1-4、

「演劇サークルに興味ありませんか?」

「演劇サークルです。明日もステージにて公演します。十二時からです、是非お越しください!」

「未経験者大歓迎! 演劇サークル【暁】です! 八号館付近でブース開いてます」

「……、……演劇サークルでーす」

 

 尚也は大きなため息を吐きだすと、気の抜けた声を出した。

 大量に抱えたチラシを配り始めて、凡そどのくらいが経ったのだろうか。

 

 普段は宵の口大学文学部の授業が行われる三号館と、サークルの部室や防音室が備わったサークル棟の間の道。大学に直通している駅から、歩いて凡そ二・三分くらいの場所。スーツ姿の新入生が闊歩する中、ひたすら似たような文言を繰り返す。

 

 手に取ってくれた人数は上々だが、未だ誰一人としてブースまで案内することが出来ていないのが現状である。

 

 ――……しんどい。

 

 ただのチラシ配りと言ってしまえばそこまでだが、存外体力を消耗するものだ。

 尚也は下唇を噛みながら、近くにある太い柱へ寄りかかった。時には、休憩も必要である。じんわりとかいた汗を手甲で拭い、いつの間にか咥内に溢れかえった生唾を飲み込んだ。

 

 遠くの空で、烏の群れが鳴いている。

 未だ明るい空の下、かァかァと喚くその声は、異様に大きく響いていた。

 

 ――嫌な予感がする。

 

 喧噪にも近い騒がしさの中、ぬるい風がむき出しの肌にまとわりついて離れない。それは、まるで。まるで、アニメや漫画で描かれる、不吉なことが起こる予兆のような――――。


 

「きゃああっ!」

 

 突然、大きな叫び声が大気を切り裂いた。同時に、パチン、という乾いた音が構内へ響き渡る。

 ふざけ合う学生達のものではない、どこか事件性のある悲鳴。

 

 尚也が音の方向へ視線を向けた時、その場は既に混乱の渦が発生しようとしていた。

 

 まず、目に入ったのはフードを被った長身の男。その手には小型の刃物が握られている。時折大きな声で喚き散らしているが、何を言っているかは分からなかった。

 

 ――……怪異だ。

 

 『怪異』は人間に化けることが出来る他に、大気へ溶け込むことが出来るのである。それを、人々は『虚無』と呼んだ。奴らは、『怪異』としての身体は持っていない。その代わり、奴らは一度でも触れたものへ成り代わることが出来た。虚無から人間の身体へ、人間の身体から虚無へ。


 パチン、と。まるで指を擦り合わせたかのような音を鳴らしながらの変幻が可能である。

 

 その理屈は分からない。分からないけれど、そういうものであった。

 

 尚也は深呼吸をすると、脇に抱えていたチラシをタイルの上に置いた。そしてその束を落ちていた小石で押さえて、勢いよく走り出した。

 

 ――状況は、悪くない。

 

 それぞれ刃物を持っているが、それを無暗に振り回すだけで、人を襲おうとしている訳では無いようだ。しかし、奴の周りは既に混乱の渦に飲み込まれていた。奴らから半径数メートルほどを開けるだけの野次馬が幾多もいる。どうやら、手にしたスマートフォンを奴らに向けて、決定的瞬間を逃すまいと動画を回しているようで。

 

 ――……邪魔だ。

 

 尚也は小さく舌打ちをして、人気の少ない柱の陰に身を潜めた。そして、鞄の中から小型の財布を取り出すと、極小のボタンを軽い力で押し込んだ。0、数秒で起動したそれは、『怪異対策本部』開発の、持ち運びに特化した即席の仮面である。流石にこんな人混みで、素顔を見られる訳にはいかなかった。

 

 尚也は仮面を手慣れた動作で装着すると、着ていたジャケットを畳んでチラシの上に置く。ここで何かを間違える訳にはいかないのだ。

 

 ――気が付いてくれよ、……凌雅。

 

 またひとつ。息を吸って吐き出した尚也は、自身の指を口にくわえて、ぴゅいと大きな音を鳴らした。この賑やかな構内でどこまで届くは分からないが、ブースくらいまでなら届く可能性が高い。一回、二回、そして三回。同じ高さの指笛を鳴らした。緊急招集の合図である。

 

「……追い込みたいな」

 

 尚也は小さく呟くと、再び奴の動きを観察した。未だ何かしらのアクションを起こすつもりのない奴らは、相も変わらず聞き取りにくい言葉を発している。……もって、あと数十秒。その間に動き出さなくてはならない。

 

 この大学の地図は、潜入を決意した段階で全て頭の中に叩き込んだ。奴らが暴れているのは、三号館の前にある小さな広場だった。少人数の講義が行われることが多い棟であり、小さな教室が無数に敷き詰められているのが特徴だ。この中に誘い込み、追い込めば、逃げられることなく、そして野次馬の映像に残ることなく、奴を処分することが出来そうだ。

 

 べつに見られたっていいのだが、この情報社会。一度広まった映像は、今後一生インターネットの海を彷徨い続けるものだから、リスクは避けるにこしたことはないだろう。

 と。ぴゅい、と、先程尚也が発したものと同じ音色が空気をかける。

 

 ――よくやった。

 

 音の方向へ視線を向ければ、特徴的な仮面をつけた男がひとり。羽織ったマントを春風に靡かせながら、右腕を大きくあげていた。尚也と凌雅の二人で決めた指信号だ。人差し指と中指を広げ、ゆっくりと閉じていく。

 

 ―― 一旦、合流。

 

 凌雅も現場を見て、危険性は低いと判断したのだろう。尚也は親指と人差し指をくっつけると、一瞬だけ胸元に寄せた。ここからは一瞬の隙も許されない。人の命がかかった仕事の時間だ。大きく息を吸って吐きだして、尚也は再び天に上げた五指を素早く動かした。

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