第3話「崩壊の始まり」
「非論理」という名の研究テーマ
若宮蒼奈のその笑顔は、あまりに自然で、あまりに悪意がなく、そしてあまりに非論理的だった。
「ふーん。面白ーい!その『理由のない性質』、ちょっと研究させてよ、春馬くん!」
――即座に分析を開始する。
俺の心臓は、警報を乱打している。体の表面温度が上昇し、思考回路がオーバーヒートを警告する。これは極度の緊張状態だ。なぜなら、俺の心を完全に武装させていた「論理という鎧」に、予測不能なヒビが入ったからだ。
若宮蒼奈の行動は、俺が過去の膨大な経験から導き出した【女性の行動パターンに関するデータ】と完全に矛盾している。
考えられる可能性として、パターンを構築する。
パターンA【偽装された敵意】
定義: 笑顔と好奇心で接近し、信頼を得た後に、俺を貶めるための情報を集める、より高度で悪質な策略。
論理的評価の 可能性は高い。だが、彼女の絶対的な地位を考慮すれば、手間とリスクに見合うメリットがない。効率の悪い悪意は、人間の行動としては矛盾する。
パターンB【メリット追求の隠蔽】
定義: 俺と関わることで、周囲への「慈愛深いマドンナ」というイメージを固定化し、自己の評価をさらに高めるための行動。
論理的評価は 僅かにある。しかし、彼女の「絶対評価」を維持するために、『雑巾』の過去を持つ俺に関わることは、リスクが大きすぎる。メリットがマイナスに転じる可能性が高い。
パターンC【純粋な非論理的行動】
定義: 彼女の言葉通り、「面白いから」という、計算も動機もない、ただの天然の好奇心。
論理的評価の 論理の破綻を意味する。 しかし、俺の知識とデータが適用できない以上、この最悪の可能性を排除できない。
俺の論理は、このパターンCという脅威によって停止しかけている。
周囲のクラスメイトは、この異様な光景にただ静かに引きつっている。彼らの視線は、俺という『汚物(雑巾)』に触れようとするマドンナへの困惑と、俺への警戒を示している。
俺は笑みの形を保ちながら、なんとか言葉を絞り出した。この女を、俺の土俵に引きずり込まなければならない。
「……幼稚な定義だ。研究というには、あまりに非科学的で非効率だ。そもそも、君が俺を研究する『理由』は、何だ?」
そう、理由だ。感情ではない、破綻のない動機だ。論理を突きつければ、この女の天然の好奇心という薄い膜は破れるはずだ。
蒼奈は、俺の問いかけに、何の戸惑いもなく、むしろ少し面白そうに首を傾げた。
「理由? うーん……春馬くんが、私の知っている誰とも違って面白そうだから、かな?」
――パターンCの確定。論理の敗北。
「面白い」という主観的で曖昧な理由。メリットもデメリットも計算できない、あまりにも感情的な動機。俺の構築した女性不信の壁は、彼女の純粋な「好奇心」という、最も予測不能な武器によって、初手から大きく揺さぶられている。
蒼奈は、春馬の論理的分析を完全に打ち砕いたが、まるで何もなかったかのように、次のステップへ進んだ。彼女の行動は、常に春馬の予測を論理の外側から軽々と超えていく。
「じゃあ、次の研究テーマね」
蒼奈は、席に着くなりすぐに俺の机に体を向けた。その真っ直ぐな瞳は、俺の不敵の笑みの裏側にある『本質』を見抜こうとしているようだ。
「ねえ、春馬くん。あなた、SNSで論争(レスバ)するのが趣味なんだよね?」
――なぜそれを知っている?
俺は冷ややかに言い放ち、牽制する。
「……幼稚なプライベートに踏み込むな。仮にそうだとしても、君に話す義務はない」
「義務?」蒼奈は楽しそうに笑う。「義務じゃなくて、好奇心だよ。春馬くん。だって、そこで繰り広げられるのって、大抵、『ムカついたから言い返す』っていう、春馬くんが否定する感情がスタートじゃない?」
「君の論理は破綻している。スタートが感情であったとしても、最終的に『論理の優位性』が証明される。俺は、感情ではなく、破綻のない論理を振りかざすことに、自己の唯一無二の存在意義を感じるんだ」
俺は即座に反論し、同時に、自分の心に再度言い聞かせた。
「いいか、箕島春馬。感情を、介入させるな」
俺は、目を細めて蒼奈を見据えた。
「俺にとって、この世の全ては論理で構成されている。感情は脆く、無意味で、非効率的だ。そして、唯一、俺を守ってくれるのは、破綻のない論理だけだ」
蒼奈の笑顔は消えない。だが、その蒼い瞳の奥に、少しだけ真剣な光が宿ったように見えた。
「そうなんだ。春馬くんは、論理こそが全てだと信じているんだね」
彼女は、俺の重々しい宣言を、まるで『面白い設定』でも受け止めるかのように軽く流した。
「じゃあ、そんなに大事な論理を証明する場所で、もし負けたらどうするの?」
――またその質問か。 負けたらどうなるかなど、考える必要もない。負けは、俺の存在意義の消滅を意味するからだ。
「……考える必要のない、非論理的な仮定だ」
「なんで? 論理的な証明には、失敗の可能性も含まれるべきじゃない?」
蒼奈の素朴な疑問は、俺の論理の絶対性に、容赦なく風穴を開けようとする。
そして、彼女はとどめを刺すように、とんでもないことを言い放った。
「私だったら、負けても別にいいのに」
――『負けても別にいい』?
俺の脳内は、その極めて感情的で非論理的な一言を処理できず、完全にフリーズした。
分析システム、エラー発生。 予測不能なパターンCが、『論理的敗北=存在意義の消滅』という俺の絶対的な定理を否定し始めた。
「……意味が分からない」
俺は絞り出すように答えた。笑みは消え、初めて蒼奈の言葉に困惑を露わにする。
「どうしてだ? 論理的な敗北は、その人間が持つ全ての価値を否定する。 それが、この世界の真実だろう!」
俺は声を荒げた。
蒼奈は、そんな俺の感情的な反応を、まるで『珍しい実験動物』でも見るように観察していた。
「えー?だって、負けることと、存在意義って、全然論理的につながってなくない?」
蒼奈は、逆に論理を持ち出してくる。
「勝っても負けても、春馬くんはここにいるじゃん。それが存在意義じゃないの?」
――致命的な一撃だ。
勝利によって自己を証明するという春馬の論理は、「ただ生きていること」という、最も根源的で非論理的な事実に、一瞬で論破された。俺が積み上げた論理の城は、蒼奈の「天然」という名の、最も強力な破壊力を持つハンマーによって、音を立てて崩れ去る。
俺は言葉を失い、自分の机に視線を落とした。
その瞬間、蒼奈は優しく微笑んだ。その笑顔は、これまでの『研究者』の顔ではなく、『隣の席の女子』の顔だった。
「春馬くん、疲れたでしょ? 休み時間終わるよ」
チャイムが鳴り響く。
蒼奈は、また俺の方へ向き直った。その目は、また研究者に戻っていた。
「じゃあ、今日の研究結果! 箕島春馬くんは、『負け』の定義が異常に怖い。 これをテーマに、明日からまた研究を続けるね!」
彼女は、俺の承諾など待たずに、満足そうに頷いた。
「とりあえず、第一段階の研究テーマは、『箕島春馬を負けの恐怖から解放する方法』に決定!よろしくね、研究対象さん?」
蒼奈はそう言い残すと、何事もなかったかのように授業の準備を始めた。
俺の脳内は、再びアラートで満たされた。
【警告:予測不能な行動確認。研究対象は、研究者によって新たな定義を付与されました。】
【警告:対応プロトコル無し。論理的な再構築が急務。】
箕島春馬、論破王にして女性不信の男は、こうして学園のマドンナによって、その人生を論理の外側から支配され始めた。
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