散華

家入 二郎

第一話

助言


「お前のバットに人生は乗ってるのか?」


声色が重くて、冷たい。

試合後のロッカールームだった。


「そんなんじゃ、一生打てねぇぞ。」


その意味が分かったのは、ずっと後になってからだった。



夕日が残るビル街の夜景に、照明灯の光がさす。

都会の真ん中に広がる人工芝のグラウンド。


あの時の俺は、プロ3年目。

早くも勝ち取った指定席が、4番ファーストのスタメンだった。


甲子園。二軍ですら感じたプロの壁。

見たこともない球を投げる一軍の投手。

その前の年の終盤になってやっと掴んだ、一軍でプレーする機会。そこで、なんとか爪痕を残すことができた。


先輩達との自主トレに、練習漬けのキャンプを越えて、オープン戦ではちょっとした注目株になった。

自分でも驚いたが、開幕4番を任せてもらえることになった。


この時の俺、鳴瀬隼人は、舞い上がっていた。

燃えていた、ともいう。


必ず、日本一の4番になると。

その一歩を踏み出す、記念すべき1日が、今日だ。

そう思った。


恋焦がれた第一打席は、2回裏にやってきた。


対する先発は、ジャイアンツのエース、氷室。

鳴瀬がオープン戦で放ったホームランのうち一本は、この氷室から放ったものだった。


自分への期待感が膨らみ続けるなか、対峙するマウンド上の氷室は、一ヶ月前に見た姿とはまるで違った。

彼は、人間ではないとすら思った。


内角低めのストレートに、反応できなかった。


外にきた真っ直ぐが、壁に当たったのかという角度で曲がり、ストライクになった。


訳もわからず追い込まれた。


一歩も引くもんか。


氷室が放った3球勝負の真っ直ぐは、ガムシャラのフルスイングを素通りし、キャッチャーミットに収まった。


何が起こったんだ、とマウンド上の氷室に目を向けても、内野手の返球を涼しい顔でまつ背中が、悠然とそこにあった。


まだ、第一打席。

数十分待てば、二回目の勝負がある。気持ちを立て直して、仕切り直せばいい。

なんといっても、俺はこの氷室からホームランを打ったことだってあるんだ。


そう言い聞かせた第二打席もリプレイかの如く三球三振に仕留められ、膨らんだ自分への期待は、空気の抜けた風船のように萎んでいった。


ストレートにしか見えない球が、目の前で消える。

センタービジョンに映し出される、ワンバウンドするフォークボールに空振りしている情けない自分の姿と、さっき自分に見えた球筋が同じものだとはとても思えなかった。


ベンチに引き上げながらマウンドを見たとき、氷室は仁王立ちでこちらを見下していた。


見てろ、次の打席こそは。

心で言って睨み返すと、氷室は不敵に笑っていた。


7回に回ってきた第三打席。

氷室は快投を続けていた。ベンチの先輩達も、今日のアイツは出来が良すぎると降参模様。


初球はボール。外角いっぱいの真っ直ぐ。

一歩も引かない、絶対にフルスイングだけは忘れるな。

そう誓って覚悟を込めて踏み込んだ。


真ん中高めの、強いストレート。


俺は豪快に空振りした。ヘルメットが飛んだ。

スタンドから感嘆の声が漏れる。

負けてたまるもんか。


変化球、真っ直ぐと、明らかなボールが二つ続く。


有利なカウントだ。

氷室は、ゆったりとしたモーションから飛ぶような踏み込みでボールを投げ込んできた。


ど真ん中、真っ直ぐ。

踏み込んだフルスイングにボールが当たる感触。

鈍い衝撃と共にバックネットにボールが突き刺さる。

ファールチップ。


今から思えば、あれは甘い球だったかもしれない。

仕留めきれなかったことを悔やんでも、次の一球を迎えなければならない。

次こそは。と気を取り直して構えた。


続いて放たれたボールは、踏み込んだ右膝を目掛けてまっしぐらに向かってきた。


当たる!


わずかな恐怖に硬直した俺の膝元を通過したボールは、ミットを突き破らんばかりの音を立てて着弾した。


…ボーーール!フォア!


膝元へのクロスファイヤー。氷室の勝負球だった。


見逃し三振と言われてもおかしくなかったが、フルスイングを貫いた結果の四球だと思った。

四隅に投げなければ打たれるというプレッシャーが、この結果に結びついたのだ。と言い聞かせた。


開幕4番で1出塁となった俺は、自分の期待を下回りつつも、一応の結果を残せたことに一定の満足感と、安堵があった。


俺への四球で出塁を許した氷室は7回途中を無失点のまま、マウンドを降りた。

後続のリリーフを攻略できなかった俺達は、0-2で試合に敗れた。


その、試合後。

「志水さん、あれどうやって打つんですか?」

ロッカールームで3番に座るベテランに声をかけた。


「今日のヒムヒム半端なかったねー。あれは正直いってノーチャンス。ただまぁ、隼人はちょっと肩に力入りすぎかな。もっと気楽にやんな。期待してるぜー新4番くん。」


肩をポン、と叩いた志水さんは、お先に、と流れるように退出していった。


切り替えて明日頑張れということだと思った。

ロッカーを閉めて振り返ると、1人の男が立っていた。


「おいお前。本当にそれでいいと思っているのか。」


冷徹な、こちらの瞳を貫通するような視線。


「お前のバットに、お前の人生は乗ってるのかって聞いてるんだよ。」


低く冷たい声が、俺の体を射抜く。


「い、岩崎さん…急にどうしたんですか…」


岩崎悟31歳。

志水さんの同期で、昔は主軸を打っていたし、その華々しい活躍は知っている。同じ左打者で、高校球児だった頃はよくフォームを真似したものだ。

しかし、プロ入り後の同僚としての岩崎は、代打専門の控え野手であった。


ふん…と目を斜めに滑らせた岩崎は、その長身を翻すと、そのまま部屋から出ていってしまった。


「そんなんじゃ一生打てねぇぞ。」


冷たいセリフを残して。

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