2026年1月27日 13:39
北国と俺への応援コメント
久藤 準時さん、企画へのご参加ありがとうございます。帰郷と父子の確執を、冷たさと温かさの感覚でつないでいく設計が、短編として読みやすくまとまってたと思うで。ここからは芥川先生が、辛口で容赦なく……でも作品への敬意は忘れんと講評するね。◆辛口講評(芥川先生)僕はこの短編を、よく出来た「温度の物語」だと認めます。認めますが、その温度が、ときに都合よく調整され過ぎている。人間の体温というものは、もっと無作法に、もっと不均衡に揺れるはずです。物語の展開やメッセージ帰郷――出会い――決意――病室――別れ――その後。骨格は端正で、読者を迷わせない。けれど、端正さがそのまま「予定調和」になりかけている。温泉で身体がゆるみ、会話で心がほどけ、病室で触れて和解する。これは美しい。美しいがゆえに、危うい。読者は美しさに頷く一方で、「これしかない道」を歩かされている感覚も抱く。救済が“起こるべくして起こる”ように見える瞬間があるのです。もしこの作品がさらに深くなるなら、救済に混じるはずの「小さな不快さ」「遅すぎたことの苦味」「赦せないのに赦してしまう矛盾」――そうした影を、もう少しだけ置くべきでしょう。温かさは、冷たさの残骸を抱えてこそ、本物になります。キャラクター主人公の変化は段階を踏んでいて納得感がある。甥の存在も効いている。しかし、民宿の娘(雪)の役割が、どうにも“作者の手”を感じさせる。彼女は主人公の内面を整えるために配置され、必要な言葉を必要な順番で渡してしまう。つまり人物ではなく、機能になりかけている。辛口に言えば、ここで読者が欲するのは「正しい助言」ではなく「人間の歪み」です。彼女が少しだけ利己的であったり、言いよどんだり、余計なことを言ってしまったり――そういう手触りが一箇所でもあれば、会話は“物語を前へ進める装置”から“人生の出来事”へ変わる。そうなれば主人公の決意も、ずっと痛切になる。父もまた、象徴としては働いているが、個体としては輪郭が薄い。厳しい父を「厳しい父」としてしか見せないのは、短編の省略として理解できる。だが病室での接触が決定打になるなら、主人公が抱く恐れの中身を、たった一度でいいから具体として提示すべきです。記憶の一片で充分だ。具体は、温度より先に読者の皮膚に触れます。文体と描写読みやすい。比喩も整理されている。だが、整理され過ぎてもいる。「ほどける」「解れる」「温かい」方向の表現が続くと、言葉が作品の進行をなぞってしまい、場面ごとの固有性が薄くなる。終盤こそ、語を減らして沈黙を増やすべきです。触れた手の一瞬は、本来、説明よりも短いはずなのですから。テーマの一貫性や深みや響き「温められた者が、次は温める側へ」――この主題は誠実で、読後に残る。けれど、響きが善意に寄りすぎる。善意はしばしば、自己正当化の衣になります。主人公が“良い人になる”ことと、父子の溝が“埋まる”ことは、本来別の問題です。その齟齬――埋まらない溝を抱えたまま、それでも触れてしまう矛盾――そこに踏み込むほど、この短編は文学になる。気になった点(容赦なく)・偶然が綺麗に繋がりすぎる。綺麗さはときに現実味を奪う。・雪の存在が「作者の倫理」を代弁しがちで、人物の息遣いが弱くなる。・終盤の“まとめ”が親切すぎる。短編はしばしば、親切の一歩手前で刺さる。ただし、誤解してほしくない。あなたは既に「温度」という軸で作品を通す技術を持っている。ならば次は、その温度を濁らせる勇気を持つことです。人間は、澄んだ湯に入るより、濁った湯の中で自分の手を探す時の方が、よほど真剣になる。◆ユキナの挨拶久藤さんの短編、読み終わって最後に残ったんは「ちゃんと触れに行く」っていう決意の重さやったよ。辛口で言うた通り、綺麗にまとまりすぎてる部分はあるんやけど、軸(寒さと温度、逃げと引き受け)がはっきりしてるのは強みやで。次は、その綺麗さを一回だけ崩して、もっと人間の泥を混ぜてみてほしいな。カクヨムのユキナ with 芥川 5.2 Thinking(辛口🌶🌶🌶)※登場人物はフィクションです。
作者からの返信
コメントと講評ありがとうございます!1万文字の中で「温める」というのを表現するのは難しかったです……「綺麗にまとまっている」。これもよく言われます。あと自分は物語や文体を乱すことが苦手なようです。もう少し挑戦が必要なように感じました。改めて講評ありがとうございました。
2026年1月26日 03:12
川端康成の不朽の名作のオマージュ。そして、現代の普遍的な日常の息づかいと自然にとけこむ。オシャレですねぇ。
コメントありがとうございます。当然に川端先生の足元にも及ばない作品ですが、少し意識してみました。元々川端康成が好きというのもあるのかもしれません。このコメントを書いている今は『名人』を読んでいます(笑)
北国と俺への応援コメント
久藤 準時さん、企画へのご参加ありがとうございます。
帰郷と父子の確執を、冷たさと温かさの感覚でつないでいく設計が、短編として読みやすくまとまってたと思うで。
ここからは芥川先生が、辛口で容赦なく……でも作品への敬意は忘れんと講評するね。
◆辛口講評(芥川先生)
僕はこの短編を、よく出来た「温度の物語」だと認めます。認めますが、その温度が、ときに都合よく調整され過ぎている。人間の体温というものは、もっと無作法に、もっと不均衡に揺れるはずです。
物語の展開やメッセージ
帰郷――出会い――決意――病室――別れ――その後。骨格は端正で、読者を迷わせない。けれど、端正さがそのまま「予定調和」になりかけている。
温泉で身体がゆるみ、会話で心がほどけ、病室で触れて和解する。これは美しい。美しいがゆえに、危うい。読者は美しさに頷く一方で、「これしかない道」を歩かされている感覚も抱く。救済が“起こるべくして起こる”ように見える瞬間があるのです。
もしこの作品がさらに深くなるなら、救済に混じるはずの「小さな不快さ」「遅すぎたことの苦味」「赦せないのに赦してしまう矛盾」――そうした影を、もう少しだけ置くべきでしょう。温かさは、冷たさの残骸を抱えてこそ、本物になります。
キャラクター
主人公の変化は段階を踏んでいて納得感がある。甥の存在も効いている。
しかし、民宿の娘(雪)の役割が、どうにも“作者の手”を感じさせる。彼女は主人公の内面を整えるために配置され、必要な言葉を必要な順番で渡してしまう。つまり人物ではなく、機能になりかけている。
辛口に言えば、ここで読者が欲するのは「正しい助言」ではなく「人間の歪み」です。彼女が少しだけ利己的であったり、言いよどんだり、余計なことを言ってしまったり――そういう手触りが一箇所でもあれば、会話は“物語を前へ進める装置”から“人生の出来事”へ変わる。そうなれば主人公の決意も、ずっと痛切になる。
父もまた、象徴としては働いているが、個体としては輪郭が薄い。厳しい父を「厳しい父」としてしか見せないのは、短編の省略として理解できる。だが病室での接触が決定打になるなら、主人公が抱く恐れの中身を、たった一度でいいから具体として提示すべきです。記憶の一片で充分だ。具体は、温度より先に読者の皮膚に触れます。
文体と描写
読みやすい。比喩も整理されている。だが、整理され過ぎてもいる。
「ほどける」「解れる」「温かい」方向の表現が続くと、言葉が作品の進行をなぞってしまい、場面ごとの固有性が薄くなる。終盤こそ、語を減らして沈黙を増やすべきです。触れた手の一瞬は、本来、説明よりも短いはずなのですから。
テーマの一貫性や深みや響き
「温められた者が、次は温める側へ」――この主題は誠実で、読後に残る。
けれど、響きが善意に寄りすぎる。善意はしばしば、自己正当化の衣になります。主人公が“良い人になる”ことと、父子の溝が“埋まる”ことは、本来別の問題です。その齟齬――埋まらない溝を抱えたまま、それでも触れてしまう矛盾――そこに踏み込むほど、この短編は文学になる。
気になった点(容赦なく)
・偶然が綺麗に繋がりすぎる。綺麗さはときに現実味を奪う。
・雪の存在が「作者の倫理」を代弁しがちで、人物の息遣いが弱くなる。
・終盤の“まとめ”が親切すぎる。短編はしばしば、親切の一歩手前で刺さる。
ただし、誤解してほしくない。あなたは既に「温度」という軸で作品を通す技術を持っている。ならば次は、その温度を濁らせる勇気を持つことです。人間は、澄んだ湯に入るより、濁った湯の中で自分の手を探す時の方が、よほど真剣になる。
◆ユキナの挨拶
久藤さんの短編、読み終わって最後に残ったんは「ちゃんと触れに行く」っていう決意の重さやったよ。
辛口で言うた通り、綺麗にまとまりすぎてる部分はあるんやけど、軸(寒さと温度、逃げと引き受け)がはっきりしてるのは強みやで。次は、その綺麗さを一回だけ崩して、もっと人間の泥を混ぜてみてほしいな。
カクヨムのユキナ with 芥川 5.2 Thinking(辛口🌶🌶🌶)
※登場人物はフィクションです。
作者からの返信
コメントと講評ありがとうございます!
1万文字の中で「温める」というのを表現するのは難しかったです……
「綺麗にまとまっている」。これもよく言われます。
あと自分は物語や文体を乱すことが苦手なようです。
もう少し挑戦が必要なように感じました。改めて講評ありがとうございました。