無能判定された鑑定士、理屈で世界の“評価基準”を書き換える

かねぴー

第1部

第1話 無能判定という結論

 鑑定士ギルドの審査室は、いつ来ても静かだった。

 静かというより、音が排除されていると言ったほうが正しい。声も、感情も、判断すらも。壁に染みついた沈黙が、この場所に入る者すべてを包み込む。

 俺は椅子に座り、正面の机を見つめていた。机の表面には傷一つない。何度も拭かれ、何度も使われてきたはずなのに、痕跡が残っていない。この部屋にあるすべてが、個人の色を消すように設計されている。


「――結果は以上です」


 審査官が、淡々と告げた。

 中年の男だった。髪はきれいに整えられ、服に皺はない。感情の起伏は一切なく、俺の人生を決める言葉だというのに、事務作業の一行を読み上げるような口調だった。まるで倉庫の在庫を数えるように、彼は言葉を吐き出す。


「あなたの鑑定結果は、基準に照らし合わせた結果――無能と判定されました」


 室内に、沈黙が落ちる。

 天井の魔導灯が、かすかに瞬いた。それ以外には、何の音もしない。審査官の手元では、書類がわずかに揺れている。風はない。彼の呼吸だけが、紙を震わせていた。


 俺は黙っていた。

 息を吐く。ゆっくりと。

 反論の準備なら、いくらでもできていた。この日のために、何度も頭の中で言葉を組み立ててきた。だが、この場でそれをしても意味がないことは分かっている。言葉は、聞く耳を持つ者にしか届かない。そして、この男は聞く気がない。


「理由を述べます」


 審査官は書類に目を落としたまま続ける。その視線は俺を見ていない。見る必要がないのだ。彼にとって俺は、処理すべき案件の一つでしかない。今日の何件目か。それだけの存在だった。


「あなたの鑑定は、再現性に欠けます。同一対象を鑑定した際、数値が一定せず、他鑑定士との整合性も取れていない」


 ――違う。

 正確には、揃えなかっただけだ。

 揃えることに、意味を感じなかった。

 同じ数字を出すことが、何の役に立つのか。俺には分からなかった。


「鑑定結果は、ギルドが定める評価基準に従い、同一条件下で同一結果を示す必要があります。しかしあなたの鑑定は、その前提を満たしていない」


 それが、この世界の"正しさ"だった。


 鑑定とは、数値化だ。

 魔力適性、成長率、希少性。

 すべてを数値に落とし込み、平均との差異で価値を測る。

 分かりやすい。比較しやすい。管理しやすい。誰が見ても同じ結論にたどり着く。

 だからこそ、この制度は広まった。便利だからだ。考えなくていいからだ。


 だが――


「あなたは、評価対象ごとに参照基準を変えている」


 審査官が、わずかに顔を上げた。

 初めて、俺の目を見た。そこに感情はない。ただ、確認のための視線だった。この男が何を考えているのか、俺には分からない。分かる必要もない。


「鑑定士が独自解釈を挟むことは許可されていません。我々は、結果の正しさではなく、基準への適合を評価します」


 そうだ。

 ここでは、正しいかどうかより、揃っているかどうかが重要だ。

 全員が同じ物差しを使えば、誰も責任を取らなくていい。制度が決めたことだから。基準に従っただけだから。間違いがあっても、それは制度の問題であって、個人の問題ではない。


 俺は頷いた。

 静かに、一度だけ。


「異論はありません」


 それが、審査官を少しだけ驚かせたらしい。

 眉がわずかに動く。ほんの一瞬、彼の中に疑問が生まれたのが分かった。追放を告げられて、反論しない者は珍しいのかもしれない。


「……よろしいのですか?」


 彼の声には、わずかな戸惑いがあった。台本にない展開だったのだろう。


「はい。基準に照らせば、俺は無能です」


 事実だからだ。

 このギルドの評価基準において、俺は確かに無能だった。それは認める。認めた上で、先に進む。


 俺の鑑定は、対象の"現在値"を測らない。

 比較もしない。

 平均との差も出さない。


 代わりに見ているのは――変化条件だ。


 何をすれば伸びるのか。

 何をすれば壊れるのか。

 その対象が、どの環境で、どの判断を下したとき、どう変わるのか。


 未来の可能性を見る力。それが俺の鑑定だった。

 だが、それは「今の強さ」を測る制度では不要な情報だった。

 だから俺は無能だ。この場所では。この基準の中では。


「よって、本日をもって――」


 審査官は書類を閉じる。乾いた紙の音が、やけに大きく響いた。


「あなたの鑑定士資格を剥奪します。同時に、ギルド所属の解除。以降、公式な鑑定行為は禁止です」


 追放。

 それだけのことだ。


 誰も怒鳴らない。

 誰も笑わない。

 誰も俺を見下さない。

 感情の起伏がないまま、結論だけが落とされる。

 この部屋に相応しい終わり方だった。静かで、冷たくて、後に何も残らない。


「最後に確認します。異議申し立ては行いますか?」


 俺は首を横に振った。

 ゆっくりと、迷いなく。


「しません」


 この制度の中で争っても、勝ち目はない。

 なぜなら――


 評価基準そのものが、間違っているからだ。


 それを証明する場所は、ここじゃない。

 ここで声を荒げても、何も変わらない。制度は制度のまま、明日も誰かを無能と呼び続ける。俺が怒っても、泣いても、この部屋の空気は変わらない。


「……では、退室してください」


 扉が開く。

 廊下から流れ込む空気が、わずかに暖かく感じられた。審査室の冷たさから解放される、その瞬間だけ、体が緩んだ気がした。

 振り返らなかった。振り返る理由がない。


 廊下を歩きながら、俺は考える。

 足音が、静かに響く。他に誰もいない。


 俺は無能ではない。

 だが、この世界の基準では、無能と判定される。


 なら、やることは一つだ。


 自分を証明するのではなく、

 世界の"評価の仕方"を間違いだと示す。


 人を責める必要はない。

 感情的に復讐するつもりもない。

 あの審査官を恨んでも仕方がない。彼は基準に従っただけだ。彼もまた、制度の中で生きている。


 ただ――

 正しく測れない基準は、正しくない。


 それだけの話だ。


 鑑定士としては追放された。

 だが、俺の頭の中には、すでに次の判断があった。

 終わりではない。始まりだ。


 この世界は、まだ気づいていない。

 評価される側が、評価基準を選ぶ側に回る可能性を。


 外に出ると、空は曇っていた。

 だが、暗くはない。雲の向こうには、確かに光がある。

 風が吹いた。冷たくはなかった。


 勝利は、まだ先だ。

 それでいい。

 俺は歩き出した。

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