第2話

 まず、白石さんが俺と同時に連絡をしたという画廊のオーナーに会って、話を聞いてみることにした。電話を入れてみると、オーナーは快く受けてくれた。生前の兄もそうだし、俺も兄の個展をやる際に面倒を見てもらった。穏やかな良い人だ。

 白石さんと画廊の最寄り駅で待ち合わせをすることになって、何も考えずに改札を出たあたりでと言ってしまったが、今は夏だった。日が暮れているとはいえ、暑い。オーナーの都合と彼の仕事終わりの時間ということで、待ち合わせの時間は十九時としていた。帰宅を急ぐ往来の邪魔にならないように柱に身を寄せる。手で首元を扇ぎながら、いっそ現地集合にすればよかったと後悔する。彼も個展に来たなら画廊の場所は知っているんだし。

「志鷹さん! お待たせしました」

 現れた彼は、前とは違いきっちりとしたスーツ姿だった。前はネクタイもなかったし、クールビズだったんだろうか。

「スーツなんですね。暑そう」

「暑いですけど、今日大きめの会議があったんで仕方なく。オーナーさんにもお会いするし、ちゃんとしててちょうどいいかなって」

 にこりと笑う。人懐っこいその笑顔の方が、スーツを着てちゃんとするよりも武器になるだろうに。

「じゃあ行きましょう。画廊は冷房効いてるといいなあ」

 彼が指差した画廊への道を二人で並んで歩き出す。そして、前回別れ際に聞かれたことを話しておこうと思い立つ。

「そういえば、両親にも兄の話を聞いてくれって言ってたでしょ」

「そうだった。すみませんお手数おかけして。ありがとうございます」

「電話しただけだからお手数はそんなにだけど。でも、収穫はほぼ無かったです。父は海外にいることが多いし、あの人たちは二人で完結してるとこあるから……いい親だけどね」

 両親はまだ海外に住んでいる。あと一年は戻らない。母と再婚する前も父はこんな感じで海外にいることが多く、兄はほとんど祖母に面倒を見てもらったと言っていた。

「祖母は母と再婚する前に亡くなったそうです。祖父はそれよりも早くに、兄の実の母親はそれより前に」

「じゃあ、綾人さんの幼少期を詳しく知っている人は、いないってことですね……」

 短いため息が聞こえ、彼は少し落胆したようだった。


 画廊は、彼が願ったように冷房が効いていて涼しかった。商談スペースに通され腰を落ち着けると、奥からオーナーが現れた。

「いらっしゃい志鷹くん。あれっ誰かと思った。あっという間に元に戻ったね」

「あはは、外出ないのに整えるの面倒で」

 オーナーは俺を見るなり笑ってそう言った。今日の俺は適当な服にサンダル、髪は伸ばしっぱなしでボサボサ、髭も剃るのは数日おきで、今日は偶然伸びている日だ。

 対してオーナーは、一目で良いものであろうとわかるポロシャツに、髪もワックスで丁寧に整えられている。父より年下ではあるけれど、そう離れてはいないはずだ。いつ会っても年齢より若く感じる。

「個展の期間は頑張ってたのに」

「期間限定ですよ」

 おどけて言うと、まあそれでも僕にとってはかわいいけどねえ、と返される。両親の再婚後からたまに会っているので、親戚の子どもみたいな感覚なんだろう。

 一通り会話をしたところで、隣で居心地が悪そうにしている彼を手で示して紹介する。

「オーナー、こちらが白石さんです」

「今日はお時間いただきありがとうございます。白石蓮と申します」

 彼は深く頭を下げて、それから名刺を差し出した。オーナーがそれを受け取るのを見て、本当に会社勤めなんだ、と思った。この取材も学生の興味本位で、身分を偽っていたりするのかもと少し考えてみたりもしていた。

「志鷹さんも今更ですけど。すみません、前回緊張してて、名刺渡すの忘れてしまっていて」

「……ありがとう。律儀だね」

 名刺を少しの罪悪感とともに受け取った。こちらが思うより誠実な人間なのかもしれない。

 次はオーナーの方に手を向ける。

「で、こちらがオーナーの佐藤さん」

「佐藤悠介といいます。志鷹くんのお父様にはお世話になっていて……あと、綾人くんにもたくさんお世話になりました」

 オーナーが懐かしむように兄の名前を出した。

「今日は綾人くんの話を聞きに来たんだよね?」

「はい。絵のことと、問題ない範囲で構わないので、綾人さん自身のことをお聞きしたいです」

「志鷹くん、話して問題ないんだよね?」

「知っている範囲で何でも答えてもらってオッケーです。父にも許可をもらいました」

 わかった。オーナーがそう返事をすると、白石さんから以前俺にしたのと同じ質問が飛んでいた。オーナーから返される答えも、ほぼ俺と同じようなものだった。

「生前にやった個展に訪ねてきた女の子もたくさんいたな。綾人くんのことを好きな女の子は少なくなかったと思うけどね、綾人くんがそういう子たちに答えることはなかったかな」

 格好良かったし絵は上手いし、実家はお金持ちだし、モテモテだよ、ねえ? とオーナーは俺に呼びかける。へらりと笑い返した。身内をこういうふうに褒められるのはなんだかむずがゆい。

「でも綾人くん恋愛できるような雰囲気じゃなかったから」

「雰囲気……ですか」

「夢中だった……他に目に入らない、みたいな?」

「それは、絵を描くことにですか」

「そうだね。いや……絵の中の天使に?」

 白石さんが息を呑んだのが聞こえた。彼の欲しい答えに繋がる回答だ。

「絵の中の天使に、モデルはいたんでしょうか? 綾人さんが夢中になって描くような人が」

「モデル……いたのかなあ。でも天使に会うために描いているようなことは言ってたな」

「そんなこと言ってたんですか。知らなかった」

 驚いてつい口を挟んでしまった。

「志鷹くんにはこういうこと話さなかったのか。だから生前は絵を売るの、あんまり乗り気じゃなかったんだよ」

 亡くなってからは、多くの人に見てもらうほうがいいという父の意向により、数点を残して少しずつ手放している。

「佐藤さんは綾人さんとはいつからのお付き合いなんですか?」

「子どもの頃から知ってたよ。たまに家族ぐるみで食事に行ったりしてた。謙也さん……二人のお父上ね、謙也さんが海外赴任多くなってからはなかなか会えなかったけど。そのうち叶恵さんが亡くなって」

 叶恵とは兄の実母だ。病気で亡くなったらしい。

「志鷹くんがいるところで言っていいのかわかんないけど。綾人くん、子どもの頃はもっと人間らしかったんだよ。でも絵描きってのは、何か捨てなきゃなれないのかもね」


 画廊を出て夜道を歩く。せっかくなので夕飯ご一緒しませんかと言われて了承し、彼の知っている店に向かっている。

「なかなか会えない人だったんでしょうか、天使さんは」

「天使さんて」

 思わず突っ込むと、だってと唇を尖らせながら返される。

「モデルがいたのは確実じゃないですか。名前がわからないなら天使さんと呼ぶしか……」

「確実かな? 架空の存在かもよ? 妄想の中の理想の人みたいな」

 言っておきながら、兄がそういうものを持つような人間には思えない。そういうものに狂ってしまう人じゃなかった。

「妄想……にしては、余りにも、いるんですよね。あの天使」

 彼の返答にゾッとした。俺も同じ印象を持っていたから。天使の絵として描かれているが、まるで額縁の向こう側に生活があるような、そんな生々しさがある。

「じゃあ、いるということにしよっか、天使さん。何でなかなか会えないと思ったの」

「会えないからせめて絵の中で、と考えたんですけど、どうですかね」

 なるほど、と返す。

「綾人さんが天使を描き始めたのは大学在学中でしたよね。その頃に出会っていて、なかなか会えないような人……?」

「それなら再婚した後か。俺も知ってておかしくない。でもやっぱ恋人はいなかったと思う」

「片想いの相手は……」

「……いたかも?」

 いたかもと返事はしたけれど。出会った頃の兄は、優しい人だった。優しくしてくれた。優しい兄を、頑張って演じていた。人間らしさがどこか欠けていたのは最初からだった。

 あの人がどうやって恋愛なんてするんだろう。絵の中の天使に夢中だった。それは確かに俺にもそう見えていたけれど。

「オーナーはさ、兄が変わったみたいに言ったけど、俺から見れば兄はずっと変な人だったよ。頑張って人間をやっているみたいな人。恋愛なんてできたのかも疑問」

「それならなかなか会えない人ってのは違うかもですね。相手へのアプローチが絵を描くことだったってだけで」

「君ほんとポジティブだね。というかうまいこと解釈するね」

 つい嫌味のような言葉が口をついて出る。え、と声を漏らしてこちらを見た彼と、パチリと目が合った。まずい、やってしまった。

「志鷹さん、本当は僕じゃなくて俺なんですね」

 笑顔で告げられて、一瞬何の事だと考える。一人称のことかと思い当たって、いつの間にか敬語も使っていないことに気付いた。

「あ、すみません、タメ口になってた」

「俺のが年下だし依頼したのはこっちだし、そうやって話してくれる方がありがたいです」

 これからしばらくは一緒に過ごす時間が多くなりそうな相手だ。気を使うのも面倒だし、お言葉に甘えて気安く接することにしようか。

 とはいえ、さっきは失礼なことを言った自覚がある。

「さっきの、ごめん。嫌味っぽかったよな」

「ポジティブ解釈ってやつですか? まあ、確かにそうなので反論ないですよ。そうやって話作って記事書いてるとこありますから」

 嘘は書きませんけどね俺は! と最後に付け加えられた。思わず笑ってしまう。

「良いやつだね白石さんは」

「蓮でいいですよ。下の名前呼び捨てがいいです」

 それはもう友達みたいで嫌だなと思ったけれど、彼の笑顔があまりにも無邪気だったので、了承してしまった。

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