第十章 甘味革命

王宮甘味師長に就任してから、三か月が経った。


蓮の生活は、激動の日々だった。


まず、蓮は「甘味工房」を設立した。王宮の敷地内に、専用の建物を建ててもらい、そこを拠点に活動を開始した。


最初の課題は、人材の確保だった。


蓮一人では、大量の菓子を製造することはできない。職人を育成しなければならない。


蓮は、王都中から「見習い」を募集した。身分や経歴は問わない。やる気があれば、誰でも応募できる。


この方針は、大きな反響を呼んだ。


「あの『甘味師』の弟子になれるのか!」


「身分を問わないって、本当か?」


「俺も応募しよう!」


応募者は、三百人を超えた。


蓮は、その中から二十人を選抜した。選考基準は、「手先の器用さ」と「味覚の鋭さ」、そして「諦めない心」だった。


「いいか、お前たち」


初日、蓮は見習いたちに語りかけた。


「俺が教えるのは、『甘味』を作る技術だ。それは、この世界では誰も知らない技術だ。難しい。何度も失敗する。心が折れそうになる。でも——」


蓮は、見習いたちの顔を一人ずつ見回した。


「諦めなければ、必ずできるようになる。俺が、その証拠だ」


見習いたちは、真剣な表情で頷いた。


こうして、「甘味工房」の活動が始まった。


蓮は、まず基礎技術の教育から始めた。


計量。混ぜる。泡立てる。焼く。冷やす。


単純な作業の積み重ねが、菓子作りの全てだ。


「計量は、グラム単位で正確に行え。一グラムの誤差が、味を変える」


「混ぜるときは、空気を入れるように。ゆっくり、確実に」


「焼き加減は、色と香りで判断しろ。時計だけを見ていては、分からない」


蓮の指導は、厳しかった。


しかし、見習いたちは必死についてきた。彼らは、蓮の技術に本気で憧れていた。


三か月後、見習いたちは、シンプルな菓子——プリン、マドレーヌ、クッキー——を一人で作れるようになった。


「よし、合格だ」


蓮は、見習いたちに告げた。


「明日から、本格的な製造を開始する。お前たちの作った菓子を、王都中に届けるぞ」


見習いたちは、歓声を上げた。


次の課題は、材料の確保だった。


蓮のレシピには、砂糖、バター、卵、牛乳など、様々な材料が必要だ。しかし、これらを大量に、安定的に確保するのは難しかった。


特に砂糖は、依然として高価だった。王都の錬金術師が独占的に精製しており、価格は庶民には手が届かない水準に設定されていた。


蓮は、対策を考えた。


「砂糖の精製法を、公開しよう」


セラフィーナに、蓮は提案した。


「公開? でも、それはあなたの大切な技術でしょう?」


「俺一人で独占しても、意味がありません。多くの人が砂糖を作れるようになれば、価格は下がる。庶民にも手が届くようになる」


蓮は、砂糖の再結晶化法を文書にまとめ、王国中に配布した。


最初は、錬金術師たちから猛烈な反発があった。


「我々の独占が崩れる!」


「あの田舎者を追放しろ!」


しかし、国王が蓮を支持したことで、反対派は沈黙せざるを得なかった。


数か月後、王国各地で砂糖の生産が始まった。


価格は、急速に下がっていった。


かつては貴族しか口にできなかった砂糖が、今では庶民でも買えるようになった。


「甘味革命」の第一歩だった。


蓮は、庶民向けの菓子の販売も開始した。


王都の広場に、露店を出す。シンプルな焼き菓子を、銅貨数枚で販売する。


最初は、客足は少なかった。


「何だ、これは?」


「食べ物か?」


「怪しいな……」


しかし、一人の子どもが、勇気を出してクッキーを買った。


そして、一口かじった瞬間——。


「……美味しい!」


子どもの顔が、輝いた。


「お母さん、これすごく美味しいよ!」


それを見た周囲の人々が、興味を示し始めた。


「本当か?」


「俺も買ってみよう」


「私も!」


瞬く間に、行列ができた。


露店の菓子は、一時間で完売した。


翌日から、蓮は製造量を増やした。見習いたちが総出で菓子を作り、王都各地の露店で販売した。


「甘味」の噂は、王都中に広がっていった。


貴族だけでなく、商人も、職人も、農民も、兵士も——。あらゆる身分の人々が、蓮の菓子を求めて行列を作った。


蓮は、その光景を見ながら、胸が熱くなるのを感じた。


これだ。これが、俺のやりたかったことだ。


全ての人に、甘味を届ける。身分も、貧富も関係なく、誰もが等しく「美味しい」と感じられる世界を作る。


その夢が、少しずつ現実になっていた。


ある日、蓮は国王から呼び出しを受けた。


「レン・カルディア」


玉座の間で、国王は蓮に告げた。


「お前の『甘味工房』は、目覚ましい成果を上げている。王都の経済にも、大きな貢献をしていると聞く」


「ありがとうございます、陛下」


「そこで、お前に新たな役職を与えたい。『甘味師ギルド』のマスターだ」


「ギルド……ですか?」


蓮は、驚いて聞き返した。


ギルドとは、同業者の組合だ。商人ギルド、職人ギルド、冒険者ギルドなど、様々なギルドが存在し、それぞれの業界を統括している。


「そうだ。今後、『甘味師』という職業は、正式にギルドとして認められる。お前は、その初代マスターとして、甘味師たちを統括する立場になる」


「……光栄です、陛下」


蓮は、深く頭を下げた。


「ただし、責任は重大だ。甘味師ギルドは、王国の新しい産業の核となる。お前には、その発展を担ってもらう」


「承知しました。全力を尽くします」


国王は、満足そうに頷いた。


「期待している」


甘味師ギルドが正式に発足した日、蓮は見習いたちを前に演説を行った。


「お前たちは、今日から『甘味師』だ」


蓮は、見習いたち——いや、新しい甘味師たちの顔を見回した。


「俺たちの仕事は、菓子を作ることだ。それは、一見すると小さな仕事に見えるかもしれない。剣で敵を倒すわけでも、魔法で世界を変えるわけでもない」


蓮は、一呼吸置いた。


「でも、俺たちの作る菓子は、人を笑顔にする。悲しんでいる人を慰め、疲れている人に元気を与え、争っている人々の間に平和をもたらす。それは、剣や魔法にはできないことだ」


甘味師たちは、真剣な表情で聞いていた。


「俺たちは、『甘味』という武器で、この世界を変える。それが、甘味師ギルドの使命だ」


蓮は、右手を掲げた。


「さあ、行こう。全ての人に、甘味を届けるために」


甘味師たちが、一斉に歓声を上げた。


それから、数か月が経った。


甘味師ギルドは、急速に成長していった。


王都だけでなく、地方の都市にも支部が設立された。各地で甘味師が育成され、菓子の製造と販売が広がっていった。


蓮の名は、王国中に知れ渡った。


「甘味の錬金術師」——そう呼ばれるようになった。


魔法を使わずに、「甘味」という奇跡を生み出す男。身分や貧富に関係なく、全ての人に喜びを届ける男。


蓮は、英雄になりつつあった。


しかし、蓮自身は、その称賛を素直に受け入れることができなかった。


「俺は、ただ菓子を作っているだけだ……」


夜、第二厨房で一人、蓮は呟いた。


前世の記憶が、蓮の心に影を落としていた。


「才能がない」「役立たず」——。黒田の言葉が、今でも頭から離れない。


本当に、俺でいいのか。


本当に、俺がこんな立場にいていいのか。


蓮の心の奥底には、常に「自分への疑い」があった。


そして、その疑いが現実になる日が、近づいていた。


北の大地から、暗い影が迫っていた。


ヴァルガン帝国。そこに、蓮の「過去」が待っている。


黒田健吾という名の、忘れられない「影」が。

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