第26話 隠し部屋



 山岸が胃薬を水で流し込んでいる間にも、コメント欄の勢いはまったく衰えなかった。


【隠し通路行ってくれ!】


【頼むから配信切らないで】


【七年間誰も知らなかった場所だぞ!?】


【というかヒナタしか場所知らないだろこれ】


【ミコトも見たいけど次はヒナタが戦ってくれ】


【それな】


【久しぶりに天城ヒナタの戦闘が見たい】


【ボス戦ミコトだったし次ヒナタで】


【ヒナタのターンお願いします】


【全力はやめろよ? ダンジョン消えるから】


【↑重要】


 ミコトは流れていくコメントを追いながら、最後の一文で思わず笑ってしまった。


「天城さん、視聴者から要望が来てますよ」


「何です?」


「ここからは天城さんのターンにしてほしいそうです。さっきのボスは私が戦ったので、今度は天城さんが戦うところを見たいって」


 ヒナタは少し意外そうな顔をしたあと、カメラへ視線を向けた。


「見たいんですか?」


 その一言に、コメント欄が一気に加速した。


【見たい!!!!】


【そのために待ってた】


【お願いします】


【久しぶりにヒナタの戦闘見せて】


【まともに戦ってるところ最近見てない】


【戦闘というか処刑になりそう】


【素手で頼む】


【剣使って】


【いやその辺の石で戦ってほしい】


【石は草】


【とにかく見える速度でお願いします】


 あまりにも好き勝手な要望が流れ始め、ミコトが苦笑する。


「めちゃくちゃ言われてますけど、どうします?」


「別にいいですよ」


 ヒナタはあっさり了承した。


「ちょうど俺も遊びたかったので」


「遊び……」


 空になったペットボトルを握った山岸が、嫌そうな顔をする。


「一応確認しておくが、ここはダンジョンだぞ?」


「知ってますよ。俺が作ったんですから」


「その返し、強すぎるんだよ……」


 何を言っても、最終的には「製作者だから」で終わってしまう。


 山岸は反論を諦め、せめて今日これ以上の問題だけは起きないよう祈ることにした。


     ◇


「それで、隠し通路ってどこなんです?」


 ミコトがボス部屋を見回す。


 ガルガンが消滅した広間には、目立ったものなど何もない。円形の壁には同じような石材が並び、扉らしきものも見当たらなかった。


「こっちです」


 ヒナタは迷うことなく壁際へ歩いていき、そのまま何の変哲もない石壁の前で立ち止まった。


「ここです」


「……壁ですよ?」


「そうですね」


「どうやって開けるんです?」


「本来なら条件があります」


「条件?」


「ボスを倒したあと、五分以内にこの部屋にある三つの仕掛けへ順番通りに触るんです。そうすると隠し通路が開きます」


「三つ?」


「はい」


 ミコトが広いボス部屋を見回した。


「どれです?」


「そこにある燭台と、向こうの壁の傷、それから天井の石です」


「分かるわけないでしょ!」


「だから隠してるんですよ」


「隠し通路の意味を説明しないでください!」


 コメント欄からも盛大な突っ込みが飛んでくる。


【七年見つからないわけだ】


【壁の傷www】


【天井の石とか誰が触るんだよ】


【しかも順番あり】


【製作者性格悪くない?】


【初期に作ったから絶対ノリで決めただろ】


「ちなみに、何のヒントもないんですか?」


「ありますよ」


「あるんだ」


「三階層前の壁に書いてあります」


「誰が覚えてるんですか!」


「一応、ちゃんと攻略できるようにはしてありますよ」


 ヒナタとしては、本気で親切設計のつもりらしい。


 ミコトは何か言おうとしたものの、七年間発見されていないという事実がすべてを物語っていたので諦めた。


「じゃあ、その仕掛けを操作するんですか?」


「もう五分過ぎてます」


「……じゃあ入れないじゃないですか」


「普通なら」


 嫌な言葉が出た。


 山岸が即座に反応する。


「天城くん」


「はい?」


「壊すなよ」


「壊しませんよ」


「本当だな?」


「開けるだけです」


 そう言って、ヒナタは石壁へ手を当てた。


 力を込める様子はない。


 何か派手な現象が起こるわけでもない。


 ただ、自分が作ったものへ声を掛けるように、


「開いて」


 と、一言。


 ゴゴゴゴゴ――。


 重い音とともに石壁が横へ動き始め、その奥から暗い通路が現れた。


「…………」


 ミコトは無言になった。


 山岸も無言だった。


 コメント欄だけが元気だった。


【開いてwww】


【合言葉それかよ】


【仕掛け全部いらなくて草】


【製作者権限ずるいw】


【ゲームマスターがデバッグしてる】


 ミコトが呆れた顔でヒナタを見る。


「三つの仕掛けは?」


「普通の人用です」


「五分以内って条件は?」


「普通の人用です」


「三階層前のヒントは?」


「普通の人用ですね」


「天城さんだけ別のゲームやってません?」


「作った側ですから」


「強いなあ、その言葉!」


     ◇


 隠し通路は、予想以上に長かった。


 人が二人並んで歩ける程度の狭い石造りの道が緩やかに地下へ続いており、壁には一定間隔で青白い結晶が埋め込まれている。


 ミコトはカメラを回しながら、何度も周囲へ視線を向けていた。


「ここ、本当に誰も来たことないんですよね?」


「少なくとも、ここまで攻略した人はいないと思いますよ」


「七年間?」


「たぶん」


「うわ……」


 その事実を意識すると、急に景色の見え方が変わった。


 今、自分たちが歩いている場所を人類は知らない。


 探索者協会の地図にも載っておらず、攻略情報にも研究資料にも存在しない。七年間ずっとボス部屋の壁の向こうに隠されていた空間を、今この瞬間、自分たちは世界中の視聴者と一緒に初めて見ている。


【これ普通に歴史的配信じゃね?】


【協会の地図更新確定】


【研究者今頃泣きながら見てそう】


【録画してるよな?】


【政府も絶対見てる】


 最後のコメントを読んだ山岸が、嫌そうにスマートフォンを見る。


「……見てるだろうな」


「政府が?」


「この配信を見てないわけがないでしょう。ポーションの件でもう大騒ぎなんですから」


「じゃあ、こんにちは」


 ヒナタがカメラへ軽く手を上げた。


「やめろ。総理に配信越しで挨拶するな」


「見てるかもしれないんでしょう?」


「だからって普通に挨拶する奴があるか!」


【総理見てるー?】


【草】


【官邸冷えてるかー】


【山岸さんの胃だけは確実に死んでる】


「ヒナタ」


 ソラが袖を引いた。


「はい?」


「ここ、なに?」


「隠しエリアです」


「なんで、かくした?」


「見つけた人が喜ぶかと思って」


 ソラは少し考える。


「だれも、見つけなかった」


「そうですね」


「かなしい?」


「……少し」


 ヒナタが本当に少しだけ残念そうな顔をしたため、ミコトは堪えきれず吹き出した。


「自業自得ですよ!」


     ◇


 やがて、通路の先に光が見えてきた。


 それまで狭かった空間が一気に開け、ミコトがカメラを向けた瞬間、思わず息を呑む。


「……すご」


 そこは、巨大な地下庭園だった。


 ダンジョンの内部とは思えないほど広大な空間に、淡い光を放つ草花が一面に広がり、中央には透き通った湖が横たわっている。天井から流れ落ちる水は細い滝となって湖へ注ぎ、周囲を照らす青白い結晶の光を受けた水面が、静かに揺れていた。


 戦闘のためだけに作られた場所には見えない。


 むしろ長い探索の末に偶然ここへ辿り着いた者へ、束の間の休息と驚きを与えるために用意された場所のようだった。


【うおおおお】


【綺麗すぎる】


【何ここ】


【隠しエリア豪華すぎ】


【七年間誰も見てなかったのもったいなさすぎる】


【天城、こういうセンスはあるんだな】


「こういうセンスは、って何ですか」


 ヒナタがコメントへ反応する。


「そこ拾うんですね」


 ミコトが笑った、その時だった。


 湖の向こう側で、光る草花の一部が揺れた。


 ガサッ――。


「……何かいます」


 ミコトが反射的に武器へ手を伸ばしたものの、途中で止める。


 そういえば、先ほど視聴者と約束したばかりだった。


「今日は天城さんのターンでしたね」


「そうですね」


 ヒナタが一歩前へ出る。


 茂みの奥から現れたのは、白銀の毛並みを持つ巨大な狼だった。


 一体。


 二体。


 三体。


 さらに奥から次々と姿を現し、最終的には十二体もの群れが湖畔へ並ぶ。一頭一頭が大型の魔物であり、中央に立つ個体だけはさらに一回り大きく、銀色の毛並みも他の個体より長い。


 ミコトの表情が引き締まった。


「これ……見たことないです」


「そりゃそうでしょうね。ここにしか置いてませんから」


「危険度は?」


「さあ」


「製作者!」


「七年前に作ったので、人間側の危険度分類なんて知りませんよ」


「じゃあ、強さは?」


 ヒナタは狼たちを眺める。


「さっきのボスよりは強いですよ」


「十二体全部が?」


「はい」


 ミコトの笑顔が固まった。


「……帰りません?」


【遅いw】


【ヒナタのターンだから大丈夫】


【これ見たかった】


【頼むぞヒナタ】


【瞬殺だけはやめてくれ】


【ちゃんと戦って!】


【素手でお願いします!】


【ヒナタの本気の一億分の一くらいで】


 ヒナタはコメントを眺めながら少し考えた。


「ちゃんと戦ってほしいらしいですよ」


「できます?」


「失礼ですね」


「だって天城さん、加減すると極端じゃないですか。倒すか、何もしないかみたいな」


「じゃあ今日は、少し真面目にやります」


 その言葉を聞いた瞬間、山岸が一歩後ろへ下がった。


「待て」


「何です?」


「君の『少し真面目』は、どのくらいだ?」


「普通ですよ」


「基準を人間に合わせろ」


「分かってます」


「本当に?」


「この部屋を壊さないくらいです」


「基準がおかしい!」


 ヒナタは小さく笑いながら、ゆっくり湖畔へ歩いていった。


 武器は持っていない。


 防具もなく、服装も普段着のまま。


 十二体の白銀狼は、今のヒナタをただの侵入者として見ており、低く唸りながら扇状に広がっていく。


 群れで獲物を追い詰めるように作られた魔物なのだろう。


 正面から三体。


 左右へ四体ずつ。


 そして一際巨大な一頭だけが、全体を見渡せる後方に残る。


「囲まれてます!」


 ミコトが叫ぶ。


「そうですね」


「余裕ですね!?」


「俺がそういう動きをするように作ったんですよ、この子たち」


 直後、右側の狼が地面を蹴った。


 速い。


 白銀の影が一瞬でヒナタとの距離を詰め、巨大な牙が首筋へ迫る。


 だが、ヒナタは避けなかった。


 右手を軽く上げ、牙が届く、その直前。


 人差し指で。


 狼の鼻先を。


 ちょん、と押した。


 ドンッ――!


 次の瞬間、巨大な狼の身体が真横へ吹き飛んだ。


「…………」


 ミコトが固まる。


 狼は数十メートル先の草原を転がり、何度かバウンドしたあと、湖へ派手な水柱を上げながら落ちた。


「天城さん!」


「はい?」


「ちゃんと戦うって言いましたよね!?」


「戦ってますよ」


「指一本じゃないですか!」


「殺したら可哀想でしょう」


「加減の方向がおかしいんですよ!」


 そう言っている間にも、左右から二頭が飛びかかる。


 ヒナタは一歩だけ下がって一頭目をかわし、その背中へ掌を添えると、飛びかかってきた勢いをほんの少し横へ変えた。


 結果。


 二頭の狼が空中で正面衝突した。


『ギャンッ!?』


 悲鳴とともに、二頭揃って草原へ転がっていく。


【wwwwwwww】


【普通に戦闘うまいの草】


【力任せじゃないんだな】


【敵同士ぶつけたw】


【殺さないようにしてるの優しい】


【狼側からしたら何が起きてるか分からんだろ】


 それでも狼たちは怯まなかった。


 今度は七頭がほぼ同時に動き、前後左右から逃げ道を塞ぐようにヒナタへ迫る。


「おお」


 ヒナタが少し楽しそうに目を細めた。


「ちゃんと連携してますね」


「感心してる場合ですか!」


「作った時より動きが綺麗になってる気がします」


「誰とも戦ってないんですよね!?」


「群れの中でも動きますからね。それに七年もあれば、ずっと同じ状態というわけでもないみたいです」


 ヒナタ自身、その変化を細部まで意図していたわけではない。


 自分が七年前に作り、その後ほとんど見に来ることもなかった魔物たちが、誰にも発見されない場所で七年という時間を過ごし、その中で少しずつ自分の想定から外れた動きを見せるようになっている。


 それが、ヒナタには面白かった。


「じゃあ」


 七頭が一斉に飛びかかった瞬間。


「俺も少しだけ、速くします」


 ヒナタが消えた。


「え?」


 少なくとも、ミコトの目とカメラにはそう見えた。


 一瞬前までそこにいたはずの男の姿が消え、次の瞬間には、飛びかかっていた七頭の狼がほぼ同時に宙へ浮いていた。


 一頭目の額。


 二頭目の顎。


 三頭目の腹。


 四頭目の背中。


 残りの三頭も、それぞれ別の方向へ身体を弾かれている。


 いつ。


 何をされたのか。


 まったく見えなかった。


 そして気づいた時には、ヒナタは元いた場所へ戻っていた。


 両手をポケットへ入れたまま。


 直後。


 ドサッ、ドサドサドサッ――と、七頭の狼が周囲の草原へ落ちていく。


「…………」


「…………」


 ミコトも山岸も声が出ない。


 コメント欄も一瞬だけ完全に止まり。


 次の瞬間、爆発した。


【????????】


【見えねえよ!!!】


【スロー!!!!】


【誰か〇・〇一倍速作って】


【何した!?】


【これでも加減してるんだよな?】


【待って全部生きてる】


【一頭ずつ気絶させたのか!?】


【本人もうポケットに手入れてるんだけど】


 ヒナタは倒れた狼たちへ視線を向け、少し確認してから頷いた。


「大丈夫ですね」


「天城さん」


「はい?」


「配信なんですよ」


「知ってます」


「見えないんですよ!」


「あ」


 ヒナタはカメラを見た。


 そこまでは考えていなかったらしい。


「じゃあ、次は見えるくらいでやります」


「最初からお願いします!」


 そして。


 残ったのは、一頭。


 群れの長と思われる巨大な白銀狼だけだった。


 仲間がすべて倒れたにもかかわらず、逃げようとはしない。低く喉を鳴らしながらゆっくりと前へ出て、倒れた仲間とヒナタの間へ自らの巨体を滑り込ませる。


 ヒナタも、その狼を見た。


「……ああ」


 どこか懐かしそうな声だった。


「この子、まだいたんですね」


「知ってるんですか?」


「最初にここへ置いた個体ですよ」


「最初って……七年前?」


「はい」


 ヒナタは少し嬉しそうに笑った。


「誰にも倒されなかったから、ずっとここにいたんですね」


 七年間。


 誰にも発見されなかった隠し区域で、誰にも挑まれることなく、群れを率いながらこの場所を守り続けてきた魔物。


 そして今、その狼の前に立っているのは、自分をこの場所へ置いた存在だった。


 もちろん、狼はそれを知らない。


 ヒナタ自身が、そう認識できないようにしているからこそ、目の前にいる男をただの侵入者として見据え、全力で牙を剥いている。


 それがヒナタには、少し嬉しかった。


 以前なら、自分を認識した瞬間に戦いは終わっていた。


 逃げるか。


 伏せるか。


 頭を下げるか。


 けれど今は違う。


 七年前に自分がここへ置いた一頭が、何も知らず、自分を敵だと思い、本気で向かってきてくれる。


「いいですよ」


 ヒナタがゆっくりと右手を前へ出した。


「せっかくだから、あなたとはちゃんと戦いましょう」


 その言葉に、視聴者が一斉に沸いた。


【きたあああああ!!】


【ヒナタ戦闘回!!!】


【今度こそ見える速度で頼む!】


【七年間待ち続けた裏ボスVS製作者】


【これ熱いぞ】


【ミコト絶対カメラ逸らすなよ!】


「分かってますよ!」


 ミコト自身も興奮を隠せず、カメラを構え直す。


 一方、ソラは少し離れた場所にしゃがみ込み、気絶している狼の一頭を興味深そうに眺めていた。


「わんちゃん、いっぱい」


「ソラちゃん! 今そっちじゃない!」


「わんちゃん」


「可愛いけど!」


 山岸はそんな三人を見ながら、ふと思った。


 政府からすれば、この隠し区域の発見だけでも歴史的事件であり、これまで確認されたことのない魔物が十二体も存在していたとなれば、即座に調査隊が編成されてもおかしくない。


 だというのに。


 配信者は興奮し。


 ソラは未知の魔物を「わんちゃん」と呼び。


 ダンジョンを作った本人は、七年前に配置した魔物との再会を楽しんでいる。


「……もういいか」


 山岸は遠い目をした。


「今日は仕事じゃない。俺はただの付き添いだ。何も見てない。何も知らない」


「山岸さん、現実逃避してないでカメラの予備バッテリー取ってください!」


「俺をスタッフにするな!」


 その声を合図にしたかのように、巨大な白銀狼が低く身を沈めた。


 後ろ脚が地面を掴み、銀色の毛が逆立つ。


 そして次の瞬間。


 七年間、一度も人間と戦うことのなかった隠し区域の主が、初めての侵入者へ向かって大地を蹴った。


 迎え撃つのは、その存在を七年前にここへ置いた張本人。


 今度こそ。


 天城ヒナタのターンが始まった。

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