夜の道
夢を見ていた。アグイと共に語り合った記憶を、大人の自分が眺めていた気がする。荒唐無稽が常とはいえ、夢を語る夢を見るとはお笑い草だ。
もぞもぞと起き上がり、顔を洗おうと水場へ向かう。やけに疲れが残っていると思ったら、眠りについてから時間が経っていない。隣室ではニコが眠っており、気持ち良さそうに触角をぴょこぴょこと動かしていた。
寝る前にしたニコとの会話を思い出す。自分の過去を話すのはいつぶりだろう。地下の住人なら多かれ少なかれ知っている話だが、尾ひれがつき過ぎて真実を知る者は少ない。ドレスの怪物が生まれた経緯は知っていても、怪物がなぜ怪物になろうとしたかまでは誰も知ろうとはしなかった。
冷たい水で潤しながら、少女を起こさないよう一息つく。寝酒をしようにも貯蓄は無く、この時間ではメッサーシュミットも閉まっているだろう。無理にマスターを起こせば後が怖い。
諦めて再び眠りにつこうとした時、乱暴に扉を叩く音がした。酔っぱらいか度胸試しの類かと思い戸を開くと、その先にいたのはそれ以上の不快だった。
「お前は……」
「お久しぶりです、ベルム様。先日は失礼しました」
扉の先には、ツナギメで見た麗しのチャバ女がいた。
女はよそよそしい態度で会釈したが、俺はそれを無視する。寝起きに加え夜中の急な訪問、誘拐事件の件も併せて不快感に包まれていた。
「確かコギタらをハメた女だったな。作戦を潰されたお礼参りにでも来たか?」
「今日は違います。お願いですベルム様、貴方に頼みが──」
「他を当たれ。便利屋は絶賛休業中だ」
「ですが──」
「頼める立場だと思ってるのか? 帰れ。ジョンドゥ坊やを探すので忙しい」
シッシと前脚を振ると、女性は心痛な様子で項垂れる。出会った時は快活そうだったのに、今は立つのにも体力を使っている。
普段ならさっさと扉を閉めていただろう。ニコやコギタだけでなく、多くの同胞達を犠牲にしようとした相手に手を貸す程お人好しではない。
それでも俺は、佇む女性を突き放せなかった。眠気が飛んだ訳でも、彼女に興味が湧いた訳でも決して無い。自分の過去を話した事による無力さへの反抗心と、ニコと話した時の暖かい気持ちが残っていたからだろう。
「あのな、お前らと関わらないのはアグイとの取り決めでもあるんだ。それを反故にしてまでここへ来る意味は分かってるのか?」
「ベルム様のお怒りは最もです。私達はそれだけの事を貴方達にしました。それでもせめて、お話だけでも聞いて頂けませんか?」
「夜中に女一匹で寝所を訪ねるなんて余程の事だろう。便利屋にだって客を選ぶ権利はあるが、問答無用で追い返せば沽券に関わる」
「で、では……」
「話だけなら聞いてやる。どんな依頼だ?」
ぶっきらぼうに言うと女性の姿が消えた。視線を下げると、彼女は勢いのまま這いつくばっていた。
「お願いします! 無礼は重々承知ですが、副リーダーの最後の願いなんです。このままでは、副リーダーが……」
「アグニの事か? あいつがどうした」
「……副リーダーが、人間にやられました」
言葉に時が止まる感触がした。衝撃に対し何を言うより先に、俺の身体は無理矢理女性を起き上がらせていた。
「何があった! 殺されたのか?」
「かろうじて生きてはいますが、長くはもちません。それに問題は副リーダーの身ではなくアグイリーダーの方なんです。リーダーは遂に〝計画〟を実行する事にしたんです」
「計画だと?」
「人間抹殺の計画です。彼は人間に恨みを持つゴキブリ達を集い、人間達への特攻計画を行おうとしています」
女性の発言に言葉を失う。それがゴキブリにとってどれだけ荒唐無稽を意味するかは、この身に生まれれば嫌でも分かる事だ。例え酒の席であろうとも嘲笑うより先に引いてしまう、痛々しさの代名詞だ。
だが女性は大真面目な顔で宣った。俺が知る中で最も理知的だった友が、〝殺人〟を成そうとしていると宣言した。
「計画はリーダーを代表とする過激派グループで組まれました。副リーダーが人間に瀕死にされたせいで、彼らは暴走を始めたんです。志願者を集めるには数日かかるでしょうが、それでも集まり次第本気で人間に挑む気です」
「俺にその計画とやらを止めろというのか? その様子じゃアグニでも止められなかったんだろう。組織を潰しかけた俺が行ったところで余計な混乱が起きるだけだ」
「それでも副リーダーは貴方を求めています。貴方しか彼を止める事が出来ないって……」
アジトで見たアグイの揺れる触角を思い出す。別れ際に生じた予感が今、俺の中の恐怖を大きく揺さぶっている。あの瞬間に俺達の運命は大きく変貌したのかもしれない。
「アグイを探すだけなら協力してもいい。少しは当てもある」
「受けてくれるのですか?」
「計画とやらが本当なら、奴は地下に住む多くの同胞を巻き込んで死ぬ。それは俺だって困る」
「ああ、ありがとうございます! リーダーはドレスに向かったという目撃情報があるので、一緒に向かいましょう」
「それも踏まえての俺という訳か」
ドレスという単語に気持ちが目一杯落ち込む。久方ぶりの帰郷がこんな形になるとは思わなかった。あそこに行くとなればあらゆる不幸を想定しなければならない上、嫌でも心の傷と向かい合う事になる。
部屋に戻り、静かに眠るニコを見る。起こせば自分も行くと言って聞かないだろう。寝起きまでに帰れたらいいが、置いて行った事がばれたら後が面倒だ。
それでも俺は素通りし、身だしなみを整える。安全な地下しか知らないニコにドレスの環境は早過ぎる。地獄のような環境もそんな場所で暮らすゴキブリ達の事も、彼女には知らないで欲しかった。
この子はきっとこの気遣いも不快だと思うだろう。そうだとしても俺は彼女に、これ以上重荷を背負わせたくなかった。
「行こう。計画の詳細は道中で話してくれ」
準備は完了した。俺は音を立てぬよう扉を閉じ、ドレスへの道を指し示した。
「それで、アグイはどうやって人間を殺す。まさか何の策も無く特攻する訳じゃないだろう?」
道中を話しながら歩く。誰もが寝静まった中でも宵っ張りの同胞はいるものだが、それもドレスが近付くにつれて一匹ずつ姿を消していく。
「私も全ては分かりません。過激派のメンバーに仲良くしている方がいるのですが、彼が聞かされたのを又聞きしただけですので」
依頼を受けた事で元気を取り戻したのか、女性は照れ臭そうに言う。改めて見るとワモン種の自分でも背冷えがする美貌だ。仲の良い男とやらも、彼女の為ならばと喜んで機密を漏らしたのかもしれない。
「ただ彼が言うには、ある特殊な毒を使うそうです」
「毒?」
「リーダーが人間の研究所から持ち出した毒物は二つあったんです。一つはベルム様も知っている
思いがけない女性の言葉に、俺は呆気に取られる。
「そんなものが人間に効くのか? 殺虫剤だろう」
「正確に言えば殺虫剤に含まれる成分の一つだそうで、彼は副リーダーにも内緒でそれを入手していました。虫用といえども非常に毒性が強く、誤って使えば人間だって死にかねない劇薬です」
「そういう事か……」
普通に生きていればゴキブリに毒物の知識など得られない。薬品にしろ毒餌にしろ警戒出来るのは、死んだ同胞達の
意趣返しという言葉が頭に浮かぶ。自分達を殲滅する為に作った武器を奪い、自分達がやられてきたように仕返しする。人間の蹂躙は多くのゴキブリが夢見る型だが、友は原液を前にそれが可能だと思ったらしい。
「リーダーは本気です。彼は原液以外にも数多の毒物を用意していました。元は人間が仕掛けた罠から回収した物で、こういう時の為に用意してたそうです」
「ああ、知ってるよ。要するに原液加えたそれらを駆使して、同胞諸共特攻する気なんだな」
「ええ、その通りです……」
一つ一つは微量な毒であっても、数に任せればいつかは人命に届くだろう。自らの命を惜しまない者なら腹に納め、水や食物の上で死んで汚染させる事も出来るかもしれない。百匹いれば人ひとり、千匹いれば一家庭くらいは潰せるかもしれないが、到底理解出来るものではなかった。
「……なあ」
「何でしょうか?」
「アイツはそこまで人を憎んでるのか? 数多の同胞達を無駄死にさせてもいい程にか?」
女性は何も答えない。当然だが彼女も答えを知らないのだろう。
頭の中で子供のアグイが微笑む。自分の知る彼は夢見がちなところはあれど、仲間に無理難題を求めるような者ではなかった。彼と話さなければならない現実を噛み締めつつ、湧き上がる後悔に耐えねばならない。
暫く歩くと陰湿な空気が流れてきた。空気の中に嗅ぎ覚えのある、懐かしい故郷の香りが混じっている。来る者を全力で拒む気に、女性は今にも吐きそうだった。
「ここから先は一見お断りだ。覚悟はいいか?」
「ええ。ドレスにも協力者はいますので、せめてそこまでは案内させて下さい」
そう言って頭を下げる女性に口を閉じる。こういう時の女性は決して折れないのは身を以って知っている。
俺は息を整えると、懐かしき故郷の地を踏み締めた。
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