第25話 別視点(バルカン男爵):硝子の王と冷たい檻
離れの窓には鉄格子が嵌められていた。かつてバルガン男爵が娘のためにあつらえたものよりも、遥かに無骨で実用的な鉄の棒だ。
「……エリストール。ああ、私の可哀想な天使」
男爵は豪奢だがどこか空虚な部屋の中を、檻の中の獣のように徘徊していた。 爪を噛む音が静寂に響く。 薬である月の吐息が切れた禁断症状で、指先の震えが止まらない。頭の中には白い霧と、どす黒い感情が交互に押し寄せていた。
ガチャリと重い音がして扉が開く。 現れたのは完璧に整えられた燕尾服姿の男、執事マリウスだった。手には銀の盆、その上には質素なスープとパン、そして水が載っている。
「食事の時間です、旦那様」
「……マリウス」
男爵は充血した目で執事を睨みつけた。
「貴様、よくもぬけぬけと……! ここから出せ! 私はこの領地の主だぞ!」
マリウスは表情一つ変えず、テーブルに食事を置いた。
「法的には、貴方様は重度の心身衰弱により隠居されたことになっております。ご安心を。領地経営は、この私が代行として滞りなく進めておりますので」
「経営だと? 貴様は私の財産を、私の娘を奪った泥棒だ!」
男爵が掴みかかろうとするが、マリウスは紙一重でそれを躱した。その動きには老いを感じさせない不気味な洗練があった。
「奪ったのではありません。……『最適化』したのです」
マリウスは冷ややかな瞳で、かつての主人を見下ろした。
「貴方様の歪んだ愛情は、エリストール様の才能を腐らせていた。彼女はもっと美しく、効率的に機能する。私の管理下であればね」
「機能……だと……?」
男爵の背筋に悪寒が走った。 こいつはエリストールを人間として見ていない。ただの高性能な道具として管理しようとしている。 自分も娘を鳥籠に閉じ込めていたが、それは愛ゆえだ。男爵はそう信じている。だが、この男は違う。ここにあるのは愛のない純粋な支配欲と、機械的な合理性だけだ。
「娘に会わせろ! ああ、あの子は繊細なんだ。私がいなければ、あの子は怯えて死んでしまう……!」
「ご心配には及びません。彼女は今、とても役に立っていますよ」
マリウスは嘲るように口角を上げた後、踵を返した。
「大人しくしていれば、食事のグレードくらいは上げて差し上げますよ。……元、旦那様」
鉄扉が閉ざされ、再び静寂が訪れる。 男爵はその場に崩れ落ちた。怒りと屈辱で視界が赤く染まる。
「……許さん」
男爵は床を拳で叩いた。 エリストールは私のものだ。あの美しい人形を愛でていいのは、父親である私だけだ。それを、あんな薄汚い成り上がりの執事に汚されてたまるか。
ふと、男爵の視線が部屋の隅にある書き物机の下に止まった。 彼は震える手で床板の隙間を探った。そこには、以前隠しておいた予備の『月の吐息』の小瓶が一つきり、誰にも見つからずに残されていた。 それは甘美な毒であり、同時に意識を覚醒させる劇薬でもある。
「……マリウス。お前は計算高いが、一つ見誤っている」
男爵は小瓶を握りしめ、歪んだ笑みを浮かべた。
「親という生き物は、子供のためなら……地獄の底からでも這い上がれるのだよ」
狂気は消えていない。むしろ冷徹な復讐心という燃料を得て、見えない場所でどす黒く燻り始めていた。
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