知っていたものと違う

応接室の空気は、張りつめたままだった。


ラザルの問いは、柔らかい声色のまま、逃げ道だけを正確に潰している。


「今後、王都から当商会所属技師への直接連絡は——二度と、ありませんね?」


管理官は、喉を鳴らした。


即答できない。

否定もできない。


ここで「王都の判断だ」「緊急だった」と言えば、

それはすなわち——

商会の管理権を軽んじたと認めることになる。


(……まずい)


男は、ようやく理解し始めていた。


ここは、王城ではない。

相手は、命令を受ける側ではない。


「……何か」


慎重に、言葉を選ぶ。


「何か、誤解があるようです」


ラザルは、即座に否定もしなかった。

肯定もしない。


ただ、静かに続きを促す。


「ほう」


それだけ。


管理官は、その一言に背中を押されるように続けた。


「我々としては、あくまで緊急性を——」

「戴冠という国事を前に、最善を尽くそうとしただけで——」


言葉が、少しずつ言い訳の形になっていく。


「ですから」


一拍。


「一度、本人に取り次いでいただけませんか」


その言葉を口にした瞬間、

管理官は気づいた。


——自分は今、「命令」ではなく「お願い」をしている。


ラザルは、しばらく黙って男を見つめた。


視線は穏やか。

だが、逸らさない。


「本人、ですか」


ゆっくりと反芻する。


「ミレイアさんに?」


管理官は、深く頷いた。


「はい。直接お話しすれば、きっと——」


その先は、言わなかった。

言えなかった。


かつてのように、

“技師個人を説得すれば済む”

という発想が、すでに通じないことを、

肌で理解している。


ラザルは、ふっと息を吐いた。


そして、あっさりと言った。


「いいですよ」


管理官の目が、わずかに見開かれる。


「ただし」


その一言で、背筋が伸びた。


「席はこちらで用意します」


立ち上がり、扉の方へ視線を向ける。


「それで、問題ありませんね?」


——選択肢は、ない。


管理官は、短く答えた。


「……はい」


ラザルは、満足したように頷き、

使用人に静かな合図を送った。


⸻


数分後。


扉の向こうから、足音が近づく。


管理官は、無意識に背筋を正した。


——どんな姿で出てくるのか。


脳裏に浮かぶのは、

かつてのミレイア・カレヴァン。


地味な作業着。

束ねただけの髪。

工具の匂い。


控えめで、

命令を待つような立ち姿。


(……変わっているはずがない)


そう思おうとした、その瞬間。


扉が、静かに開いた。


現れたのは——


一瞬、誰だか分からなかった。


淡い色合いの、仕立ての良い制服。

装飾は控えめだが、線が美しい。

肩口と胸元には、アル=ハディード商会の徽章。


髪は、丁寧に整えられ、

光を受けて静かに揺れている。


顔色は良く、視線は、伏せすぎてもいない。


——貧相な技師ではない。


そこに立っているのは、

商会の一員として整えられた技師だった。


管理官の思考が、完全に止まる。


(……誰だ)


(……いや)


(……ミレイア?)


ラザルは、何も言わずに椅子を引いた。


応接室の中で、

最も上座に近い位置。


——ラザルの、隣。


「どうぞ」


短く、穏やかな声。


ミレイアは、一礼してから歩み寄る。


動きに、迷いはない。

視線も、逃げていない。


そして、静かに腰を下ろした。


ラザルの隣。

約束通りの、一番いい席。


管理官の胸に、

言葉にできない違和感が広がる。


(……違う)


(……もう、違う)


目の前の女性は、「呼び戻される技師」ではない。


——交渉の席につく側だ。


ミレイアは、管理官に視線を向けた。


驚きも、怯えもない。


ただ、落ち着いた声で言う。


「お久しぶりです」


それだけ。


かつて、解雇を告げた上司に向ける言葉としては、

あまりにも静かだった。


管理官は、返す言葉を失った。


ラザルが、穏やかに続ける。


「では」


二人を見渡す。


「ここからは、本人の意思をお聞きしましょう」


応接室の空気が、さらに静まる。


王都の常識は、

この席では、もう通用しない。


管理官は、ようやく悟り始めていた。


——自分は今、

“技師を呼び戻しに来た”のではない。


——商会と、その技師に値踏みされているのだと。


ミレイアは、背筋を伸ばし、

静かに口を開いた。


「では」


視線は、まっすぐ。


「お話を伺います」


王都側の時間は、ここで初めて、止まった。

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