第4話 手がかかる子ほど

「師匠!」

「だから、戸は静かに開けろ」


 この日も青は、小屋の引き戸を勢いよく開け放った。

 藍鬼は青の方を振り向くこともせず、淡々と注意した。

 薄暗い板の間の中心で、身支度を続ける。


「おでかけするの?」

「お前も来るか」

「行く!」


 頬を紅潮させ、青は土間で落ち着きなく飛び跳ねた。

 藍鬼は道具袋を片手に持ち上げると、青の背中を大きな手でそっと押し出し、戸を閉める。


 森を抜け、二人はのどかな集落へ到着した。

 入り口の広場にはむしろが敷かれ、村人たちが腰を下ろして並んでいる。

 その前で、藍鬼と同じように仮面や覆面で顔を隠した若者が、教鞭きょうべんをとっていた。


「――ですので、こちらの『岩血草』は煎じて飲めば腹痛に効きますが、似ているこちらの『赤鬼灯』は、根に毒があります。見分け方は、葉の裏の毛羽立ちです」


 一人は、覆面で口元を隠した、若い女の薬師だ。

 二株の草を掲げて比較して見せると、村の女衆が熱心に頷き、書きとっていく者もいる。


「あれは、何をしているの?」

「薬師たちの、薬草教室だな。せっかくだ。少し見ていくといい」

「見る!」


 藍鬼は青の手を引き、並ぶ村人たちの最後列に立った。


「今年は長雨の影響で、森の湿気が増しています。それに伴い、床下や畑に蛞蝓なめくじが大量発生しています」

 もう一人は、仮面で顔を隠した青年だ。

 村人たちが「そうなんだよ」「作物が荒れちまって」と不安そうにざわめく。


「そこで役立つのが、この『エゴノキの実』です。こいつを石ですり潰し、水を加えてみてください」

 仮面の青年が手元の器で実演して見せると、透明な水がたちまち白く濁り、ブクブクと細かな泡があふれ出した。


「これを家や畑の周辺にいておけば、蛞蝓を寄せ付けません」

 今度は村人たちの間で「それなら簡単にできそうだ」「ありがたい」と声が上がる。


「へぇ〜……」

 青は藍鬼の脚に隠れるようにしていたが、いつの間にか身を乗り出し、目を輝かせて二人の話に聞き入っている。


「あの人たち、凄いね。何でも知ってるんだね!」

 人々の生活の悩みを解決していく若者たちの姿に、青は興奮を隠せない様子だった。


「ああ。偉いな」

 藍鬼がぽつりと呟くと、青がぷくっと頬を膨らませた。

「僕とどっちがにエラい?」

 わかりやすい、幼子の嫉妬だ。


 仮面の下で藍鬼は苦笑しながら、青の頭に手を置いた。

「お前の頑張り次第だ」

「がんばる。絶対がんばる!」

 青は師の手のひらに頭を押し付けるようにして、意地っぱりに宣言した。


 言葉通り、それからの青はさらに学びに没頭した。


 学校では資料室に籠り、藍鬼の小屋へ来れば薬研にしがみついて離れない。

 顔色が悪くなるほどの無理を重ねる青を、藍鬼は時に厳しく叱責し、強引に孤児院へ送り返すこともあった。



 肌を刺すような冷気が森を包む、ある秋の日。

 降り止まない冷雨が木々の輪郭を白く煙らせ、濡れた腐葉土の匂いを濃厚に立ち昇らせている。


 所用を終え、ぬかるむ下草を踏みしめて隠れ家へ戻った藍鬼は、足を止めた。   

 雨の中、小屋の入り口が無防備に開け放たれていた。


「……青か。これだからガキは」

 呆れたように首を振り、藍鬼は湿った風が吹き込む室内へと足を踏み入れた。


 火の気のない冷え込んだ薄暗い室内に、書き損じの紙片が散乱している。

 吹き込む風に煽られて、カサカサと乾いた音を立てていた。


「何だこれは」

 子どもの落書きか、と拾い上げる。

 そこには、稚拙な文字でこう書き殴られていた。


『だんごのオバアチャン。目がくらくらして、おきあがれない』


「村の店の女房のことか……」

 近くの集落で、青によく菓子や団子をくれる、老女のことだろう。


 書かれている症状から見るに、初老にありがちな、不定愁訴ふていしゅうそだ。

 命にかかわるものではないが、長く続く厄介な不調。


 藍鬼は紙片から視線を外し、雨簾あますだれかすむ森を見つめた。

 長雨。湿気。滋養強壮。


「……まさか」


 嫌な予感が背筋を走る。

 藍鬼は紙片を握り潰し、雨の森へと飛び出した。


 風を操り、雨粒さえも置き去りにする速度で、藍鬼は気配のよどむ方角――水脈の交差点へと直走ひたはしった。


 森の奥深くに広がる池のほとり、そこにうごめく影を捉える。

「出たか。瑠璃蛞蝓るりなめくじ


 半透明の青白い粘膜に覆われた巨体は、荷馬車すら容易く飲み込めそうな肉の塊だ。透けた表皮の奥で、消化途中の獲物や内臓が不気味に脈動している。


 長雨の季節にまれに生える霊茸れいしを狙い、水脈を渡って現れる貪欲な捕食者。


 軟体の巨体が小さな影――青を追いかけ、周囲の樹木をなぎ倒しながら暴れ回っていた。


「青!!」

 藍鬼の呼ぶ声に気づくことなく、青は必死の形相で、別方向へと走っていく。

 泥だらけの小さな手には、七色に燐光を放つ霊茸が、しっかりと握りしめられていた。


 青の逃げる先へ、巨大蛞蝓がのしかかるように迫る。

 ジュワッ、と何かが焼け焦げるような異音が響いた。


――ゴボォッ――


 汚泥をぶちまけるような怪音を上げ、蛞蝓がその場でのたうち回り始めた。

 地面との接地面から、凄まじい勢いで白い泡が噴き出している。

 泡は蛞蝓の粘膜を侵食し、瑠璃色の皮膚をドロドロと白濁はくだくさせていた。


「あれは」

 驚愕きょうがくする藍鬼の視線の先で、青が「やった!」と飛び上がる。


 藍鬼の目は、瞬時に池の周囲に自生する樹木を見上げた。

 白い可憐な花を散らし、青い実をつけている木々が群生している。


「エゴノキ……『魚毒ぎょどく』か」


 エゴノキの果皮に含まれる成分は、水に溶けると激しく泡立ち、水棲生物や軟体生物にとっては、猛毒となる。つい先日の薬草教室で、薬師が説明していたばかりだ。


 池の周辺をよく見れば、あちこちで岩が砕かれ、その下から潰れたエゴノキの実の匂いが立ち昇っている。青が逃げ回りながら実をばら撒き、追ってくる蛞蝓の巨体に岩や実を踏み潰させたのだ。降り注ぐ雨が溶媒ようばいとなり、池の周辺が蛞蝓にとって即席の毒沼と化していた。


「よく悪知恵が働くもんだ」

 藍鬼の口角が、微笑を形作る。


 激痛に狂った瑠璃蛞蝓が、頭部の触角をムチのように振り上げた。

 青は岩の影に飛び込み、身を小さくして避けた。

 頭上の岩が触手の一撃で粉々に砕け散る。

 再び走ろうとした青の足が、雨に濡れた木の根に滑った。


「あっ……」

 無防備に転倒、そこへ怒り狂った触手が、槍のように降り注ぐ。


「うわぁあ!」

 青の喉が、掠れた悲鳴に引きつった。


「青!!」

 藍鬼は地を蹴った。

 青の体を抱いて引ったくり、強引に後方へと跳躍する。


「奈落!!」

 小さな体を抱えたまま空中で身を捻り、眼下の地面へ向けて言霊を叩きつける。

 腹の底に響く衝撃音と共に、地面が巨大な蟻地獄のように陥没した。

 泡の毒沼の底に、妖獣蛞蝓の巨体が沈む。


「し、ししょー!?」

 青は目を白黒させ、自分を抱える藍鬼を見上げた。


 藍鬼は高枝に飛び乗り青を太枝に座らせると、返事もせずに両手を地上に向けて振り抜く。数本の長針が紫色の軌跡を描いて、穴の底でもがく粘液の塊に次々と突き刺さった。白煙が間欠泉かんけつせんのように噴き上がり、異臭が漂う。


 熱湯に薬が溶けていくかのごとく、奈落の鍋底で肉塊はほどけ、溶け、崩れ落ちていった。


「間に合った……」

 妖気が完全に消滅したのを確認し、藍鬼は仮面の底で長い息を吐いた。


「青、お前――」

 説教の一つもしてやろうと、振り返る。


「……し、しょお……っ!」

 驟雨しゅううに濡れた体が、藍鬼の胸元へ飛び込んできた。


「っ……」

 無謀な単独行動をとがめようと口を開きかけ、藍鬼は言葉を呑み込んだ。

 体にしがみつく小さな手から、痙攣けいれんによる振動が伝わってきたからだ。


「青?」

 覗き込んだ幼い顔色は、蒼白さを通り越し、ろうのようだ。

 唇は紫色で、濡れた睫毛まつげの下で瞳の焦点が定まっていない。

 長時間冷たい雨に打たれ続けた幼い体が、極度の緊張が解けたことで限界を越えたのだ。


「青!」

 藍鬼は震える小さな背中を、強く抱き寄せた。

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