第23話 有隣目の助手と解剖①

 サーカスの会場から少し離れた城下町の一画――兵舎や倉庫などが隣接している区画だが、そこに石膏せっこうのように白い外壁の建物があった。


 玄関は、両開きのガラス扉だ。縁は木でできている。

 ガラス張りであることからエントランスと長い廊下が一部丸見えである。


 ヴィンセントは一人、夜の路地を歩いていた。

 いつのまにか街灯の数も減り、人通りもない。

 溜息のように深い鼻息を漏らしたあと、考え事をしていたのか「厄介なのは、なんでも思い通りにできると思っている奴らだ」と言葉をこぼす。

 玄関を開き、石膏の建物へと入っていった。


 廊下は、天井で点灯しているオレンジ色の照明一つしかなく、薄暗い。

 闇の中でヴィンセントの両目は黄色く光っており、それは人間のものではない様子だ。


「お疲れ様です、ヴィンセントさん」

「ああ、お前もな」


 とある一室に入ると、白衣を着た青年が明るく出迎えた。


 ヴィンセントが被っていた黒いハットを取ると、中から長い銀色の髪が現れた。

 ゴムの髪留めで、髪を後ろでひとつにまとめている。

 相応しくない風貌だが、歳の程は三〇後半の中年である。

 ハットとコートを物掛けにかけ、銀縁の丸眼鏡を外しテーブルに置くと、「人込みは感覚を無暗に刺激する、無駄に神経を使った」と指で目頭を揉んだ。


「人込みの中にいらっしゃったんですか、私はこいつとずっと一緒でしたよ」

「マヌス、仮にもこれは貴族の遺体なんだろ、その不敬はここぞという場でぼろとなって出るぞ」

「僕はそんなへまはしませんよ。それより、ここ、ついてますよ」


 マヌスは二〇代半ばくらいの女性だ。

 白衣を身に着け、手にボードとペンを持っている。

 自分の鼻を指差して、ヴィンセントの鼻孔のまわりに微かに残っている白いものについて教えた。


「……ああ、悪い。拭き取れていなかったようだ」


 ヴィンセントは鼻を拭った。


「それ、一応特注品なんですよ。市販の軟膏剤より落ちにくいんです」


 部屋の中央には銀色の台車が置かれていた。

 診察台だ。

 そこにあるのはクライン・シュバルツェの遺体である。

 全裸の状態であり、首から下には痣はあれど傷一つない。

 だが頭部には原型がなかった。

 鼻を中心に陥没しているようで、失敗したスフレのようだ。


「それよりマヌス、お前、あまり貴族を敬わないんだな。この国の貴族信仰、、は他所よりも過剰だろ。あまりぺらぺらと声に出さな方がいい」

「死体は死体ですよ、死んだあとに貴族も平民も、王様もないというのが私の考えです」

「人はそう理屈通りにはいかないものだ。その暴言はここだけにしておけ」

「わかってますって。私がこんなことを言って平然としていられるのは、ヴィンセントさんくらいのものですから、他の人がいる前では絶対に言いません」

「お前は貴族ではないのか」

「養子なんですよ、私」

「……なるほど、元は平民だったという訳か」

「貴族という生き物は腐敗しているんです、この学生の遺体と同じですよ。養子として迎えられる以前、私は連中の醜さを一身に受けて過ごしていました」


 マヌスは寂しげにそう語りながら、何やら作業に入っていった。

 ヴィンセントはそれ以上は聞かず「調子はどうだ」と作業の進行具合について訊ねた。


「まだなにも……」


 歯切れ悪くマヌスは言った。


 遺体がこの部屋に運び込まれてから一カ月近くが経とうとしていた。

 あの遠征で命を失った、平民を除くすべての遺体の葬儀が終わり、既に土葬されている。

 だがクライン・シュバルツェのものだけはここにあった。


「ここに来て早々の仕事が、いわれのない罪で疑われた少年の監視とは、この国の貴族も落ちたものだ。一体なにに固執しているのか……」


 ヴィンセントがこの国に入って、まだ一週間も経っていない。

 彼が捜査に加わったのはつい二日前のことであり、「少年」の監視についたのが昨日だ。


「クリーチャーの異常行動は各地で目撃されているが、あの森は元から立ち入った者を惑わすという言い伝えがあるくらいだ。加えてあの騒動。心的外傷から精神を病んだ者は多いと聞いていている。生き残った者の多くは未だ学校にも通えていないのだろう?」

「数える程度だそうですよ、日常に戻れているのは。キリアム・ハイドゥインもその一人です」

「目撃者である生徒の証言によると、少年は河原でクライン・シュバルツェと向かい合い、なにやら問答を続けていたそうだ。直後、悲鳴と共にクラインの顔がただれ――」

「このありさまという訳ですね」


 マヌスは診察台に置かれたクラインの顔の膿を観察した。

 ピンセットでつつくと既に渇いており、少し剥離した。


「錯乱した貴族の証言など、証言とは言わない。あのようなもの、俺ではなく医者に聞かせるべきだろうに」

「まるでエドワードの体液ですねえ」


 マヌスは剥離したそれを見て言った。


「国がヴィンセントさんを起用したのはそれが理由ですか。つまりその目撃者の話を信じているということですよねえ」

「俺を雇ったのはファイブリース家だ」

「あ、そうなんですか。てっきりそうなんだとばかり思ってました」

「君は国に雇われているんだったな」

「はい」

「おかしな話だ、この一件は今やファイブリース家が独自で捜査を続けていると聞く。だというのに、国から派遣された者とペアを組まされるとは」

「まあ、そんなものですよ。ファイブリース家は公爵ですしね、よくある話です」

「私的利用がか?」

「まあ、はい」


 マヌスは歯切れ悪く「仕方ないですよ、上級貴族ですから」と言った。

 薄っすらと笑みを浮かべている。

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