死の神と一輪の花 ーー それでも、君を呼ぶ

九六

第1話『一輪の花』


僕には凡そ過去と呼ばれるものがなかった。


過去 ーー 思い出とされるような暖かい記憶も、

寂しい、悲しいと言った辛い記憶さえも。


それどころか、今でも普通に過ごす時間の中でさえ、記憶がたまに欠落している。


下校していたはずが、気付けば知らない道を歩いている事がよくある。

その時、決まって胸の奥がひどく冷たくなる。


多分いつもぼーっと過ごしているから無意識に道に迷っているのだろう。


 野咲 隼人ーー僕の名前だ。

おそらく来月で17歳になるはず。

 

僕には何も無い。


 学校が終わったら今日も、いつもの様に家に帰る、

ただそれだけだった。


 いつもと同じ帰り道、いつもと同じ空気、いつもと同じ独りぼっち、でも、今日は、今日だけは少しだけ違っていた。

 いつもは目に留まらない小さな一輪の花が、何故か今日だけは僕の目に留まった。


 車通りの少ない小さな路地、春のピンク色の風が僕の背中を優しく押す。

 まるで、僕をこの小さな一輪の花に引き合わせようとしているみたいに。


 「君は僕に似ているな。誰に見られる訳もなく、特に綺麗な訳でもなく、人知れずいつかは死んでいく」


 その一輪の花に思わずそう話しかけた。


 僕には家族というものはいない。

幼い頃は施設に居て両親も知らない。

 それどころか、幼い頃の記憶が全く無い。

 おそらく、ろくな過去ではないのだろう。覚えていないのだから。

 親が何処に居るのか、生きているのかさえ分からない。


それでも、時々、知らないはずの誰かの名前が、胸の奥に浮かぶ事がある。


 色々と調べてみた事もあった。

人にも聞いてみた。

でも、何も分からなかった。


自分が誰なのか。


僕が僕自身の事で知っているとしたら、


それは、名前だけ。


 中学までは街の小さな施設に居て、高校に入る頃、小さなアパートに住むよう、施設長に言われた。

家賃は払わなくていい。

学校に必要な物は施設から度々送られてくる。

 

 僕はまるで ーー 誰かに飼われているみたいだ。


いつしか知る事を止めてしまった。

というよりは、知る事が怖くなってしまったのかもしれない。

 だから現実を逃避するかの様に、ただただいつもやってくる【いつも】を受け入れるだけになってしまった。

 

 朝が来て学校に行き、家に帰って寝る。それが、それだけが僕なんだ。


今日も......


 いつもと同じ帰り道、いつもと同じ空気、いつもと同じ独りぼっち。


 『道に咲いていた一輪の花はどうなっただろう』


 なぜ、今そんな事を考えたのだろうか。


 『あの花に会いに行かなくちゃ。会いに行きたい』


 春の空気は、僕をそんな気持ちにさせた。

 僕はいつもとは明らかに違った足取りで、あの小さな一輪の花の元へ向かっていた。

 

 『この角を曲がったら君がいる』


 『こんな気持ちを何て言ったかな…』


 初めての感情、初めての思い、僕が人生で、僕の記憶の中で初めて、興味をもったもの

ワクワクにどこか似た、心弾む感情。

なんでこんな思いになっているのだろうか。


 『きっと、春のせいだ』


 そんな気持ちで角を曲がった僕は、はっとした。

 道端に咲いていたあの一輪の花、その前に一人の女の子がしゃがんでいた。


 春のピンクがその女の子を優しく包む。


 『綺麗…...だ…...』


 その女の子はとても綺麗で、とても温かくて、とても儚くて、『触れてはいけない』そう思った。


 まるで春に咲く花のよう


 「君は独りなの? 友達は居ないの?」


 その言葉は僕に向けられたものではない。

 女の子は風で崩れた髪をかき上げながらまた口を開く


 「私と同じ、独りぼっち」


 その花の様な女の子に僕は、久しぶりに会ったような懐かしいような、そんな筈はないのに、そんな気持ちにさせられてしまった。


堪えていないと涙が溢れそうになる。


 『触れてはいけない、触れたら壊れてしまう』


 すると、春のピンク色の風が、今日も僕の背中を優しく押した。


 「その花…...好きなの?」


 触れてしまった。


 けれど、その女の子は壊れる事もなく、消えてしまう事もなくそこにいた。


 「えっっ?!」

 

 女の子は凄く驚いた表情で下から僕を見上げてきた。

 その後、僕を見て安心したのか、笑窪を浮かべながら微笑み、口を開いた。


 「君は好き?」

 

 その笑顔は美しかった。本当に美しかった。春の花々の様で。


 女の子の質問に、僕はなぜか焦ってしまい言葉に躓いた風に話し出してしまう。


 「いっ…...色もぱっとしないし、あっ…...あんまり綺麗じゃないけれど、べっ別に嫌いって程でもないけども、好きって程でもない感じです」


 女の子は小さく吹き出す様にプッと笑った後に話し出した。


 「私は好きだな、このお花。どこか私に似てるんだ」


少し悲しげに言う女の子。


 「僕、隼人…...です 野咲 隼人」


 「えっ!? 野咲 隼人......君?」


 女の子は僕の名前を聞いて、なぜか驚いた様子だった。


 「どうかした?」

 

 「いえ、何でもないです。人違いです。すみません。 私、花……です。篠宮 花です」


 春のピンクが僕等を優しく包んだ。そんな気がした。


その春が、

誰かの名前を奪う始まりだなんて、

この時の僕は、まだ知らなかった。

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