1-5-5.四月十六日

「……狡いです」


 何が狡いと思った? と聞き返すと、少し間をおいて、彼は捲し立てるように言葉を吐きだした。


「狡いじゃないですか。それなら別に、志絵莉しえりさんが俺のことを惚れさせて、それから俺が志絵莉さんを惚れさせてもいいですよね? 志絵莉さんこそもっと俺を誘惑して、どうやって相手を惚れさせるのか、実践して見せてくれてもいいじゃないですか。……俺だって、誰かを好きになりたいし、好きになってもらいたいですよ。でも、上手くいかないんです……! こんな俺を、どうやったら志絵莉さんは好きになってくれるんですか! ただでさえ、誰かを好きになったことがないなんて言う志絵莉さんを……!!」


 終いには泣き出してしまい、わたしは幼子のように泣きじゃくる彼を抱き締めて、背中をさすってやる。まさか泣いてしまうとは思わなかった。追い詰め過ぎてしまったのかもしれない。

 それに、確かにわたしは狡いことをした。自分が誰かを愛せないから、その事実から逃げて彼にそれを押し付けた。本当はわたしだって、その問題に向き合わなきゃいけないのに。


「……そう、だよね。お手本を見せるのは、お姉さんの役目だよね。ごめんね。……わかったよ。わたしもできるかわからないけど、頑張るから、だから一紀かずきくんも、できなくても怒らないから、頑張ってみてくれる……?」


「……うん」


「うん、よしよし。偉いね」


 一紀くんの頭を撫でてあげると、一紀くんもわたしに抱き着いてくる。まるで子供をあやしている気分だ。何をやっているんだろうな、わたしは。


「ほら、お母様が帰ってくる前に泣き止んで」


 一度こくりと首を縦に振った一紀くんだったが、もうちょっとだけ、と小さな声が聞こえたので、よしよし、と頭を撫で続けてあげた。


 彼はわたしを母親か何かと勘違いしているんじゃなかろうか。いくらわたしがお姉さんだからといって、甘え方が幼児のそれではないか。普通に引く。

 しかし、彼がこうなってしまっているのは、何が原因なのだろう。普段はここまで幼さを見せるわけではないし、精神面の全てが幼いというわけではない。ある特定の部分が育っていない。これは尚更、彼のお母様と話をしてみる必要がありそうだ。彼以外の視点からも、例のお姉さんの事件は調べてみないといけないだろう。彼がそこまで執着する何かが、実際にはあったのかもしれないから。



「……すみません、恥ずかしいところを見せてしまって」


 しばらくして落ち着いたのか、一紀くんはわたしから身体を離して俯きがちに呟いた。少し目が腫れている。これだとお母様には泣いたことがバレてしまうかもしれないな。わたしが泣かしたわけだし、その尻拭いを彼にさせるのは申し訳ない。何か言い訳を考えておこう。


「大丈夫、気にしないで。わたしも気にしてないから。それより、撮影会するんでしょ?」


 全部話してもらった後に開催しても良かったが、それだと恐らく食後になってしまう。できればお腹が膨れる前にしておきたいと思ったので、気分転換も兼ねて提案してみた。

 すると彼も少し気を取り直したのか、ありがとうございます、と微笑みを見せた。


 ちょっと待ってね、と手鏡で前髪を整えて、服のしわを直す。


「よし、いいよ。どうしたらいい? ピースする? ハートの方がいい?」


 なんて、顔の近くでピースしてみたり、手でハートマークを作ってみたりする。そんな様子を、彼はスマホのカメラで撮影していた。


「もう撮ってるの?」


「可愛かったので、つい」


 そう言われると、文句を言う気にはなれないので困ってしまう。


 それからは、一紀くんに言われるままにポーズを取ってみたり、照明を変えたり、場所を変えたり角度を変えたりして、撮影会は想像以上に盛り上がった。さながらグラビアアイドルにでもなった気分で、思ったより撮られるのも悪くないなと思った。


「いいですね。最高に可愛いです」


 そうしてまた一枚。


「それもいいですね。最高を更新しました」


 さらにまた一枚。


「ああ、いいですね。志絵莉さん、可愛いの上限値ないんですか?」


 一紀くんが撮る度に可愛い、可愛いと言ってくれるので、わたしも調子に乗ってついつい色々なポーズを取ってしまう。恐るべき幸福の循環が起きていた。


「ありがとうございました。おかげさまで、アルバムが志絵莉さんでいっぱいになりました」


「その中からホーム画面にするのを厳選するの?」


「そうですね。今夜たくさん悩んで決めます」


 普通ならこんなことをされればどれだけわたしのことが好きなんだと思ってしまうところだが、彼にとっては“可愛い=好き”というわけでもないらしい。たぶん、犬や猫を見て可愛いと思うのと同じなのだろう。野良猫が通りかかった時、そいつを可愛いと思うかもしれないが、好きかと聞かれれば、それは少し違うだろう。


 すると、ちょうど玄関のドアが開く音がした。お母様が帰ってきたらしい。荷物が多かったのか、息を切らしている様子が部屋のドア越しでも伝わってくる。


「手伝ってあげた方がいいかな?」


「いや、いいですよ。いつもあんな感じですし」


 一紀くんはそう言うが、一応 扉を開けてお母様の様子を窺ってみる。案の定、いくつもの買い物袋が山のように玄関に置かれていた。


「おかえりなさい、お母様。わたしも何かお手伝いしましょうか?」


 こんな時、何と呼べば良かったのかと思って咄嗟にお母様と呼んでしまった。奥様の方が適切だったかもしれないと、口にしてから気付いた。そのせいで、まあ! と一紀くんのお母様を無駄に喜ばせてしまったようだった。


「あらぁ~、ただいま、志絵莉ちゃん。でも大丈夫よ。志絵莉ちゃんは、一紀の相手してあげて」


「ありがとうございます。ではお言葉に甘えさせていただきます」


 一礼してから部屋に戻ると、一紀くんがにやにやと微笑みを溢していた。


「志絵莉さん、その優等生キャラ、疲れない?」


「わたし、一応 本物の優等生なんですけど。偏差値七十超えてるんですけど!」


「こうして俺と接してくれている時の志絵莉さんとギャップがありすぎて、面白いです」


 なんて、ついに彼は堪え切れないように笑い出した。

 何も面白くないんだけれど。せっかく彼氏のお母さんにいい顔してあげようと思ってやっているのに。実は彼女がこんなに意地悪な女だなんて知ったら、お母様が可哀そうでしょうに。

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