姉はTS吸血鬼(姉じゃない)
大根ハツカ
#001 開帳
パチリ、と目が開く。
その瞬間、視界に映るのは赤。
「っ⁉︎」
「おおっと。危ない危ない。急に跳ね上がったら
赤。
それは目の前の女の右目の色彩。
その女は唇が触れそうになるほどの至近距離で、僕の顔を覗き込んでいた。
「…………誰だ?」
見覚えのない女だった。
金の混ざった
目の前で動いているのを見なければ、蝋人形とさえ錯覚してしまうような生気の無さ。
周囲を囲む金属製の壁も相まって、まるで鋼鉄製の
左目に突き刺さった銀色の杭は、外れかかった頭のネジでも表しているのか。
総じて、一度見れば絶対に忘れる事のない美貌。目に焼きつく奇抜なファッション。
間違いなく、僕の生涯には一度たりとも存在した事はなかった。なのに、その言葉を聞いて、女は心外そうに言う。
「おや、私を忘れるなんて酷いじゃないか。君……名前は何だったか。まあ良い」
女は笑う。
唇を三日月のように歪めて。
血のように赤い右目を輝かせて嗤う。
「ほら、私だよ。君が生まれた時から側にいただろう?」
…………。
……………………。
………………………………。
そうだ、そうだった。
寝ぼけていたのか。どうして分からなかったのだろう。
「すまない、姉さん。おはよう」
この人は『姉』だ。
僕が生まれた時からずっと側にいた家族だ。
「まったく。姉の顔を忘れるとは酷い弟もいたものだ」
「姉さんこそ。弟の名前を忘れてなかったか?」
「はて? 何のことやら。弟の名前くらい覚えているさ。……アレだろ、アレ。えーっと、一文字目をヒントで教えてくれ」
「本気で言っているのか? ……あなた、本当に姉さんか?」
心の底から不信感が湧き出る。
弟の名前を覚えていない姉がいるだろうか。
いや、そもそも、僕に姉なんて────
「ゴチャゴチャうるさいなあ。弟は姉に絶対服従だ、私に楯突くんじゃあない」
「……いや、絶対服従って、」
「効きが悪いか。だが──姉は清廉潔白にして絶対正義。君の善悪の基準は全て姉となる」
「………そう、かも。姉さんは、姉さんだから……絶対に正しくて……だから、絶対に従わないと……」
頭がぐるぐるとする。
視界が回る。落ちるような浮遊感。
走馬灯のように幼少期の記憶が駆け巡る。
僕に姉はいない。それは確かだ。
だが、目の前の『姉』が自分は姉だと言っているのだから、やっぱり彼女は『姉』なのだろう。
「あまりオレ……私に手間をかけさせるな。それで、君の名前は?」
「
「まったく、姉の名前も分からないとは酷い弟もいたものだ。罰として君に私の名を教える事はない」
「本当にすまない……」
凄まじい罪悪感に頭が痛くなる。
『姉』の名前も覚えていない弟なんて最悪だ。
まだ寝ぼけて働いていないのか、僕の脳みそは。
「何はともあれ弟くん。ようやく辿り着いたみたいだぜ」
ガコン、と。
重たい金属音と床の揺れが、抱いた疑問を忘れさせる。
床の揺れが収まった事で、この金属製の箱が今まで動いていた事を自覚する。
今更ながら気づいた。
僕達のいる金属製の壁で囲まれた小部屋の正体は、エレベーターだった。
チーン、と到着のベルが鳴る。斜め上に設置された電子画面に表示された数字は九十九。
「────、」
いいや、違う。
九十九ではない。
目を擦る。
常識を疑う。
だが、画面に映る数字は変わらない。
──マイナス九十九。
地下九十九階に到着した。
「……ここは、まさか」
「忘れたかな、弟くん。私達の目的地を」
重そうな鋼鉄の
瞬間、広がる景色に目を奪われる。
視界は極彩色に染まる。
蛍光塗料だろうか。地面もビルの壁面も、全てが色とりどりなストリートアートで敷き詰められている。
高架下の
しかし、それでも暗闇を照らすには足りない。まばらに建てられた街灯も心許ない。夜の繁華街のようなギラついた明かりでは黒い闇は拭えない。
上空に太陽はなく、星も見えない。
「…………っ」
息を呑む。
……知っている。
日渡昇悟はこの街を知っている。
呆然としたまま、歩みを進める。
ガラガラ、と隣でスーツケースの車輪の音が響く。『姉』は僕の歩みに合わせてくれた。
エレベーターの中からではなく、外に出て街を一望する。
広い。初めにその印象を抱いた。
百メートルを超えるビルが無数に並ぶ、地下とは思えない莫大な空間がすり鉢状に展開されている。
何よりも大きなのは背後にそびえるエレベーター。地上から
「
僕はこの街の名を知っていた。
東京に住む者なら誰だって知っている。
見えないフリなんてできやしない。
僕達東京都民は、自分達の足元に潜む爆弾──東京都直下に広がる地下空洞都市を意識せざるを得ない。
東京都二十三区の地下鉄網を拡張し、地下三百メートルまで掘り進めた収容施設。
首都の地下に太陽の光が届かぬ闇を作ったのにはワケがある。此処は、現代に蘇った御伽話を封じ込めるための街だった。
喉を引き攣らせる僕とは対照的に、『姉』は感慨深そうに息を吐いた。
言葉にせずとも彼女は語る。やっと此処まで来た、と。
ぽつり、と。
『姉』は声を漏らした。
「ここが……裏都。日の光は遠く、川の流れは堰き止められ、銀の弾丸を恐れる必要もない。──私のための街だな」
ゾッ、と寒気が走る。
何か、致命的な間違いを犯した。
信じるモノを間違えた、そんな感覚。
間違えてなんかいない。
『姉』に間違いなんかない。
なのに、衝動的に言葉が出そうになる。
「あなたは、一体────」
──何者、と訊こうとした。
その、瞬間。
ドン! と。
『姉』が走る人影に突き飛ばされた。
「ぐっ、ぬおおおおおおおおおお⁉︎」
「ねえさーん⁉︎」
ごろごろごろごろ! と『姉』は横に
突き飛ばされたにしても転がりすぎだ。フローリングされていない地べたで十回転できるのは逆に才能があるんじゃないか?
何というかもう、みっともないにも程があった。神秘的で冷徹な雰囲気は何処へやら。
『姉』に少しばかり恐怖を抱いていた自分が恥ずかしくなる有様だった。というか、ぬおおおとか言う
「姉さん、大丈夫か?」
「だいじょうぶかぁ、じゃない! なぜオレを守らなかった! 姉を守るのは弟の義務だろう⁉︎」
「そっか、そうなのか。それはすまない。僕の失態だ。失った信頼は結果で取り戻そう」
そう言いつつ、僕は掴んでいたスーツケースを更に引っ張る。
『姉』が使っていたスーツケース。今、その持ち手には二つの手があった。
一つは当然、僕の手。
しかし、もう一つは『姉』のものではない。
彼女は視界の隅で無様に転がっている。
だが、ここにはもう一人いた。
即ち、『姉』を突き飛ばした誰か。
「被り物一つもしていないとは大胆なひったくりだ」
目の前にいたのは女だった。
真っ赤な髪で、ひったくりなんかよりも
『姉』を突き飛ばした時点で気付いていた。彼女の狙いは初めからスーツケース。走ってそのまま持ち去るつもりだったのだろうが、僕はその前にスーツケースの持ち手を掴んだのだ。
それは『姉』のものだ。
『姉』は絶対。その財産が奪われるなどあってはならない。
「このまま力比べをしてもいいが、あなたはどうする?」
「…………チッ」
赤髪の強盗は手を離す。
押し付けるようにスーツケースを振り払うと、踵を返して走り出した。
奇襲に失敗すればすぐさま逃亡。引き際が早い。手慣れている……間違いなく初犯ではないだろう。
逃げる後ろ姿を見送る。アスリート並みの速力。強盗はすぐに視界から消えた。
追いかける必要もない。窮鼠猫を噛むとも言うし、わざわざ相手を追い詰めて火事場の馬鹿力を引き出す趣味はない。
スーツケースは取り返したのだし、『姉』もこれで許してくれるだろう。これで追いかけようなんて言うヤツは馬鹿だ。
「なぜ逃した⁉︎ 今すぐ追いかけるぞ!」
前言撤回。
馬鹿は僕だ。
『姉』を馬鹿にするヤツはみんな馬鹿だ。
「……だが、姉さん。追いかけて危険な目に遭うよりは、ここは見逃した方が安全じゃないか?」
「そんなワケがない! 歯向かうヤツは皆殺しにした方が安全に決まっているだろうが! 私に恨みを持つ者がこの辺りを彷徨いているなど、おちおち眠れもできない」
「犯人の捕縛は警察に任せよう。幸い、この辺りは監視カメラもあるし犯人の顔は丸出しだった。すぐに捕まって──」
「────何を言っている? この街で警察がマトモに機能しているワケがないだろう?」
きょとん、と当たり前の顔で告げる。
『姉』にとってはそれが常識だと言うように。
法治国家にあるまじき発言。だが、『姉』の言葉は絶対だ。ならば間違っているのは僕の常識の方だろう。
同時に、思い出す。裏都とはたった一つの存在を封じ込めるために生み出された収容施設だった。では、その存在とは何か。
知っている。知っていた。知っていて、僕はその事実から目を背けていた。
「監視カメラに意味はない。目撃情報に価値はない。何せ、この
この街にいる者は人外。
さっきの強盗だけじゃない。
目の前にいる『姉』も、そして僕自身すらも────
「──吸血鬼。外見も髪色も身長も何もかもを自在に変えられる、万能の変身能力を持った怪物なのだから」
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