第17話 サーカスのポスター

「ウォールハーデンの下水は旧市街であれ機能しているし、国内では香水なんてつける必要がない。この国の貴族は毎日風呂に入るから余計だ。あのおばさんが毎日風呂に入ってるかなんて知らないけどな。でも彼女は、着飾ることにおいては使うものを厳選しているみたいだし、他の貴族と変らないのかもしれない。風呂に入らない貴族は香料を乱雑に使うらしいから。服装に整髪料に化粧品、あの肌を白くしているのは白鉛えんぱくや水銀じゃないはずだ。厳選してるんだから」

「なのに、回復薬のお金は払わなかったのですか……」


 ミーナは悲しそうな表情でつぶやいた。

 視線は下に落ちる。


「……平民にくれてやる金は無いって言ってるんだよ」

「つまり、ディーグルさんは――」

「落ちた貴族だ。今は少しばかり余力があるから着飾れる、でも以前のようには使えない、だからくれてやる金はない。平民は貴族にとって、優勢順位が低いから」


 ミーナは唇を震わせ、物悲しい表情をした。

 悲しみを堪えて顔に出さないようにしている。


「ミーナ、回復薬は何日った?」

「ディーグルさんに渡したものですか?」

「ああ」

「……五日ほどです」

「じゃあまた五日後に来るな。僕たちは搾取さくしゅされ続けるぞ。そのうち、回復薬以外のものも要求してくるかもしれない」


 僕が小窓の外の旦那さんを見つめている一方で、ミーナは居間の椅子に座りしょんぼりしていた。


「金ならある、これで四カ月はつはずだ」

「その後はどうするのですか」

「さあ、どうするんだろう……。僕たちは平民で向こうは元貴族だ。どうすることもできないよ」


 貴族だったというだけでも、平民とは身分が違う。

 貴族は得体が知れないから、平民は彼らを恐れる。


 ミーナの落ち込んだ表情に、気づくと僕は心臓を押さえていた。

 服の上からぎゅっとわしづかみしていた。


「ミーナ……」


 声をかけても、ミーアは落ち込んだままだ。


「大丈夫だよ、心配しなくても」

「……でも」

「どうにかなるさ」


 僕の頼りなく言った。

 ミーナからの返事はなかった。


 僕は最近、レアーナの言う通りだと思う時がある。

 そう思うようになったのは、あの大森林での一件からだ。

 僕はもう子供じゃない。

 子供じゃないと言うなら、僕は自分でなんとかしなければいけない。


 ミーナのためにも。


 〇


 その五日後にディーグルさんは現れ、また僕らから回復薬を奪っていった。

 紅を見せびらかした笑みで恐喝してくる。

 一〇日後にもまた現れ、それからは僕が対応をするようになった。


 五日刻みで現れることが証明されてからは、その日は僕は学校を休むようにして、店番をした。

 その日だけはミーナを部屋に引っ込め、関わらせないようにさせた。

 他の日であればミーナはいつも笑顔だし、ディーグルさんが帰ったあとなんかも話をすればすぐに笑顔を見せてくれる。


 だけど軽く小窓の掃除なんかをしている時、外の様子が見えたのか表情を曇らせることがあった。

 おそらくそこにはディーグルさんがいたのだろう。

 無理もない。

 ディーグルさんの家は向かいにあるのだから、一切関わらないなんてことはできない。


 ディーグルさんの訪問は二〇日以上にも及んだ。

 おそらく次もこれまで通り来るのだろう。

 今のところ、さらなる要求はないが、時間の問題だと思う。


「ミーナ、なにか欲しいものとかないか?」

「欲しい、ものですか?」


 居間で薬の調合をしているミーナへ、僕は問いかけた。

 昼間のことだ。

 今日は天気がいい。


「このお金だって数カ月後にはなくなってる訳だし、だったらあるうちに使ってしまおうかと思って」

「でも……」

「家計のことは気にしなくていい。なんとかなるよ、回復薬だって毎月同じ量売れてるし」

「ですがそのうちの七、八本は、あのおばさんに取られてしまいます……」

「回復薬はディーグルさんが持ってる瓶に注ぎ足せばいい。それで瓶の出費がなくなるし、もうディーグルさんにもそう言ってある。ハーフリヴの葉は、森に行った際に余分に取ってくるようにするよ。そしたら大丈夫だろ」


 ミーナは言葉を詰まらせた。


「別に腕を取られる訳じゃないし、そう考えると回復薬ぐらい安いもんだ。貴族は平民相手なら何でも奪っていくからなあ」


 僕は左肩をさすった。


 あれ以来、作業の際には必然的に右腕だけを使うようになった。

 空いた左肩を見せびらかしておくとミーナが心配すると思い、羽織れるような布をかぶせて肩を隠している。

 短い布はカーテンの袖やレースのようにぶらぶらと揺れる。


「ミーナは、何もしていません……お兄ちゃんに任せっきりで」

「別にいいよ、大したことじゃないんだから」

「よくないのです……」

「なあ、ミーナ。良かったら今日の夜、これを見に行かないか」


 僕はテーブルの上に一枚の紙を置いた。ポスターだ。


「これは……」

「サーカスだよ、知ってるだろ? 城下町の方に来てるんだって」


 それは移動式サーカス団のポスターで、今日が最終日だそうだ。

 魔法や曲芸を駆使したステージらしく、その評判の良さから貴族の間で話題になっていた。


「ですがこういったものは……」

「服なら買ってきた」


 僕は「これがミーナのドレスだ」と奥から包みを出してきた。

 袋から取り出しミーナに手渡した。

 受け取ったミーナは反射的に目を輝かせたが、すぐに気を遣い申し訳なさそうにした。


「こんな高価なもの……」

「僕のはこれだ」


 同様に自分の物も袋から取り出した。


「これを着て行けば、変な目で見られることはない」

「ですが、その、貴族の中にはお兄ちゃんの顔を知っている人もいると聞きますし……」

「騎士学校の連中には、そういう奴もいるかもしれないな。でも大丈夫さ、顔は隠していくから」


 僕は念のために買っておいた、舞踏会用の面を被った。

 それは鼻から上を覆うことのできる半面だ。

 口元だけが見えるようになっている。

 これで食事の際に一々取り外す手間が省ける。


「ほら、ミーナのは赤だ。ぼく一人だけだと怪しまれそうだから、買っておいたんだ。これだけ揃えておけばいけるよ、こういった見世物にやってくる貴族の中には、こんな面を被る人がちらほらいるんだ」

「舞踏会でもないのにですか?」

「ないのにだ。奴らは着飾るのが好きなんだよ。だからこれだけ着飾っておけば、僕らを平民だと疑う者はいない。疑われて辺境伯だとか思われる程度さ、完璧だよ」


 ミーナは心配性で、僕がいくら説得しても表情は難しいものだった。


 だがその笑顔を見ればわかる。

 嬉しくないはずもないだろう。


 笑顔に勇気づけられながら、僕は自分に言い聞かせた。

 僕ならできる。

 ミーナが笑っていられるようにしてみせる。

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