日本人にキリスト教が浸透しない理由の推察


 まず、大前提として僕はキリスト教を批判したい訳では無い。

 しかし、なぜ日本人はキリスト教を信仰しないのかと言われることがあるので、自分なりの解釈をここに垂れ流そうと思う。


 恐らく日本人に浸透しない理由は『祈れば罪人でも救われる』という点にあると考える。

 日本人に浸透している考えは地獄の閻魔大王だ。

 そこでは生前の罪を清算する場として機能しているが、どんな善人だろうと悪人だろうと罪を一つでも持っていれば裁かれる。

 それはどんな聖人であろうと逃れることが出来ない。


 イエス・キリストが犯した罪が存在する。

 それはイチジクの木に対して行った行為だ。

 イエスはお腹が空いていたのでイチジクの木に向かうも実が成っていなかったのを見て、永劫実が成らないように呪いを掛けました。

 翌朝、弟子がイチジクの木の側を通りかかると、イチジクの木は枯れていました。


 これはマルコによる福音書11章12節〜14節、20節〜24節の話です。

 12節〜14節がイエスの所業を、15節〜19節が神殿清めの事件、20節〜24節が弟子の視点となっています。

 キリスト教において、この話は”実の成らないイチジクの木”と”形骸化して神の思いに適う実を結んでいない神殿”が重なり合うストーリーとなっています。


 しかし、閻魔大王の元に行けば立派な罪となります。

 其の一、貪欲罪

 生きるのに食べる行為は罪にならず。

 しかし、青い実であるにも関わらず自然の摂理を無視して自分の欲を優先し、口に入れる行為は小さな貪りの罪と記録する。


 其の二、瞋恚罪

 実が青くて不味いのは時期を間違えて食べた者の問題であり、イチジクの木には罪が無い。

 自分の勝手な期待が裏切られたからといって、他者の木に対して怒りをぶつける行いは仏教において最も忌むべき心の汚れ”瞋(いかり)”の罪に相当する。


 其の三、愚痴罪

 物事の因果関係や自然の摂理を理解せずに感情のまま及んだ行為は”癡(おろかしさ)”の罪に相当する。


 これで仏教における根源的な悪徳である三毒(貪・瞋・癡)をコンプリートした事になる。


 其の四、器物損壊・生命傷害罪

 一時の怒りに任せて、イチジクの木の未来、そして将来その木の実を食べるはずだった他の人間や鳥・虫たちの食いぶちを永遠に奪った。


 イエスが落とされるのは衆合地獄──剣葉林。

 木々が怒ったように鋭い刃の葉を落とし、身体を切り裂いていく。

 どれだけ空腹に喘ごうとも、そこにある果実は鉄の塊や炎へと変わり、二度と美味たる物を口にすることは出来ないだろう。


 ──と、ここまで言いましたが、そもそもキリスト教の考えでは自然は神が作った物なので自分の作品をどう扱おうとも問題無いだろう?

 という考えらしいので罪に問えません。

 そこら辺が日本人が合わないという理由なのかもしれません。


 ただ、一つ覚えてほしいのは祈ればオッケーと思っている内はキリスト教においても罪人の扱いのままなので、そう言う人は切り捨てて結構です。

 実際、キリスト教の基礎を作ったとされるパウロもこう言っています。


「恵みが増すようにと、罪にとどまるべきだろうか。決してそうではない。罪に対して死んだわたしたちが、どうしてなお、その中に生きていられるだろうか。」(ローマの信徒への手紙 6:1-2)


 要約すると、”イエスとズッ友だからオッケー”と宣う人間はそもそもキリスト教の教えに背を向けて罪を重ねる者だ。本物の信仰を持つ者は罪の重さに涙を流し、神の教えに従うはずだ。


 ◇◇◇


 ちなみに一神教は三つありますが、なぜ彼らは統一出来ないのかも記しておきます。


 ユダヤ教

 神は唯一絶対、人の姿などになりはしない。

 ユダヤ人だけが神と特別に契約した選ばれし者であり、他の宗教の救いは認識しない。


 キリスト教

 神は唯一だが、父・人(イエス)・精霊の三つの姿を持つ。

 ユダヤ教はイエスを受け入れる事が出来なかった古い宗教。

 イエスを信じる者は救われ、信じない者は救われない。


 イスラム教

 神は唯一絶対、神に息子が居るなど言語道断、一神教の風上にも置けない。

 ユダヤ教もキリスト教も同じ神から聖書を賜った本の民として一定の敬意は払うが、神の言葉を改ざんした為、許容することは出来ない。


 ざっくり日本人にも分かりやすく例えると──。


 ユダヤ教:秘伝のタレを使った本家唐揚げ屋

「うちは数千年前から継ぎ足してきたタレが売りの唐揚げ屋の元祖! この味は常連であるユダヤ人のためのもの! 後から出てきた連中はうちの店のレシピを盗んで大衆向けにアレンジしただけのパクリ屋共だ!」


 キリスト教:欧風アレンジ、チキン南蛮専門店

「本家の唐揚げ(旧約聖書)も美味しいんだけど、ちょっと味が濃くて身内(ユダヤ人)しか受けつけないよね? だから、カリスマ店主(イエス)が開発したタルタルソース(愛と恵み)をたっぷりと掛けて世界中の誰もが美味しく食べられるチキン南蛮へと進化させたんだ! もう普通の唐揚げの時代は終わったのさ!」


 イスラム教:本家を正す元祖唐揚げ屋

「本家(ユダヤ教)は排他的過ぎるし、チキン南蛮(キリスト教)はタルタルソース(三位一体)をかけ過ぎて最早、鶏肉(神)本来の味が分からなくなっている。だから、うちの店が最初の正しいレシピ(コーラン)を再現して、誰でも安く食べられる元祖唐揚げチェーンを作り上げた! これ以上の進化は存在しないだろう!」


 多神教:鶏肉料理専門店

「唐揚げとザンギって何が違うの? 下味をつけるか否かの違い? 唐揚げにも下味を付ける時もあるけど……。あと、フライドチキンも売ってるんだね、この店。……鶏刺し? これって食べても大丈夫なの? 新鮮だから問題無い? ちょっと挑戦してみようかな……」






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遠街ユイハの戯言 遠街ユイハ @Sylvalvia

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