05:黒髪青眼の青年
「車輪の軸が折れてしまったそうです。首都には入っているので、今日はこのへんで宿をとりましょう」
「はい」
ハドリーが馬車の外から声をかけた。
幸い国境は越えていて、ここはロイフォード王国首都のネオローザ。
アカデミーは首都の外れにあるため、予定通り明日には到着できるだろう。
「フィオナ、気をつけて」
「大丈夫だよ」
レナルドが先に降りて手を差し出す。
しかしフィオナは、ハドリーの時と同じようにその手を取らなかった。
エスコートを断られたレナルドは苦笑して手を引っ込めた。
「……いいにおい」
馬車を降りた瞬間、甘く心地よい香りが鼻腔をくすぐった。
「ロイフォードはバラが有名なんだよ」
「へえ……」
「品種改良もさかんで、花屋にはいろんな色が並んでますよ。あ、ちょうどあそこにありますね」
フィオナはハドリーが指を差した花屋に視線を向ける。
店先を埋め尽くすバラは、確かに赤だけではなくオレンジやピンク、緑など様々な色があった。
「さすがに青いバラはここには置いてませんね」
「そうですね。青いバラは王室のバラ園でのみ生産されてるので、街には流通していません」
「青いバラ……見たことない」
「僕もないよ。"コーディ・ローズ"っていって、一本百万リルするんだって」
フィオナが知らないのも無理はない。
青いバラは、つい最近になって生まれた新種なのだ。
「青いバラは五年ほど前にアルフレッド・ファーノンが開発に成功しました。彼はイメンスアカデミーの教授なんですよ」
ハドリーは卒業生として得意げに説明する。
それ程、青いバラの開発というのは世界的な偉業だった。
「さて……僕は修理屋と宿を探してくるので、おふたりは観光してきたらどうですか?」
「いいんですか!?」
「もちろん。ですが、五番街からは出ないでくださいね」
「やった! フィオナ行こう」
「うん」
レナルドは浮き足立った足取りで、フィオナを先導した。
「見て、バラのアイスクリームだって! 食べようよ!」
「私は……」
「僕買ってくるから、フィオナはそこに座って待ってて」
自分の分はいらないとフィオナが伝える前に、レナルドは走って行ってしまった。
「……」
フィオナは仕方なく言われた通りにベンチに座る。
そしてバラの香りがする空気を深く吸い込み、ネオローザの街並みを見渡した。
木造の建物が並び、一階にはカフェや宝石店など様々な店が軒を連ねている。
貴族も平民も観光客も混ざり合い、活気がありつつも落ち着いた雰囲気を纏った街だった。
(青いバラは……どんな色なんだろう)
フィオナがそんなことを考えていると、花屋の隣の小道から一人の青年が出てきた。
「クソッ、見失った……」
青年は周囲を見渡し、ぼそりと呟く。
そして正面のベンチに座るフィオナと目が合った、その瞬間――
「!」
ふいに風が吹き、青年の長めの前髪をかき分ける。
垣間見えた瞳にフィオナは目を奪われた。
(青……)
"海みたいに深くて吸い込まれそうな瞳"
母であるエディットがそう形容した瞳と全く同じ瞳が、フィオナを見据えていたのだ。
さらに髪は漆黒。青年の姿は、母の傍にいた霊と瓜二つだった。
「……」
「!?」
つう、と理由もわからないまま、フィオナの右頬に涙が伝った。
その様子に青年はぎょっと目を丸くして、今来た小道を引き返して行ってしまった。
「待っ……!」
「フィオナ!」
追いかけようと立ち上がったフィオナの腕をレナルドが掴む。
「何か視えたの?」
「……わからない」
レナルドに青年の姿は確認できていない。
彼が現れる前に去ったからなのか、それともそもそも“視えない存在”だったのか……今のところ判別できない。
「どっちにしても、知らない土地で走り回るのは危ないよ」
「うん……」
「な、泣いたの? 大丈夫?」
フィオナの頬に涙の痕を見つけて、レナルドはアワアワとハンカチを取り出す。
「ゴミが入っただけ。大丈夫だよ」
フィオナはハンカチがあてられる前に、自分の手の甲で頬を拭った。
「……そっか」
レナルドは一瞬だけ寂しそうな表情を見せたが、すぐにいつもの柔和な笑顔を浮かべた。
「はい」
左手に持つカップをフィオナに差し出す。
カップの中には丸く盛り付けられたピンク色のアイスクリーム。
「売り切れで一つしか買えなかったんだ。スプーン二つ貰ってきたから半分こしよう」
「……ありがとう」
フィオナはスプーンを受け取り、一口分をすくって口に含む。
「本当にバラだ」
「本当だ!」
バラの甘美な香りが鼻に抜けたあと、ミルクの優しい味わいが口いっぱいに広がった。
この穏やかな甘さは、ネオローザの景色とともに、フィオナの記憶に深く刻まれたのだった。
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