穴から這い出ると、坂の下に、木立にまぎれて、神社の屋根が小さく見えた。

 坂の上を振り仰げば、小さな祠が衣織を見下ろすように立っていた。祠の向こう側には鬱蒼とした木々が続いている。夕日の赤が少しずつ消えいく今、森の深さは刻一刻と増していた。

 どことなく、彼は神社へ行ったのではないかという気がした。

 神社まで降りていけそうな踏み分け道を見つけて、そっと足を置いた。足の裏に掘り返された土の湿り気を感じる。地面がならされていたのは大穴の周囲だけで、坂の半ばからは、ほとんど転がるように駆けた。足の裏に石が刺さる感触、脛に草で切られる痛みがあったけれど止まることはできず、下り切った時には足は傷だらけになっていた。

 それでも、箱の中にいた時よりは辛くない。

 見えていた屋根は本殿のものだった。入り口は拝殿にしかないようだ。誰かに会ったらどうしようと思いながらも、他に道もなく、表に回り込む。幸い、誰もいない。いつもなら身を縮めるような暗さと静けさに、今は安心した。

 そうっと賽銭箱を通り過ぎて、拝殿に忍び込む。

 いよいよ暗くなってきて、中の様子はほとんど分からなかった。

 こっちの神社に埋められたのか、と今更、不思議に思った。

 村には神社が二つある。もう一つは少し遠いけれど、もっと大きい。周辺にある村全てを見守ってくれているらしい。衣織や村の人が詣るのも基本的にあちらだ。

 こっちの神社はあまり来たことがない。急勾配な階段の上にある、というのが理由だったが、生贄にされた今改めて考えると、それだけではなかったようにも思う。こっちの神社は「変」だったからだ。村の大人は何故だか行かないし、定期清掃もない。そのせいで階段も鳥居もあちこち欠けていて、放置されている雰囲気がある。それを何でだか考えることはなく、何となく来なかった。

 その雰囲気は、もしかすると、過去にも「これ」と同じことがあったからだったのかも知れない。

 もしあったのなら、その時の生贄は、どうなったのだろう。

 今までこの村が在ったということはすなわち、その人は役目を果たした、ということになる。

 では、生贄に選ばれた者がその役目を果たさなかった場合。村は。

 助かったのに、何となく素直に喜べなかったのは「だから」かと、得心する。

 拝殿入り口すぐそばの壁に、もたれかかりながら座る。疲れているし、眠りたかったが、ちっとも眠くない。考え事が渦巻いている。


「……あの」


 話しかける体を取ってはいたが、実のところは、ただ口から不安が溢れただけだった。


「お礼を、本当は、言いたいんですけど。……ちゃんと考えると、私が助かって良かったのか、分からなくて。生贄だったから。助かっちゃいけなかったのかも知れないの」


 話しかけた相手がこの場にいるのかも、そもそも本当に存在していたものかも分からない。落ち着いてみると、ひょっとすると極限状態で見た幻じゃないかとも思う。

 心のどこかで思っていた通り、声かけに返事はない。関係なく、衣織は心情を垂れ流す。


「でもそれ、お礼を言わない理由にはならないか。……ありがとうございました。本当に」


 正座して頭を下げた時、奥の方でコツンと、音がした。どんぐりが落ちる時のような小さな音だった。

 気のせいか、単なる家鳴りだったかも知れないが、今はそれでも嬉しい。


「図々しいけど、今晩はここの屋根をお貸りします。あ、いやえっと、今晩――に限らないかも知れない。でも早めに身の振り方は決めようと思いますから、その間だけでも。ご迷惑だろうけど、なるたけ静かに、邪魔にならないようにします」


 聞かれているかも知れないと思うと急に緊張して、しどろもどろになりながらも、繰り返し頭を下げた。


「よろしくお願いいたします」


 何の音沙汰もない。だが、衣織は自分なりに納得した。

 決断したら頭が少し冴えて、寝てはいられないことに思い至り、立ち上がる。まずは食事。それから寝床、もし村人が来た時に隠れられる場所探し。とりあえずの暮らしであっても、するべきこと、考えるべきことは大量にある。

 結局生贄に戻るのだとしても、今はこの時間を大切にしたい。

 最後に、あの微かな物音でもいいから何か気配がないかと奥を見やるけれど、何もなかった。名残惜しく思いながらも拝殿から出る。

 彼の姿を再び見たのは、三日後のことだった。



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