美味しい結婚には怪異がつきもの

竹村優希/角川文庫 キャラクター文芸




 東京・渋谷しぶやは、忙しい人間であふれる街だ。

 九路線が乗り入れる渋谷駅は日々平均三百万人前後が利用し、駅前には再開発にて建設された高層ビルが乱立し、お馴染なじみのスクランブル交差点では一度の青信号で最大三千人の人間が行き交うらしい。

 ただ、そんな渋谷も、近年緑化計画や人との交流を目的とした街作りが進んでおり、その一環か、にぎやかな通りにふと、ベンチが設置されていたりする。

 残念ながら、平日の利用者は、さほど多くない。

 しかし、その日就活で疲れきっていた片山かたやまつむにとって、渋谷公園通り沿いにいきなり現れた、緑に囲まれたベンチはまるでオアシスであり、発見するやいなや吸い寄せられるように腰を下ろした。

 六月の気候には少し暑いジャケットを脱いでひとついきをつく間にも、目の前を五、六人の通行人が通り過ぎ、誰も紬希には目もくれない。

 そんな中、意外なことに隣のベンチには先客がおり、いかにも疲れ切った紬希の様子がよほど目に余ったのか、突如声をかけてきた。

「あなた学生さん? 就職活動大変ね」

 視線を向けると五十代くらいの女性と目が合い、紬希は少し迷った後、小さく首を横に振る。

「いえ、学生ではなくて、転職活動なんです。先月ちょっとしたトラブルで急遽きゅうきょ退職することになってしまって、急いで職探しをしているんですけど、あまり上手うまくいっていなくて」

「あらあら、それは大変。ずいぶん疲れているように見えるけれど、無理をしているんじゃない?」

「いえ、無理って程では。……ただ、ついさっき先週面接を受けた会社から不採用通知が届いて、ちょうど途方に暮れていたところで」

「まあ、可哀想に。余計なお世話だけれど、先月辞めたばかりなら、少しゆっくりできないの? ほら、しばらく実家に頼ったりとか」

「両親はもういないので、実家はないんです。一緒に暮らしていた祖父も、昨年亡くなってしまいまして。なので、ゆっくりしている場合ではないというか」

「それは……、つらいことを聞いてしまってごめんなさい」

「いえ、両親を亡くしたのは大昔ですし、祖父も大往生だったので、今はもうなんとも。今は、不採用通知の方がしんどいです」

 できるだけ重い響きにならないよう気をつけながら答えたものの、女性は表情に深い同情をにじませ、いきなり紬希の横へと移動してきた。

 そして、突如紬希の手を取ると、両手でぎゅっと包み込む。

「あ、あの」

「大丈夫よ、大丈夫」

「えっと、私は別に、全然……」

 思わず戸惑ってしまったのは、女性の唐突すぎる行動のせいではない。

 女性の手がまるで氷のように冷たく、そのときの紬希は、これはおおよそ生きた人間の体温ではないと、はっきり確信していた。

「強がら ないで。ほ 本当は つ 辛いでしょうに」

「そんなこと、ないです」

「どう どうし して」

「別れには、慣れているので」

「だ だだけど だけど 本当にあな あなたい 今 たった一人き きりで」

 みるみる女性の口調が崩れはじめるが、それでも紬希が落ち着いていられた理由は、明確にある。

なぜなら、は、紬希にとって日常茶飯事だからだ。

 というのも、紬希は物心ついたときから、生きていない存在、いわゆる霊と呼ばれるものがえ、こうして話しかけられたり、下手すれば襲われたりなどという出来事を、数えきれない程経験していた。

「あなたこそ、大丈夫ですか?」

「わた し 」

「はい」

「私 わた しの なにが ど どこが どどどこどこが おか おかし」

「行くべき場所、ちゃんと、わかっていますか?」

「い    わか ?」

「気付いてます、よね。……もう、生きてないってこと」

 問いかけながら改めて女性に視線を向けると、その姿は生きた人間さながらだったさっきまでとは違い、おびただしい量の血で真っ赤に染まった体を小刻みに震わせながら、紬希の方へ身を乗り出してくる。

 よく見れば頭部の半分と右の下半身がなく、ベンチから次々と血が滴っていた。

 こんなふうに体に激しい損傷がある場合の死因は電車事故が多く、それも自殺が多いことを、紬希はこれまでの経験から知っている。

 本来ならば、紬希自ら安易に関わることはしないが、この女性に関しては、話しかけられた時点で霊かどうか迷う程に落ち着いており、さほど危険な存在だと思えなかったことが、会話に付き合った理由だった。

「い 生きて な  わた 」

「他の皆さんが言うには、死んでいることをきちんと自覚したら、行く場所がわかるそうです」

「 い  わ」

「強い無念を抱えていたり、誰かをひどく恨んだりしている場合は、簡単じゃないって聞きました。あなたはどうですか? 大丈夫そうですか?」

「    」

 女性は次第に返事をしなくなったけれど、紬希の言葉は耳に入っているようで、突如せわしなく視線を彷徨さまよわせたかと思うと、間もなく一方向を見つめてピタリと動きを止める。

「……見つけたみたい、ですね。だったら、行ったほうがいいと思います。私には、その先がどうなっているのかよくわからないけど、多分、楽になると思うので」

「    」

「そんな体で私のことを心配してくれて、ありがとうございました」

 女性は依然としてなにも言わなかったが、紬希の声に促されるようにベンチからずるりと落ちると、両手でうようにしながらゆっくりと視線の方向へ向かった。

 やがて、次々と車が行き交う道路を横切りはじめるが、当然ながら、ブレーキをかける車も騒ぐ通行人もいない。

 紬希はその姿が見えなくなるまで目で追った後、ベンチに深く座り直し、どっと脱力した。

「霊の心配してる場合じゃないんだけどな」

 思ったより大きめにぼやいてしまったせいで、行き交う通行人からチラチラと不審な視線が集まる。

 しかし、典型的就活スタイルの紬希を見るやいなや、誰もが悩みなどお察しとばかりの表情で過ぎ去っていった。

「ま、いっか。……実際、半分は当たってるから」

 紬希は誰あてでもない返事をつぶやきながら、天を仰ぐ。

 そして、〝霊の心配をしている場合ではない〟という自らの発言を、さっきよりも少し深刻に、心の中で唱えた。

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