第8話 共鳴の塔、最終決戦

 世界のいただき、共鳴の塔の最上階。


 そこは、空と大地の境界が曖昧に溶け合う、白と灰色の静寂に支配された空間だった。


 中心に鎮座するのは、巨大な水晶の核。かつては世界の生命鼓動を刻んでいたその心臓は、今や司祭ゼロの手によって侵食され、脈動を止めようとしていた。


「ようやく辿り着いたか。だが、その手はあまりに無力だ」


 塔の影から現れたゼロは、人としての形を保ちながらも、その肌は冷徹な大理石のように硬く、無機質だった。彼の周囲では、空気の振動さえもが凍りつき、音という概念が消滅している。


「カイ、気をつけて。彼の周りでは……時間が、死んでいる」


 ナギが剣を構えるが、その切っ先は目に見えない重圧に震えていた。ゼロがゆっくりと片手を掲げると、その掌からは漆黒の「虚無」が溢れ出し、周囲の光を飲み込んでいく。


「見よ、この静寂を。苦しみも、不信も、裏切りもない。呼吸を止め、その手を動かすことをやめれば、人は永遠の安らぎを得られるのだ」


 ゼロの声は、耳ではなく魂の深淵に直接響く。


「お前も知っているはずだ、カイ。触れるたびに他者の痛みに焼かれる苦悩を。ならば、その手を石に変えてしまえ。私のように、万物からの絶縁を選べ。それが唯一の救いだ」


 カイは一歩、前へ踏み出した。


 彼の足元から、ゼロの放つ「静止」の灰色の波が押し寄せる。指先が冷え、感覚が麻痺しそうになる。だが、カイはもう手袋を必要としていなかった。


「……確かに、あなたの言う通りかもしれない。触れなければ、傷つくこともない。呼吸を止めれば、苦しむこともない」


 カイは自分の掌を見つめた。そこには旅の途中で刻まれた数々の傷跡があり、ナギと共に越えてきた荒野の砂塵の記憶が、皮膚の一枚一枚に染み付いている。


「でも、僕の手は知っているんだ。痛みの先にある温もりを。不信を乗り越えた先にある、本当の『信』の重さを」


 カイはゆっくりと手を合わせ、自身の中心を定めた。


 ゼロの放つ「無」の圧力が強まる。世界の鼓動が弱まり、最上階の床が不快な軋み音を立てて石化していく。


「あなたが求めているのは安らぎじゃない。ただの忘却だ。……僕は、忘れたくない。この世界の美しさも、醜さも、すべてを」


「愚かな。ならば、その未熟な意志ごと、無に還るがいい」


 ゼロが両手を広げ、塔の全エネルギーを「静止」へと集中させた。

 水晶の核が真っ黒に染まり、最後の鼓動が途絶えようとした瞬間――。


 カイは合わせた手を解き、全感覚を解放した。


 恐れも、ためらいもない。彼は死の沈黙へと向かって、自らの「いのちの呼吸」を最大にまで引き上げた。


「手の呼吸は……いのちの歴史を、今ここで新しくする。……ゼロ、あなたの絶望さえも、僕は受け入れる!」


 カイの両手が、宇宙の深淵から響くような純粋な音階を奏で始めた。


 それは攻撃ではなく、世界という巨大な楽器を再び鳴らすための、最初の一音だった。

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