第2話 忌み子の日常

 フィリーネはアバロンド伯爵家の次女としてこの世に生を受けた。母親譲りのストレートの金髪に、父親譲りの薄紅色の瞳をした可愛い赤子だった。

 ところが、数分と経たないうちにフィリーネに変化が起きる。

 

 太陽のように輝いていた金髪が一瞬にして老婆のような白銀色に変わってしまったのだ。

 さらに、黒色に発光した紫の蝶がどこからともなく二匹現れ、赤子の周りを飛んでいる。

 闇の精霊に祝福された瞬間だった。

 


 当主であるハビエルは顔色を失い、恐れ慄いた。

 アバロンド家は代々光の精霊に特化した精霊師を輩出する、オルクール王国唯一の光の精霊師一族だ。


 光の精霊師は怪我や傷を治す治癒の力を有しており、オルクール王国では稀有な存在として大切に扱われてきた。しかしその一方で、一族は問題も抱えていた。

 それは数代に一人、闇の精霊師が誕生する家系だったのだ。


 闇の精霊師は光の精霊師とは対極に位置する不幸の象徴として言い伝えられていた。その理由は光の精霊師の力を奪い、不幸を振り撒いてきたからだ。

 これはアバロンド家の人間にだけに語り継がれている内容で、外部に漏れないよう厳重に管理されている。

 屋敷の使用人は口封じの魔法が掛けられた雇用契約書を結ばせられ、破ると青い炎で焼かれてしまう。


 婿養子のハビエルも結婚時に一族の秘密を教えられ、先代当主と契約を交わした。

 ただの伯爵令息だったハビエルは、闇の精霊師がどれほど恐ろしいものなのか想像もつかなかった。


 自分の身に不幸が降りかかるまでは――。



「カトリーヌ、しっかりするんだ!」

 ハビエルは悲痛な声で妻のカトリーヌを励ました。

 出産による出血が止まらない彼女の容体は風前の灯火となっている。先ほど部屋の外で、医者からは手の施しようがないと告げられた。


 息も絶え絶えのカトリーヌは、横で眠る我が子を眺めた後、ハビエルを見つめる。

「この子、の名前はフィリーネ。白銀の子供が一族に、影を落と……」

 カトリーヌは掠れた声でそこまで言うと息を引き取った。

 ハビエルは目元を手で覆うと俯く。


 室内に堪えるような嗚咽と弱々しい呻き声が満ちる。

 すると、それらを打ち消すような声で赤子のフィリーネが元気に泣いた。


 最愛の妻と引き換えに生まれた我が子。

 本来なら庇護欲が芽生えるはずなのに、それ以前に抱いたハビエルの感情は憎悪だった。


 ベッドの上で泣くフィリーネを、ハビエルは指と指の間からギロリと睨めつける。

「……忌み子であるおまえは娘である前にアバロンドの召使いだ。貴族社会からは病弱だと偽り隔離して、屋敷で一生働いてもらうぞ」

 ハビエルの呪詛のような宣言のもと、フィリーネの過酷な運命が始まりを迎えた。





 ピィー、という犬笛の音がアバロンド家の屋敷内にこだまする。

 地下の作業場で花瓶用の花を剪定していたフィリーネは、手を止めて顔を上げた。

 壁にはどこで主人が呼び出しているのかが分かるベルがずらりと並んでいる。それにもかかわらず、階上からはひっきりなしに犬笛が鳴っていた。


「お姉様が私を呼んでいるようですね。急いで向かいませんと」

 フィリーネは銀縁の眼鏡を掛け直して席を立つ。


 作業場では、食器を磨く従僕や手紙の仕分けをする侍女が清潔なお仕着せを着て働いている。そんな中、フィリーネだけがごわごわとした茶色と黒色がまだらになったワンピースを身に纏っていた。


 もともと茶色だったそれは、暖炉掃除のせいで洗濯しても汚れが取れなくなってしまったのだ。

 スカートの皺を伸ばしたフィリーネは階上に上がる。


 犬笛が聞こえたけれど、ミリーネがどの部屋にいるかまでは分からない。自室か食堂、あるいは居間のどれかに違いないが、この時間帯だとどれも可能性として高い。

 部屋を間違えて到着が遅れてしまったら、ミリーネに仕事を増やされる。

 ここは穏便に済むよう一刻も早く正解を導き出し、ミリーネのいる部屋へ向かわなくては。


「ミリーネお嬢様なら食堂にいらっしゃいますよ」

 フィリーネが逡巡していると、侍女長のマーシャが声を掛けてくれた。

「ありがとう」

「お礼などいりません。それよりミリーネお嬢様の機嫌が悪くなる前に向かってください」

 フィリーネはこくりと頷くと、小走りで食堂へ向かう。



 食堂ではミリーネが優雅に朝食を食べていた。

 テーブルの上には焼きたてのミルクブレッドやクロワッサン、スクランブルエッグにソーセージ、具沢山の野菜スープなどが並んでいる。


 今朝のミリーネは機嫌が良かった。普段なら来るのが遅いだの、おまえは愚図だのとちくちく嫌味を言われるのにそれがない。

 寧ろ肩を揺らして鼻歌を歌いそうな勢いだった。


「ご用件は何でしょうか、お姉様?」

 使用人と同じように深々と頭を下げてからフィリーネが尋ねる。


 ミリーネはフィリーネを見向きもせず、ミルクブレッドにバターを薄く塗っている。続いてブルーベリーのジャムをたっぷり塗ると口に運んだ。

 ゆっくり丁寧にミルクブレッドを食べて、お茶を飲む。それからやっとフィリーネを一瞥した。


「今日はアーネスト様がいらっしゃる日よ。公爵の代理で忙しいのに、私のためにわざわざ足を運んでくださるの」

 アーネストはランドレイス公爵家の嫡男で、ミリーネの婚約者だ。

 オルクール王国の二代公爵家の一つであるランドレイス家は、国王代理として国政を代々任されている。それ故、貴族の中でも絶大な権力を有していた。


 そんな公爵家のアーネストとミリーネが婚約したのは今から十二年前、二人が八歳の時だ。

 顔合わせ当初から、ミリーネは幼いながらに隠しきれない美貌を持ったアーネストに惚れ込んでいる。美しさだけでなく品行方正で紳士的な性格なため、さらにミリーネを夢中にさせた。


「いい? 公爵家の馬車が来る前に仕事をさっさと済ませて地下に戻るのよ。絶対に上がってこないで。おまえのような忌み子をアーネスト様に会わせる訳にはいかないんだから」

 フィリーネは七歳の頃から召使いとしてこの屋敷で働かされているが、外では病弱設定になっている。つまり、ボロを纏った召使いの姿では都合が悪いのだ。


 ミリーネの汚物でも見るような目つきと目が合った瞬間、フィリーネは居心地が悪くなって咄嗟に視線を逸らした。

 するとそこで、父のハビエルが新聞紙を小脇に抱えてやって来る。

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