薄情者
魚崎 依知子
二〇二五年六月十四日(土)
事は二〇二五年六月十四日に、ある男性が我が家を訪れたことに始まる。
仮に、
梅雨の最中で蒸し暑いこともあってか半袖の開襟シャツを着ていたが、少しはだけた胸元にだらしない印象を受けた。あまり良い客ではない、というのが第一印象だ。
普段なら、夫を盾にして追い返していただろう。でも。
「うちが買わせてもろうた、ご自宅だった土地のことで、ちいとお話がありまして。あの、H町二丁目の」
滝川の言う「H町二丁目にあるかつて自宅だった土地」とは、これのことである。
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今日は幽霊の日だそうで…
私はあまり怖い体験をしていないので、地味な話になるのですが、子供の頃住んでいた家に足首から下だけの幽霊がいました。時々夜中に階段を下りる音を響かせるくらいの、実害のないやつでした。
ただ「二階にいるんだろうな」と思っていたら私の部屋(二階の一番隅にあった)が拠点だったようで、夜中ふと目を覚ました時に足が私の部屋から廊下へ出て行くのを見ました。その時は、さすがにヒィィ…となりました。
引越し後に家はなくなり現在はお店が建っているのですが、二階建てなので、今もまだ階段下りてるのかな、と前を通る度に思っています。
最終更新午後7:37 ・ 2024年7月26日・320 件の表示
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Xで二年前にポストした、実話怪談のうちの一つだ。
要は滝川は、その店の経営者であるらしい。ただ、当然だが売ったのは私ではない。
「不動産のことなら、父に仰っていただいた方が確実ですが」
「いや、お父さんに話したら裁判にされますけえ。人に聞いたら、お嬢さんに言うんがええて」
一応口にしてみた提案への反応は、予想どおりのものだった。
「父に話したら裁判にされる」といっても、父は弁護士ではない。市内で不動産関係の会社を経営している。単に、裁判するのが好きなのだ。正確には「裁判で戦って勝つ」のが。
父は地主の次男坊で、親の金で私立大(しかもミッション系)に通って親の土地に会社も家も建ててもらったボンボンである。ただ父方の生家はたぶん家系に霊的な問題を抱えていて、父は実母と数人の義母を喪って育った。複雑を極めた育ちのせいか、ゴリゴリに屈折しているのだ。
母は随分前に愛想を尽かして都会へ脱出してしまったため、以来、娘の私がこうして後始末をしている。
*
「うちには、お嬢さんと比べるのも恥ずかしいくらい出来の悪い息子がおりまして。高校んときの後輩だって言っとりました。滝川アキオ言います」
通した外庭の縁側に腰を下ろし、滝川は私が出した冷茶を啜った。
滝川アキオ。
全く知らない名前だが、私は「鳥取出身・在住」を公表してからやたらと先輩と後輩が増えたのでその一人だろう。そのアキオが、先のポストではなくカクヨムに『魚崎の事件簿』として掲載していた実話怪談『実家の幽霊』を読んだらしい(この一件を機に現在は非公開)。そして気づいたらしい、「これ、親父の会社では?」と。
「
わざわざ訪ねてきたのだから、父が言わずに売ったのは明白ではあった。
ただ、実家の幽霊は出現理由に紐づけられるような事実がない。あの家で自殺や事件、事故死がなかったのは確かだ。あったら、さすがの父も告知している。売買の心理的瑕疵告知義務違反は確か無期限ではあるものの、今回のようなケースにも適応されるのだろうか。父が聞けば、嬉々として法廷で戦いそうな事案である。
「いや、そんな大仰なもんを求めとるわけではないんです。私は見たことないですし、仕事に差し障りがあったんなら、とっくにお父さんの方に言っとりますけえ」
てっきり父の代わりに金を払えだろうと身構えていたのに、予想外の反応だった。
「じゃあ、どういったご用件で?」
金でないならなんなのか、目的が見えず困惑する。滝川はすまなげに笑って眼鏡を外し、弛んだ肌を引っ張り上げるようにして顔の汗を拭った。
「実は、息子がこういうのに興味があるらしゅうて。『自分が解決する』て言うとるんです。ほんで、
あまりにも傲慢な言い草に思わず嘲笑を浮かべそうになって、慌てて頬を押さえた。
百歩譲って「見に行きたい」ならまだしも、「解決する」とは。相手が何かも分からないようなズブの素人二人で、そんなことができると思っているのか。
「お断りします。解決したいのなら、勝手にされたらよろしいです。私を巻き込まないでください」
そもそも、大事にしたくないのはそっちだろう。大事になるなら、父は大喜びなのだから。私が溜め息交じりに返すと、滝川は慌てたように瞼の垂れた目を見開き、まるで土下座をするかのようにこちらへ向かい床に両手を突いた。
「お嬢さんには迷惑を掛けんて言うとりました。そもそもうちの会社ですし。本人が泊まり込みで調べるんで、メールで相談に乗ってほしいだけだと」
それで、私がどうにかできるとでも思っているのだろうか。何を考えているのか分からない。
「メールで私にどうにかしてくれと言われても、何もできませんよ。私にそんな能力はないんですから」
「それは分かっとると思います。本人に、なんか策があるんでしょう」
なんか、とは。滝川が理解できず適当に言っているのならいいが、アキオ自身もそんな気分でいるのなら一切関わりたくはない。見えないものに対する恐怖と畏怖が足りなさすぎるのが、確実だからだ。
当時住んでいた私達家族になんの被害もなかったのは、彼らを排除せずに共生していたからかもしれない。たぶん一番怖い思いをした私ですら、滅そうと思ったことはなかった。
でも、アキオはその関係性を崩そうとしている。好奇心で。
そんな奴、呪い殺されようとどうでもいい……と言いたいところだが、本当にそうなったら悔やむのが目に見えている。毎度のことながらどうしてこう、私の弱いところをピンポイントで突く話ばかり回ってくるのか。
「お話を聞く限り、息子さんはかなり無謀で危険なことをしようとされてます。聞きたいことがあるので、一度息子さんと話をさせてもらえませんか。お会いするよりは、メールか電話がありがたいですが」
仕事みたいなものとはいえ、男性が頻繁にうちに出入りしたり二人きりで会ったりするような状況は避けたい。ここはど田舎だし、夫は今、日本にいないのだ(不審者対策用に7番アイアンを玄関脇に置いて渡墨していた)。うっかり噂好きの誰かに見られて「旦那さんがいないうちに~」などと吹聴されては敵わない。
諦めて受け入れた私に、滝川はほっと安堵した笑みを浮かべた。
「ああ、ええと……ツイッター? でしたっけ、それで連絡すると言っとりました」
「そうですか。DMを解放していないので、プロフィールに載せているメールアドレスへメールをくださいとお伝えください」
ああ、ええ、はい、と心許ない答えを返す滝川に溜め息をつく。まあアキオがXで連絡したいと言っているのだから、私のアカウントは既に分かっているはずだ。全部伝えられなくても、言いたいことは分かるだろう。
初回からメールを送ってこなかったのは、不審がられてブロックされると思ってか。本人が来なかったのは、父親の方が信頼されると思ったからか? まあ、あまり探らない方がいい。深入りして、いい結果になった試しがない。
役目を終えた滝川は冷茶を飲み干したあと腰を上げ、降りそうですなあ、と鈍色の空を見上げた。
*
アキオから最初のメールが届いたのは、その日の夜だった。
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日時:2025/6/14 21:18
差出人:ak_tk######@gmail.com <ak_tk######@gmail.com>
宛先:uosakiichiko*gmail.com
件名:滝川です
はじめまして、滝川です。
今回の話、引き受けてくださってありがとうございます。
もし身近で起きたら、試してみたいことがあったんです。いろいろ準備して、明日から入る予定です。
魚崎さんは、明日から一週間、朝五時ジャストに俺に「うん」だけ書いたメールを送ってください。ほかには何も書かないでください。
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一読しただけで、頭が痛くなるメールだった。無機物で実験するような気分でいるのだろう。恐怖も畏怖も感じられない。霊とはいえ、かつては命のあったものだし魂は消えていない。同情はしない方がいいが、最低限の敬意は持つべきであると私は考えている。それが生死を分けることもあるのだ。
厭われるのは分かっているが、敢えて言わなければならないときもある。一万字に収まらなくなるので省くが、致し方ないので詳細を尋ねつつ説教めいた返信をした。
その返信は、
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日時:2025/6/14 22:44
差出人:ak_tk######@gmail.com <ak_tk######@gmail.com>
宛先:uosakiichiko*gmail.com
件名:Re:Re:滝川です
そんなこと、言われなくても分かってます。何をするかは言えません。
じゃあ、明日からよろしくお願いします。
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だった。
予想どおり、機嫌を損ねたのだろう。頭と胃は痛いが仕方ない。それでも、受けた以上はやりきるしかないだろう。一週間だし。
*
……と、このときは思っていた。
ここからは、主にメールとメモ(揉めたときに備えて書き留めていた)を中心に載せていく。
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