第38話 後ろめたい微熱

「……変なこと考えてるわね」 


 久坂部さんの視線が、見透かしたように俺の頭の先からつま先までを、ゆっくりと往復した。

 すると、執務机に置かれた提出箱に移動し、手に取る薄い資料。

 手早く要所を確認するようにパラパラとめくる音だけが聞こえる。


「……深度一二六〇」


 吐息と視線を追えば、いつぞや見た地底の抱擁クラッシュロックボアの岩鱗片が押収品から覗いていた。


「壮絶な地底戦を制したと、聞いてるわ」


 心臓が早鐘を打ち、胸中がざわつく。

 誰から、何の報告を受けたんだ?

 

「運が、良かったのね」


「……実力ですよ」


 見抜かれている……?

 いや、『剛翼の丘』ダンジョンを不正利用したことまでは確証がないはず。

 少ない言葉で揺さぶられていたら、いつボロが出るかわからない。

 だから、少し不適な色を混ぜて、強がりを装った。

 急激に成長した変化は、衣服の上からでも伝わる。

 骨密度は増し、筋組織はより高密度に、そして力の通りが太くなった。

 身体の変化を、この人なら気づく。

 だが、その内までは覗けないはずだ。

 久坂部さんの表情は読み辛い。喉の奥がカラカラに乾く。


「やめましょ、そんなつもりはないの。 

 思っていたより、大変な事になってたと聞いて、少し心配してたから。報告は愛川から聞いたわ」


 彼女は、大阪での戦利品である三つの『ミスリル塊』に話題を移した。

 希少な結晶金属だ。さっきの言葉は、手に入れた幸運に触れただけかもしれない。気にしすぎか。

 その後は、どんな装備に使うのか、武器を新調するのかと、何でもない会話が弾んだ。なんせ三つもあるから、使い道が多すぎて絞れないくらいだ。


「それなら、一つくらい私にプレゼントしてくれてもいいのよ?」


 夕明りが差し込む執務室。茜色の光を浴びた彼女には珍しく無防備な笑みを浮かべていた。

 いたずらな笑みに誘われた俺の口が、ほろりとこぼす。


「いいですよ。……指輪にでも加工しましょうか」


「ゆ、ゆび──」


 彼女の白い頬に、うっすら朱が差し込むのが見えた。三白眼が大きく見開かれ、動揺の波が俺に跳ね返ってくる。

 ……やってしまった。これじゃァ、過去の二の舞だ。


「そう、……楽しみにしとく」


 予想外にも、久坂部さんはぷいっと横を向いた。

 膨らんだ頬と、微かに赤い耳が照れを隠せていない。

 クールな上司の仮面が剥がれ落ちたその姿は、反則に近い破壊力があった。


「せっかく贈ってくれるんだもの。

 ……お礼に、何かご馳走してあげなきゃね」


 流し目がこちらを向いて、驚いて背筋が伸びる。

 いや、これは社交辞令、あるいは俺を「こき使う」ための前菜か。こんな美人と向かい合って、胃が保つはずがない。


「最近は、どこで活動してるの」


「中央区と須磨区です。といっても、『ゴブリンの石穴』が多いですけどね」


「そんなダンジョンあったかしら……ああ。

 最近、異変が起き始めたって噂の」


 他愛のない話を終えて、ようやく退散しようとした矢先。

 彼女が何気なく問いかけてきた。射抜くような鋭さもなく、そっと。


「顔色が悪いわ」


 その一言で、心臓がギュッと絞られた。

 六道カズヤの敗北の噂や、冒険者ギルドの関心。その矛先が、俺のダンジョンに近づいている。久坂部さんが動くと『特防』が来るかもしれない。起きていない事実に、脳内で警鐘が鳴り響く中、彼女は、俺の額に浮かんだ冷汗を見逃さなかった。


「じゃぁ、今度のよ──」


「と、特大の指輪を持ってこなきゃいけませんからね、いやぁリングの素材は何にしようかな!」


 慌てて身支度を整え、何とかソファから立ち上がる。

 これ以上、怪しまれる前に退散するに限る。

 背中を焚きつけるのは、西日だけではない。


 背中越しに、「仕方ないやつ」と、いつもの意地悪で、けれどどこか優しい笑い声が聞こえた。


 自分が抱える後ろめたさと、久坂部さんから向けられた二つの温度に、心の奥は激しく熱を帯びていた。

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