたいのです。物語進行と私のこだわりの問題で。村の言葉と村訛りの帝国語と帝国語と精霊語という表現を出すことは、私的に気に入っていて、それが村と帝国との関係を表していると思っている部分もあるのです。要は、設定紹介ではあるのですが。(でも、自分の言葉が訛っていることって、経験上、結構わかりにくいから、消した方がいいような気もしてくるし。とても訛っている子供と話したときに、自分の訛りは気がつかないくせに、私の訛りを指摘してきたことがあって)
あ〜、話がずれました。
こういう譲りたくない表現がある場合、たぶん別の話に移動させるか、無理やり入れるか、という問題があると思うのですが、千古さんはこだわりを優先させたい場合、どうしていますか? ここで示してもらった以外にも何か方法はありますか?
また、この2話での移動性に力をもう少し注ぐ場合、人物描写はここでは削った方がいいのでしょうか?? ちょっとずつ人物描写を入れて、だんだんと人物を形作る方がいいのでしょうか?? あるいは、次の話に持っていくべきでしょうか??
長くなりました。
すみません。
作者からの返信
こうした話だと。
人称は三人称を選べば世界構築に有利ですね。一人称は全てアシュパの目にカメラワークが固定されちゃいますし。
一人称は特にぐっと共感や共鳴を引き出せるのですが、まあ、主人公によって世界の見え方が変わるんですよね。
逆に三人称はカメラワークがアシュパの背後、或いは俯瞰となりまして。この優れた利点が世界の空気を操り易い、世界を伝え易い所にあります。
で、全部あって最強なのは三人称神視点なんですが。
これは正直、初めて触れる人称としては……かなり難しいものになります。人称ブレとか迷子とか呼ばれる、読者が絵、アニメーションを想像出来なくなるリスクがあります。便利な分、制御がシビアでして。
マリアとかまさに三人称神視点なので、その利点は分かるかなと。最強だけど最弱にもなります、一番書いてて楽しい人称ではありますね。
何故人称を騙ったかと言えば、演出、もっと構築や構成くらい大きく考えた時の話をしたくてなんですが。
この作品で一人称をずっと貫くのか、別の視点を導入(三人称一元視点、或いは神視点)し、アシュパを客観視した話を作品として入れたいかどうか、になります。
例えば、アシュパにフォーカスするなら今のまま渋りつつ小出しにする、物語を進めながら多層化を目指すのが一番安定はします。
逆に、アシュパを外部に置いた三人称とか、一人称とか。読み切りみたいな章を戦略的に選ぶのもありです。その分、面白さ、物語での必要性、をどう保つかが問われますが。
勇者はまさにそれで、上巻は一人称、下巻は三人称って戦略を選んでます。一人称はどうやっても主観が混ざる、のを利用してたのを三人称に切り替えて読者にじわじわと侵食させ……げふん。
まあ、つまり。そうした戦略ありきではあります。
それで、一気に描写する事のリスクについて。人間って、普通は一番印象に残る場所を見て、聞いて、感じますよね。文章も同じで、一気に並べると勿体ないんです。
なぜ、勿体ないか?
後々、その、お肌が見えたりする時とかあったりするじゃないですか。それに、何気ない仕草とか。日常になりつつある中、そうしたトキメキや気付き。
を、作品全体の演出として考えると。効果を最大化するには積み重ねが大事ですよね。一気に提示し過ぎると読者は体感せず、大概は流しちゃいます。でも、その小さな積み重ねをすると読者の中に強固なイメージが作られるんですよ。
極論ですが。
この子は髪が綺麗で、スタイルが良くて、肌は陶器で、目は宝石。
みたいな描写より、指先の熱とか。髪とか。なにか『一つ』に夢中になって、視野が狭くなるアシュパの方が魅力が伝わります。
絞ると読者は脳内補完し、結果、勝手に轢き潰れますからね。一撃の方が強いんです、語りたい気持ちをぐっと堪えて『とっておき』のシーンに集約させるんです。
対比する。
アシュパ(受動的)とアイヴァック(動的)
アシュパ(肉体)とアイヴァック(精神)
などなど。人物にも限らず。
これは演出として巨大な視点、小さな視点でも活用出来ます。今まで語った上記のこれらは、拘りの話にも通じますね。
訛りについて。
他の演出があるか?
あります。訛りを読者にさらりと伝えたい時に、物語として伝える際には『対話』に組み込むのが最もシンプルです。今でなくとも、ちょっと訛りが強い単語が聞き取れない、聞き取られなかった、とか。
些細なトラブルを組み込む形ですね。説明せず、キャラクター達で『共通認識』ではなく『違和感』にすれば、自然に読者は説明された気分にはならずに済みます。
喋る内容へ組み込む情報を二つは増やしてみる、から始めると良いかもです。
私の場合、ライフワークの勇者は自己満足なんで拘りを貫いていますね。それでも前提にエンタメ、読者を飽きさせない工夫や趣向は凝らしてます。
マリアとかは拘りの比率は下がりますが、拘りとエンタメ、読者第一の前提があります。
中川さんが以前言っていたように、効果はPVに対する星数が教えてくれてます。どうしても捨てたくない拘りを、上手いこと三割は隠したのがマリアです。
百比率の拘りも武器になりますが、一人称、三人称で説明が増えると読者は『作者の顔』がチラつくんです。上手く隠れなければ、アシュパを取り巻く世界が一気に崩れちゃう可能性があります。
んー。あ、そうだ。勇者の……『聖女と僕』の頁とか、あれも工夫しつつエンタメのままに説明を説明にしてないですよ。
三人称だと、帝都公女編の『弐』とか、世界観の説明を『知的な講義、議論のはらはら』ってエンタメで無理なく組み込んでます。
多層にする、説明だけをせず、必ずなにかとセット、引き合いにする、対比する、演出する。そうすればぐっときますね。
あ、私は。あくまで正解ではないんですけども。語らない事で鮮明になる風景とか一杯ありますからねー。
私は『黒い服を着た女の子は異質だった』と描写されるより
『弐』での小出しのが好きです。全てを語らず、省略する。一点をどこまでも解像度を高く、想像を強制させるレベルで『色』を強く叩き付ける演出の方が、好きなんです。
私の都合で読者を殴りたいのでそうしてます。
持論として。
人物描写は次に持ち越し、アシュパが歩いて対面した時に引き込まれる演出の方が好きです。
で、読者は基本的にざっくりした髪型、髪色、目の色、ざっくりした服装が分かれば納得します。いきなり高解像度のアニメーションは作れないです。
目と髪が一番大事です。公開していない習作を含め、沢山書いてきましたが。マジで大事なのは目と髪です。あ、拘りとも言えますけど。
この二つにフォーカスさえすれば、読者は納得する←極論
一人称だと、主人公の姿とか名前とかどうでも良いってのが私の考えでして(勇者で証明しました)
ですが。
アシュパは今が適切でしょうね。勇者はほら、あれアンチなんで……仕方ないんです。ああ言った大きな枠組の意図した演出なんです……。
ともかく。
なぜ小出しせよ、と皆が言うのか。そりゃ、資産を安売りするのが勿体ないからです。比率や売り出し方は鶴橋さんの美学次第ではありますが。
記号で終わらせたくない、分かり易さだけじゃなくて読者と肩を並べたい。と、拘るなら。
私みたいな書き方は手本だと思います。あんまりいないので、少なくともここまで偏屈で解像度の高い描写をしている作家は、Webだと絶滅危惧種です。
私はいまのところ、他の人を知らんです。見付けられてないです。同類っぽいなって思ったのが鶴橋さんだったんですよね苦笑
あ、まだまだ質問があればどうぞ。テキトーに近況でも良いですし。カウンター・ウェポンの回は三頁あるので、後二回は簡単に話し合えますよ。
なにかあれば遠慮せずどうぞー。
おお!お時間割いていただき、心からお礼申し上げます!
フィードバックしてくださった内容に入る前に、受け手(読者)についてあなた様のお考えをお聞かせ願えませんか。
私は創作に携わっていくうちに、あることがわかるようになりました。
読者が苦手な方も、文字だけの創作に触れることです。
私は創作を始めた頃は、誰もが作り手(書き手)とコミュニケーションができると思っていました。しかし、実際は、サリーとアン問題のように、その人物の視点から物語を楽しむことは、ある程度の訓練が必要であることに気づかされました。こちらについて、どのようにお考えでしょうか。
このギャップがあるため、今作において私は、情報量などを削ぎ落として、なるべく物語の前半に人物イメージを持ってもらえるように構成しました。
ここまで、どのように感じていらっしゃいますか。ぜひ、お言葉にしていただけますと嬉しいです。
作者からの返信
ふむふむ……。
えっと、一先ず。
私はそこそこの数の読書を経ていますし、アタオカしき様の言葉を借りるなら訓練された読者が前提にあります。
読む為に必要な外部知識みたいなものとか、脳内で映像、音、温度などを体感しようと補完する能力が鍛えられています。
こうした筋肉って実は鍛えなきゃ付かないですし、懸念されている通り書き手と読み手の対話が中々に成立しませんよね。
鍛えなきゃなんないですもん。
本作はそうした背景から分かり易くされているのかなとは薄々感じておりまして。
と言うのも、台詞でのΓ」()がまさにそうで。
私が話した行間を、敢えて補っているじゃないですか?
それもまた一つの手段ですし、書き手が言葉を尽くす程に読み手はストレス(コスト)を支払う必要がありますからね。コストに対して対価が見合うかとか、正しく伝わるか、も不明瞭ではありますが。
で、ちょっと話はズレますけど。
私が何故、どうして創作しているかって話になるんですが。
私は書きたいから、それだけとなります。
そりゃ人間なので最低限の欲求はありますけど、極論、書き手の私は読み手に理解される事を期待はしてないですね。勿論、こうして作品を目につく場所に投擲している以上、マナー、嗜みとして対話するフリしてますけど。
別に誰かに読まれなくてもええやって思ってます。そもそも誰かと関わりたくて創作していなかったので、私はそんなスタンスが根底にあります苦笑
で、話は戻りまして。
アタオカしき様の作品を読んでなんですが。
文字をなるべく使わないようにして、いやちょっと違うな……。うーん。
こう、なるべく事実ベースにしていますよね。上記で話した行間を補っていたりとか、その部分です。これって読者への配慮ですよね、まあつまり、創作が対話の延長であってバッドコミュニケーションとかを避けたいって感じでしょうか。
Γ物語前半でイメージ作りしている」
上記の色々が重なって作品全体での濃淡を調整されているのなら、あのシーンのフラットさも納得する部分があります。
ああ、そうでした。正直に申し上げますと、アタオカしき様の作品を全て読んだ訳ではないので、一つの創作としての形は見えてない、のが前提にあるんですけども。
やっぱりこの作品って対話とかがテーマなんです?
あ、返事遅れちゃいました。すみません苦笑
解説への応援コメント
いやはや、僕が原文を読んで気になった部分を的確に指摘されていて気持ちよかったです。
部外者が言うことでもないですし、原文の続きなど作品雰囲気を把握しきっていないのでなんとも言えませんが、ハードボイルドな主人公の空気があったのに途端に奥さんの胸の話が出てきて一気に安っぽくなってしまったのが目についていたので、そこを薄くしていたのが特にナイスだと思いました。
ただ、あまりにも千古さん節が地の文から滲み出ていて笑ってしまいました笑
作家性なので良いことなんですが、それ故に原文にあった主人公の「硬さ」がなくなり、緩みきった空気になってるかなぁ、と思ったり……
千古さんのリライトを元に、原文の硬さに寄せたさらなるリライト版を書きたくてムズムズしちゃいましたが、おとなしく僕はアイリズを推敲します……笑
ヒト様の企画にお邪魔すみませんでした
作者からの返信
いえいえ、まさにおっしゃる通りです。と言うより、意図的に私を強めにしてます。
比喩の選び方にしろ、句読点配置にしろ、優先順位の取捨選択にしろ、作家性が出ますからね。なので、敢えて目茶苦茶分かり易い文体を使用しました。
比較の時に楽かなと、思いまして。これを元に作者様が『解釈違い』とか、違和感を覚えたらすんごい私はハッピーです。
ヨッシャ、私の意図通り! みたいな。
解説への応援コメント
素敵なリライトをありがとうございました!
そして同時に、なぜこの物語(3部作の原点)だけ反応が芳しくないのかが分かりました。
本作はグアムの別荘の描写から先はひたすら、視点移動をしながら過去の回想になります。
その構成が問題なのではなく、ひたすら、『それ、必要?』ということを説明してしまっていたのですね!
そして、カギカッコが閉じていない入力ミスは指摘をいただいて気がつきました……
読みづらく、申し訳ありません……
私が書いた原文よりミツの家族溺愛ぶりがしっかりと描かれていて、見本を見せてもらったような気持ちです。
この度は本当にありがとうございました!
作者からの返信
いえいえ、こちらこそ楽しかったです。
回想や独白を多用するなら、読者の目線が迷子にならない技術。つまり、アンカーを学んでは如何でしょう。
簡単に言えば
物理的な物、動作、風景
回想や独白
物理的な物、動作、風景
サンドイッチみたいな文章構成をすると読者が迷走し難いかなと思います。
今回私が削った情報には、櫻葉きぃ様のなかで譲れなかったり拘りたい場所もあるかなと思います。それを信じて、どう読者を誘導するかの鍵にして頂ければと愚考しております。
私のリライトは文学とか技術とか、そうした面は正しくとも『正解』ではないのです。あくまで参考にして頂ければと思います。
あ、そうでした。私の創作論でアンカーについて解説してたりするので、気になったらそちらも読んで頂ければと。参考になるかも知れません。
この、ハナが水を滴らせながらプールサイドを歩いていて、その姿にきゅっとなりながら目が釘付けになっちゃう優作さん、が伝わったのならなによりです。
編集済
解説への応援コメント
リライト、本当にありがとうございました。
①総合所感
②学んだこと
③思う・気付いたこと事
④問題点 の順で書きます。(長文になりますが、自分がお返しできるのは感想しかない)
①痺れる。……です。(五十回くらい連続書き)
ああ、小説になっている。(この話差し上げたいくらい小説)
素人はストーリー制作と文章を書くことに精一杯で、他の事を見る力も余裕もない。
これが一つの書き方なのですね。凄い。自分はどう書くのかな、考えていきます。できるのかな……。
②今、先の下書きをしつつ、週内分をリライトして投稿しているのですが、
・文の要素を意識しながら、リライトする。もっと良い表現がないか探す(めちゃくちゃ難しい)。
・書きすぎている部分を、思い切って消す(勇気を持つ)。←書き過ぎに気が付いてから消し始めた。うまく消せないのですが、最近は思い切って書き直したりしている。もっと消すべきなのですね。
・カメラの位置を意識する(力量として書けなくても(泣)作者の意識として)
この三つが精一杯で(それも難しい)、けれどどこかで、話の流れを工夫する方法も必要と感じておりました(どうしていいのか)。
今回学んだ事は、
「問いと答えの構図。小さな視点から、構造の三幕構成」
「自己完結しないで他からの干渉や補足で」
という視点です。それから、
「感情の外部化(客観的相関)」。
どれもとても難しい……。でも、それがあるから、きっと読者は小説を読んでホロリとするんだ。硬い文章を変えて、柔らかく人に訴えるには、こういう技法が要るんだ。
この技法を使えるようになるためには、もっと洞察力が要る気がします。(そこまでの頭が自分にあるのだろうか。うん、できないだろう)
ストーリーを書くだけで精いっぱいなのに、こんなことできるようになるのかな……。
まずは、先の三つと、「問いと答えの構図、構造の三幕構成」も考える視点に加えてみようと思います。
ブラッドを書き足りない。もっと描くべきなのに書けていない(作者の内にあるものを出せていない)。動作を書いてしまうから、他の人物が目立ってしまう(ここまでは分かっている)。
どうやったらもっとそれを表現できるのか、苦悩している最中で、とても勉強になりました。
あと、心情の括弧()書きですが、ド素人なのにやりたく無いんです。(きっと()にしたら楽なのに、愚かもの)コラムならする。
心情は書きたい、けれど()は使いたくない、という気持ちが崩せない。改行書きもあまりしたくない。
もし、出版させてあげるから絶対括弧()書きって言われたら(←極論です)、
ド素人でいいです、くらい、なぜか崩せない。自由間接話法に失敗している方がまだマシ。
(心情書きたい、でも()書きにするくらいなら、カクヨム離れて他の事に時間使うと思う。)
お師匠様の指導で、多分ここだけ譲れない気がする……。多分失敗するんだろうなぁ。それくらい何か芯がある?(美学っていうのですか?これ)。
③リライトのご説明を読んで、二つ気付きました。
一つは、自分でもぼんやりとそこおかしいぞと、思っている。それが意識化できていない。書けない(だから自分は苦しい)。ご説明を読んで、「そうそう、それ」と納得します。(納得してもできるわけではないですが)
二つ目は、今日気付きました。どこかでまだ恥ずかしい、きっと。書くことが。例えば、ベルをいじいじさせたりする描写でも。多分どこかで書いていて気恥ずかしい(他人の作品を読むのは楽しい)。書いて投稿して見せることも恥ずかしい。でも、小説とは、ある意味、一つのことを大げさに書くのだと。どうしようかな。自分の感性を全開にして書くのか……。
④執筆中に気付いても、その物語はそのまま完結させる(描写の一貫性?)わけで、あと残り沢山あるのにこのままか~!と一瞬PC前に倒れました。
で、しばらくして、自分にとっては大事な作品だけれど、これは大いなる踏み台にするのだ、と起き上がりました。これを次に活かすのだ。次はもっとましになるぞと。それしかできないです。
実社会でも、負け戦しているな思っていても、最後までやってこそ見える風景はある。それを知っています。負け戦が負けにならないことも稀にある。
たぶん、今は構成がバラバラのまま最後まで書くだろうと思います。でも、書いたから見える風景を見て、そして次はもっとましにする。(上手は無理……)
一年前に準備を始め、小説のお作法は何?(三点リーダーとか)から勉強して、構成とは?と考える所まで来た。もう少し歩めばまた違う物が見えるかもしれない。
カクヨムに来て怖いなと思ったことは、自分はもうここまで、と思って去る人が多いこと。いつか自分も、もうこれ以上は自分の能力では無理、と思う日が来るのかもしれないと見せつけられた感じ。
それは能力や才能。大人は自分の限界があることを知っているから。自分もそうなるかもしれないな。自分の場合は何が無理と思うのかな。応募とかしないから、多分、書きたいことを絶対書けない自分を自覚した時かな。でも、それでも今はやってみたいからやってみる。表現することは怖いな、難しいな、でもどうやったらマシになるかな。
読み手だと誰か作者が書いた話を読んで体験できる。でも書き手になってみると、自分が見てみたい世界を作って体験できる。「誰も見せてくれない世界を自分で見られる」(自己満の極み)。これが自分を引き寄せています。やってみて、これだけは明確に感じています。これがなくなったらたぶん書かない。
こんなに大変なのに、これしか動機がない。
教えてくださった事を振り返り、下書きが終われば、自分で学び直し、今後の糧にして参ります。
本当にありがとうございます。また、ご教示ください。(でも……弟子入りがご迷惑なら……陳謝)
追記、自分は周りに隠してこっそり書いています。バレたら、お前が?(その分際で? やめとけ)と言われるのは必須なので、コソコソ書いている……。小説レベルって水準高いから、それを周囲りが知っているから何言われるか、(いいんだ、作文だモン)……ちょっと怯え。
作者からの返信
私は上手いと思いますよ。卑下なさらず、じわじわと吸収してください。
括弧で区切らない場合の方法として
あくまでも三人称(客観的)な描写を心掛けると良いですよ。人称を削れば、三人称と言い張れるので。
先ず、ベルの心の声から人称をなくす。
次に、ベルの声と地の文の繋ぎ目をスムーズにする(ギャップが激しいと違和感になる)
繋ぎ目を上手く隠して、三人称の面で一人称を書けたら自由間接話法マスターです。
繋ぎ目の段差はリライトや、私の作品だとマリアが参考になります。
プロの作品でも構造を理解しようって気になると『あ、これ自由間接話法だったのか!』そう気付けたりもします。
人称が入ると人称(主観)に固定される。なら、どう三人称に忍び込ませるか?
から始めてみてください。そうすると掴めてきます。私が昔やったのは人称なしで一人称の短編を書いたり。
一人称風の三人称に。三人称風の一人称に。と、色々試していましたね。
なにかあれば気楽に質問してくださいましー