第二話 とある男の話
その日は珍しく仕事仲間に誘われて酒を飲む予定だった。
しかし、実際に連れてこられた場所は遊郭だった。
俺はここが嫌いだ。
ここにいる遊女は借金のカタで売られてきたものばかりだ。
どの遊女も必死に目をギラつかせて客を引いている。
俺にはそれがどうしても哀れに見えて、悲しかった。
「今日は酒を飲むんじゃないのか?」
「飲むに決まってるぞ!別嬪さんに酌してもらってなぁ!」
仕事仲間の一人が浮ついた声で答える。
煌びやかな行燈と遊女に浮かれてまともに話を聞いてもらえない。
俺はため息をつきながら、そっとその場を去る。
煌びやかな通りを横切り、少し暗い裏通りに入る。
表通りが光ならばここは影だ。
街の汚いもの全てがここに凝縮されていた。
「帰るか……」
そう呟き家路に着こうとした時、小さな格子がついた店に一人の少年がいた。
少年は気だるげに外を眺めながら、空に向かって手を伸ばし歌っていた。
やや白痴めいたその仕草に、俺は思わず見惚れてしまう。
見た目は貧相で着物も色褪せているのに、この遊郭で一番美しく見えた。
俺はその美しさに引き寄せられるように少年のそばに向かう。
「みっつ、みんな口合わせ よっつ、夜更けに指を切り」
掠れるような甘い声で、聞いたことの歌を歌っている。
俺はその声に聞き入り、まるで魂を抜かれたかのようにその場に立っていた。
「とお、遠い故郷は今いずこ……だれ?」
少年がふと俺の方を見る。
目が見えないのか、その視線は俺の目を捉えず静かに揺れている。
「……あ、すまない。つい見惚れていた」
俺の言葉に少年が格子に縋り付いて必死に手を伸ばしている。
その仕草が哀れで、俺は少年の手を握る。
冷えた手が俺の手を弱々しく握る。
「……?兄さん、じゃない?」
「ああ、ごめん、違うんだ」
少年は慌てて手を離し、ガタガタと震え出す。
「す、すみません、ごめんなさい」
俺はできるだけ少年を安心させるために優しく声をかける。
「気にするな」
「……いい、のですか?」
「構わないよ」
少年は安心したように胸に手を置くと、再びぼんやりとしだした。
表通りにいた遊女とはまったく違う様子に、俺はどんどん惹かれていく。
「その、客引きとかしないのか?」
少年は疲れたのか格子にもたれかかり、己の体を抱きしめる。
「遊女、なんだよな?」
「……そう、俺は……遊女」
諦念と絶望が混ざった目が空を見据える。
色褪せた着物をはだけさせ、結われた髪が解けた退廃的とも言える美に俺は夢中になっていた。
「今晩、お前を買ってもいいか?」
少年はかすかに笑い、頷く。
「……水仙と申します。この身はただの
少年の笑顔に引き寄せられた俺は、ただの火に飛び込んでいく虫のようだった。
それからというもの、俺は少年・水仙に入れ込んでいった。
水仙もそのうちの一人だった。
長年抱かれ続けたせいか、足を悪くしまともに立てないが、その不自由ささえ愛らしく美しく見えた。
抱かれている時の水仙もひどく美しかった。
目が見えないからこそ、余計に感じるのだろう。
どんな刺激を与えても甘い声で啼く。
まるで情事が達者になったと思うほど、水仙の体は打てば響くような甘美さがあった。
「水仙、好きだ、好きだ」
床で水仙を揺さぶりながら愛を囁く。
水仙はかすかに微笑みながら、快楽を享受している。
まるで慈愛の目を向けられているような気がして、俺は昂った。
熱が引いていく頭にあるのは、身請けという言葉だった。
「水仙、俺と夫婦になろう」
「……めおと?」
息も絶え絶えになりながら水仙が首を傾げる。
「身請けしたいんだ、夫婦になればこんな仕事しなくて済むようになる」
光の宿らない水仙の目が、俺を見つめた気がした。
心が通じ合っていると俺は歓喜する。
「楼主に話はつけておく。夫婦になれば毎日俺と一緒にいられるぞ、約束だ」
「やくそく……?」
情事で疲れたのか、水仙はぐったりとしながら口を開く。
ずるりと水仙から己を引き抜くと、身支度を整える。
水仙は天井を見上げながらクスクスと笑っていた。
「嬉しいか!俺も夫婦になれて嬉しいよ」
次の客が来たのだろう。
俺は店の者に手を引かれ、部屋を出される。
水仙はまだ笑っていた。
◇
明け方。
俺は店の者に支えられて身を清めさせられていた。
この六年間で何度男に抱かれただろう。
そんなことを考えられるということは、今日はまだ正気でいられた証だ。
俺は奥を掻き出しながら笑う。
「身請け、身請け……あはは」
何が身請けだ。
抱かれる場所が店からあの男の家に変わるだけだ。
鳥籠から別の鳥籠へ行くだけに過ぎない。
「あはは、あはははは」
「おい、笑ってないで早くしろ」
店の男に背中を蹴られる。
そんなことはいつものことだから、笑いながら奥にあるものを掻き出していく。
「こんなガキのどこがいいんだか」
男は唾棄するように言葉を紡ぐ。
本当にその通りだ。
俺のどこが良いんだろう。
喉の奥から笑いが絶えず漏れる。
だから今日は、ずっとずっと笑っていようと思った。
◇
その夜。
男は再び水仙の元に訪れた。
ひどく苛立っている様子だった。
腰を打ち付けながら、男は喋る。
「水仙、君の借金は減るどころか増えているそうじゃないか、悪い子だね」
恐らく、身請けを打診したが想像以上の金額だったのだろう。
当たり前だ。
自分が抱えている借金は村一つ分の借金だ。
身につけているかんざしも、着物も全て店が立て替えて借金に加算されている。
生きてるうちに返せるかどうか分からないのだ。
それをこの男が返せるとは思えなかった。
「だから水仙、もう少し頑張って借金を返して……」
頑張る、これ以上どう頑張ればいいのだろう。
もっと、もっともっと男に抱かれればいいのだろうか。
分からない、何も。
「あはははははは!」
可笑しい。
この世はおかしい。
違う、自分の頭がおかしいのだろうか。
頭がぐちゃぐちゃで何も考えられない。
真っ黒な視界の中で光が弾ける。
チカチカ、パチパチ、星が散っているようだ。
「おい気でも触れたのか!」
昨日体を洗ってくれた男の声がする。
気などとっくに触れている。
なぜ男は俺を抱くの?
なぜ男は痛いことが好きなの?
なぜ俺は喘いでいるの?
なぜ俺は店から出られないの?
なぜ俺は目が見えないの?
なぜ俺は歩けないの?
なぜ俺は家に帰れないの?
なぜ兄さんは迎えに来ないの。
「あははははは!」
笑いが止められない。
笑いたいわけではない。
遠くで俺を抱いていた男の声がする。
「身請けの話はなかったことに……」
ほら、約束など何の意味もないものだ。
俺は小指を空に向かって差し出す。
故郷を去った日の青い空が見える。
兄さんは、どんな顔をしていたっけ?
「ゆびきりげんまん うそついたら 針千本 のーます!」
皆、針を飲むべきだ。
「あははははは!ゆびきった!」
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