「💞彼女たちの屋根裏」現代社会の集合住宅に潜むさまざまな問題をゴスロリ姿の九条響子はどう解決するのか?
⚓フランク ✥ ロイド⚓
第1話 人身事故で犯人を特定してしまう響子の話
響子の持ち分マンション『テラスコーポⅠ』近くの居酒屋『寿限無』で飲んでいた彼女が耳にしたのは、自分のマンション正面で起こった人身事故だった。居酒屋の客たちも江戸っ子がほとんど。火事と喧嘩は江戸の華、という野次馬根性が染み付いた客ばかりだ。
響子は、居酒屋の椅子には不釣り合いなフリルたっぷりのスカートを揺らして立ち上がると、黒のレースが重なるゴスロリ姿のまま、野次馬たちを引き連れるような形で事故現場へと向かった。
マンション正面は前後20メートルほど封鎖されていて、道路脇にブルーシートで覆われたバンと軽自動車が見えた。かなりの重症か、あるいは死傷者がでたのだろうな、と響子は直感した。マンションのエントランスに目を向けると、私服刑事らしい男性と女性の二人が、彼女のマンションの管理人である折田になにか尋ねているのが見えた。
響子は、これは刑事さんが私のマンションの監視カメラの映像を見たい、事故映像が映っていれば欲しい、ということね、と推測した。でも、管理人の折田さん、オジイチャンで監視カメラのソフトの操作なんてできないわよねえと思った。
彼女は黄色い立ち入り禁止テープの後ろに立っていた警官に「あのマンションの所有者の九条響子です。マンションに行きたいのですけど」と言って、現場に入れてもらった。夜の凄惨な事故現場に、ヘッドドレスをつけたゴスロリ姿の美少女――に見える39歳の女性が毅然と現れたことに一瞬警官は戸惑ったが、その堂々とした態度に道を開けた。
折田がエントランスのガラス扉上に設置してある監視カメラに顔を向ける。顔認証で扉のロックが外れた。「同行者が二名」と折田がカメラに向かっていう。扉の上の液晶画面上でOKの緑のサインが扉横のモニターに出た。
私服刑事の女性が「え?今、何をされたのですか?」と驚いて折田に聞いた。
「私は顔認証で入館できますが、認証システムに登録していない人は入館できない仕組みになっているそうです。すり抜けようとしても扉がロックされます。それで、登録されている私が、同行者が二名と申告して入館できる仕組みなんです。申告したのが二名で、もし三名で入ろうとしてたら扉がロックされます。二名と言ったのに一名しか入らなかった場合も警報が出ます」
「それ、凄いシステムですよね?」
「さあ、私には難しくってよくわかりません」
折田は一階の管理人室に私服刑事を案内した。響子も彼らに続いて入室する。
「あの、刑事さんですか?私はこのマンションのオーナーの九条響子と申します。もしかして、監視システムの録画映像を見たいのかもしれないと思いまして。この前も事故で警察の方が訪ねてこられたことがあったので」と彼女が刑事たちに尋ねた。
折田はホッとした顔をしている。「理事長、ちょうどいいところへ来られました。私にはこのシステム、うまく操作する自信がないものでして」と言う。確かに、60歳以上が大半の管理人には監視システム操作は荷が重い。だけど、それでは高度の監視システムを導入した意味がない。宝の持ち腐れだ。マンション管理会社のアイワREMC社に言って、コンピューター操作に詳しい人に管理人をチェンジしてもらおうかしら、と響子は経営者としてシビアな考えを巡らせた。
「折田さん、そう思ったのよ。刑事さん?私が操作しますわ」と彼らにことわって、響子はデスクに座った。「事故の起こった映像を見られたいんですね?」と聞く。女性刑事が「そうです。その映像はすぐ閲覧できますか?」と響子に身を乗り出した。「ハイ、事故の起こった時間を教えて下さい」
男性刑事が警察手帳を見て「今から20分ぐらい前の午後10時15分前後と言う目撃者の話がありました」
「了解」
響子はパソコンを立ち上げた。パソコンも顔認証と指紋認証でログインする。ログイン資格のあるのは、マンションの区分所有者の響子、同じく区分所有者のアイワ不動産の社員の吉村大輔課長代理、アイワ不動産の子会社で管理会社のアイワREMC社社員の遠藤実、それと管理人の折田が登録されている。
パソコンが立ち上がった。響子は監視システムのアイコンをクリックする。監視システムは別のパスワードが必要で八桁のパスワードを入力した。外付けの29インチのウルトラワイドモニターが管理人室の小窓の上に二台設置してある。そこにマンション監視システムのカメラ60台の動画が映し出された。左右のモニターにそれぞれ30台ずつの映像が分割表示される。
響子はデスクトップのモニターの監視システムに今日の日付と午後10時15分の時間を入力した。ウルトラワイドモニターの30+30画面が、ライブ映像から午後10時15分からの録画映像に切り替わった。
「エントランスの通路、アーケードの四台の広角カメラだと正面道路が画面に入るわ。あ!これね!ちょうどバンが軽自動車に突っ込む場面だわ」と響子は四台以外のカメラの映像を消して、左右のモニターに二つずつの画面を大きく出した。
録画画像が大きくなった分、見やすくなった。少し時間を戻して午後10時14分からの映像を出した。速度を三分の一に落としてスローモーションに切り替える。
「暗くて見にくいわね。暗視映像だとどうだろう?」切り替えると白黒画面になり、運転手の顔がハッキリと見えた。
「九条さん、そこで映像を止めてください」と女性刑事が言う。
「吉崎警部補!このバンの運転手の男性、スマホを肩に載せてませんか?」
「安納警部、確かに運転中のスマホ操作をしていますね」
「それでよそ見をして軽自動車に突っ込んで正面衝突?」
「その可能性は充分ありますな」
吉崎警部補と呼ばれた男性は三十代で、安納警部の方は二十代後半に見えた。テレビで見たことがあるが、都道府県警察が管轄する所轄に所属するノンキャリアの警察官と、国家公務員試験の総合職や上級試験に合格したキャリア組のエリートのコンビということかしら?吉崎さん、年上の部下としてやりにくいわね、と響子は同情混じりに思った。
「折田さん、この運転手の人、どこかで見かけたような気がしない?」と響子が折田に尋ねる。
「暗くてハッキリしませんが……なんとなく見たような……」
「顔認証してみましょう」
「九条さん、このシステムでそんなことができるのですか?」
「ええ、このマンションに出入りしたことのある居住者以外の人でも、エントランスカメラのデータが残っていれば、顔認証のパラメーターで特定できるんです」
響子は運転手の顔をマウスでドラッグした。顔認識システム(Face Recognition System)コマンドが起動して、運転手の顔を
運転手の顔がモニターの左側に拡大して映った。右側で入退室者のデータが次々と変わっていき、エントランスのカメラで撮った一つの画像で停止した。照合率98%と画面に表示された。
『照合された人物は98%の確率で、◯ーソン東日暮里◯丁目店の店員オオワダさんです』とパソコンのモニターに表示された。
「九条さん、なぜこんなことがわかってしまうのかな?」と警部補が不思議そうに尋ねる。
「コンビニから配達の人がマンションに来るじゃないですか?『◯号室の〇〇さんへの配達です』って入退室の際に注文主とのやり取りを、音声を含めて記憶しておくんですよ。たまたま大和田さんの場合は、『◯ーソン東日暮里◯丁目店の大和田です』というやり取りもされたのだと思います。そのデータが残っていたので、顔認識データとの照合で名前まで判明しただけです」
「スゲェ。安納警部、これ
「吉崎警部補、予算がないわよ。九条さん、このシステム、ものすごくお高いんでしょう?」
「数年前ならこのレベルの顔認識システムだと専用のサーバーが必要で数百万円から数千万円までしたと思います。◯ナソニックや◯立が販売していました。でも、今はエヌ◯ディア製などのAIチップが安くなって、そのチップ搭載の汎用デスクトップとか、Windowsの個人用AIアシスタント搭載のノートパソコンでも出来てしまうんです」
響子は卓上モニターの後ろを指さした。「このシステムはこの函体で動いています」それはマックミニ並の大きさのものだった。「これ一台で1ペタフロップスの性能です」
「1ペタフロップス?」吉崎は響子に怪訝な顔で尋ねた。
「スパコンの『京』をご存知ですか?」
「一時期、世界最高性能と言われたスパコンですよね?」と安納が答えた。
「『京』の演算性能は約10ペタフロップスです。つまり、このマックミニ並のパソコンの演算性能は『京』の10%あるということです」
「スパコンの京ってデータセンターぐらいの大きさじゃないですか?その10%の能力が?これに?こんなに小さいのに?」
「ええ。この分野の進歩は信じられませんね。クラウドコンピューティングでやれば良いかもしれませんが、こんな顔認証データをクラウドにアップするわけには行きません。ハッキングの危険性があります。だから、現場置きのシステムでデータ管理と解析をしないとならないんです。それが今までは天文学的に高かったのが、お安くなってきた、ということかしら」
「それでも、これ、お高いんでしょう?」
「本体は一台50万円くらいですわ。それとソフトはこのマンション用に汎用製品を改造してもらったので、ソフト代で30万円。もちろん、監視カメラシステムは別ですけど。監視カメラシステムがあれば後付けで設置できます」
「欲しいなあ。これがあれば死ぬほど残業しなくて済みそう。ね?吉崎さん」
「そうですなあ。これが
「あ!吉崎さん、安納さん、これ、報告書に書いてはダメですからね!」
「なぜですか?」
「あくまで、このシステムはこのマンションの入居者のセキュリティーのためのものです。データ解析を目的としていません。でも、今やってしまったのはデータ解析で、これは入居者と来訪者の個人情報、肖像権、プライバシーの侵害となります。あくまで『オーナーの九条が映像を見て大和田さんと証言した』という形にしておいてくださいね」
「もったいねえなあ……」「もったいないわねえ……」
「本人確認は運転手さんから直にできるじゃないですか?」
「了解です。ところで、この動画データを……」
「ハイ、DVD-Rに焼きましょう。以前に動画を警察に提供した時にお聞きしました。ここの所轄署ではUSBメモリーの使用は禁止されているって。署のパソコンはUSBポートブロックされているそうですね。ですので、わざわざDVD-Rライターを買ったんですよ。ウィルスチェックもしておきます」
「何から何まで申し訳ありません」
「このマンション、いいですねえ。私も住みたい!女性の一人住まいだとストーカーとか心配ですから、入退室管理もしっかりしているし、このマンションなら安心ですね」と安納沙織警部が羨ましそうに言った。
「初期投資が高くなって、共同パートナーの不動産会社には怒られたのですが、ここの資産価値も上がるのだからと無理を言って、監視カメラシステムはかなりの投資をしました。ゴミの集積場や駐車場も監視していますし、共有エリアの廊下、エレベーターも監視してます。でも、このパソコンシステムは私の私物なんです」
「ちなみに賃料はお高い?おいくらですか?」
「安納さんは一人住まいですか?」
「ええ」
「1DKで12万9千円、管理費が1万5千円、修繕積立金が8千円くらいになりますけど……」
「ええっと……15万2千円!警察のお給料じゃあ払えません!」
「私の持ち分のお部屋なら多少はお安くなりますが、空きが……まあ、私の長男の部屋を追い出せば良いのか……」
「追い出すって……」
「長女が2LDKを使ってますから、そっちに息子を追いやれば空きができます。中2の詩音と小6の奏汰なら、まだ喧嘩しながらでも同居できるでしょう」
「でも、15万2千円でしょう?」
「警察関係者が入居していただけるなら、マンション全体の防犯・威嚇効果にもなりますし、多少はお安く……賃料11万円なら?」
「九条さん!もう一声!」安納が食いつく。
「ふふふ、じゃあね、賃料9万7千円では?管理費と修繕積立金をあわせてピッタリ12万円!」
「それ、乗った!乗りました!……あ!吉崎さん、折田さん、この話、オフレコで!」
「やれやれ、安納管理官、オレのマンションなら3LDKで部屋が余っている。賃料、タダでいいのに……」
「吉崎警部補!私にあなたと同棲しろって言うの?」
「それもいいじゃん!同棲どころか、結婚しても……キャリア警察官と逆玉できるのになあ」
「ヤです!職場結婚なんて死んでもイヤ!」
「お二人共仲がよろしいんですね」
「上司命令でペアを組んでいるだけです!」
「ハイハイ、じゃあ、不動産会社宛てにメールを書いちゃいましょう。『アイワ不動産、吉村大輔課長代理様、お世話になっております。長男の部屋を貸し出すことにいたしました。知り合いの方なので、賃料は9万7千円、管理費1万5千円、修繕積立金8千円に決めました。近々、安納……』お名前は?沙織さん?『安納沙織さんが貴社に伺うと思います。ヒアリングの上、契約をお願いいたします。引っ越しの期日などは本人とお打合せ願います。九条響子』と。これでいいですね?」「素早いご対応!ありがとうございます!」
響子は安納、吉崎に動画を焼いたDVD-Rを渡した。オオワダさんの件はくれぐれもご内密にと言い添えた。二人は礼を言うと、事故現場の検証へと戻っていった。
管理人室を出て、さて飲み直そうか?と響子は思った。折田が住込み管理員の居室に戻ろうとしたので声をかけた。「折田さん、ご苦労さま。残業になってしまったわね。もう上がりなんでしょ?居酒屋の寿限無で一杯やってたのよ。よろしければ一緒にいかが?」
「よろしいんですか?私も部屋で一杯やろうと思ってましたが……」
「一人で飲んでも面白くないでしょ?」と折田を居酒屋に誘った。
「そうですなあ。一人飲みだと酔いが回るばかりで、テレビを視て布団もひかずに寝ちまうこともありますから。お相伴に預かりますか」
「そうそう、その通り。マンションのみんなもいるから、ワイワイ騒ぎましょう」
響子は、慣れないハイテク操作で疲れ果てた様子の折田の腕を掴んで、明るい声で居酒屋に引っ張っていった。
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