アシュタルテと砂漠の女王

ヤマモト マルタ

第一章 女王

1 請願日


 藍染の布地に、金糸でつる草の模様がい取ってあった。その美しい飾り面で目元を覆ったシャールは、謁見の間にしつらえられた玉座に腰掛け、入り口から流れ込んでくるオドオドと不安気な人々を眺めた。


 瑠璃るり色の絹で仕立てられた、チャフィーブという足首まで届くたっぷりとした長袖の服は、砂漠の国シェルバの若い女王に優雅な威厳をもたらしていたが、派手好きな彼女の好みではない。しかし週に一度の『請願日』に、華美な服装は相応ふさわしくなかった。真っ白なドゥループと呼ばれる布を頭からふわりと被り、黒髪を隠していたが、首元にそのひと房がのぞいていた。


 王宮の入り口からこの『請願の間』まで、隙間なく続く兵士の列に挟まれ、人々は後ろから押されて戻ることもできず、この広間に流れ込んでくるのだ。身なりは雑多だが、粗末な服装の者が多い。


 この国の請願日には、朝の短い時間ではあるが、民が国王に直訴することが許されていた。身分を問わず、それは奴隷であっても許される。しかしその機会を得るのは簡単ではなく、王宮の入り口に詰めかけた民衆の中から、運良く入城を許されるのが数十人。その中から国王に選ばれた数名だけが、発言を許されるのだ。


 玉座の右側に立つ宰相ジャーフィルの合図で、シャールは人々の中から身なりの良い年老いた男を指差した。


 二人の衛兵が人々の中から老人を連れ出し、玉座の前に導いた。といってもシャールと老人の間にはそれなりの距離があり、ズラリと立ち並ぶ近衛兵がにらみを効かせている。


 老人が身を投げ出すように何度も床に額をこすりつけ、神と国王の威光について大仰に称える言葉を、シャールはあくびをみ殺しながら聞いていた。神はともかく、国王である自分を、この老人が言葉ほど尊敬しているとは思えなかった。


 長い賛辞が終わるのを待ちかねて、シャールは老人の言葉に被せ気味に言った。


おきなよ、訴えを述べるがよい」




 老人の訴えは、隣接する氏族との水争いの裁定である。この老人の一族は、ワディ・アルマカのダムの下流に広がる広大な農耕地の一角で、小麦や野菜、果物を栽培しているが、用水路の上流の一族に水を取られ過ぎて作物の育ちが悪いという。


 『ワディ・アルマカ』は、シェルバの王都サルームの北西にある岩山タラム・ジャラムの奥地から流れ出る河の名であり、ダムでき止められ人工の湖となった後には、その湖の名となった。ダムはシャールの先祖であるシェルバ新王国の始祖マタル・アク・アネンが造った、と伝えられている。


 ダムによってもたらされた農地こそ、シェルバの経済のいしづえであった。砂漠に囲まれた国でありながら、輸出できるほどの小麦を生産していた。


 シャールは声を張りあげて老人に言った。


「その方の訴えを認めよう。水の使用量を調べ、不正があれば厳罰に処す」


 そして玉座から身を乗り出し、老人に優しく語りかけた。


「そちの水瓜は国一番の評判じゃが、ずいぶんと値が高いそうな。畑を広げ、作付けを増やすがよい。その分、半値にせよ」


 老人はぽかんとした顔をしたが、すぐにうやうやしく頭を下げた。


 隣からジャーフィルの咳ばらいが聞こえる。


 ただの水争いなら、このような場で直訴せずとも裁判で片付く。訴えは方便で、老人の目的は水と農地の割当増加だった。


 ダムからもたらされる水と、それによって賄われる農地は限られた資源であり、権利者は細かく決まっている。宰相と言えども、理由なく動かせるものではない。しかし近年雨季の増水でダムの水も多い。ダムから引く水路の末端では、農地を増やす余裕があるが、それを狙っている者も多かった。


 シャールは、ジャーフィルの指示通りに答えただけだ。内政はこの男に握られており、シャールに実際の権力はなかった。この件でジャーフィルが受け取る賄賂は莫大なものだろう。老人の一族に出し抜かれた者たちは大層不満だろうが、国王の決定となれば受け入れるしかない。


 『水瓜』は、シャールのちょっとした嫌がらせだった。

 老人が立ち去ると、ジャーフィルが顔を寄せてささやいた。


「陛下、水瓜とはなんです? あの土地では小麦を作ると決まっていたのですぞ」


 今日の請願がまだ終わっていないのに話しかけるとは、余程腹を立てているのだろう。


 ジャーフィルの山羊のように白くて長い顎髭が、目の横でぷらぷら揺れている。それをぎゅっとつかみたい衝動をこらえて、シャールは答えた。


「そうだったかの? 毎週似たような受け答えをしておったので、勘違いしてしもうた」


「しかし……」


「王の決定を簡単に覆すわけにはいかぬ。そうであろう? あそこの水瓜はたしかに美味いがのぅ……市場スークの十倍の値だそうじゃ。高すぎると侍女がこぼしておった」


「……陛下が口にするものですからな。最高のものを仕入れておるのです」


(おまえが仕入れの上前をはねているから高いのだろうが!)


 シャールは盛大に顔をしかめたが、飾り面で見えないのを承知の上だ。


 幼い頃はジャーフィルが好きだった。


 ただ甘やかされていただけだったのかもしれないが、王位継承権の低いシャールにジャーフィルは優しかった。父王に引き上げられて大臣になったジャーフィルは、当時は私心なく仕事をしていたのかもしれない。


 だが三人の兄が亡くなり、思いがけず王位を継いで七年。二十七歳のシャールには、今のジャーフィルの狡賢ずるがしこさが見えている。


 かつて伯父のように慕った彼を思い出し、シャールは寂しさを覚えた。




 ジャーフィルが仕込んでいたのはその老人だけだったので、後の請願者はシャールが自由に選ぶことができた。


 玉座から眺めると、必死な者と、あわよくば金がもらえると思っている者の違いがよくわかる。必ずしも身なりではない。国王に会うのだからと、貧しくとも精一杯身だしなみを整えて来る者もいる。


 必死な者は、陽炎かげろうのように全身から何かが立ち上っている。いつの頃からか、シャールにはその見えない何かが感じ取れるようになっていた。


 何人かの訴えを聞き、言葉を掛け、解決してやる。


 訴えのほとんどは金銭で解決できた。そうでないものも、兵士か役人を派遣すれば事足りた。


 以前は同じことの繰り返しでつまらないと思っていたが、今はそうでもない。様々な身分や職業の者たちから、窮状に陥った経緯いきさつを聞くのが面白かった。世の中には様々な仕事と、不幸があるものだと感心する。


(おや?)


 シャールは人々の後ろの方に見え隠れしている背の高い男の顔に目を止めた。


 カラスのような真っ黒な髪に濃い灰色の目、少し浮かんだ頬骨、くっきりとした鼻柱、彼女の好みの顔立ちだった。歳は分かりづらいが、顔の肌には若々しさが感じられる。彼女の婚約者のように整った美しい顔ではないが、少し崩したぐらいの方が好きなのだ。


 身なりは良い。『ハブル』と呼ばれる一枚布の外套をまとっているが、それは珍しい深緑で、全体に金色の月や星の刺繍が施され、高価な品に見える。


 視線が合っても、表情が静かだ。


(見学に来ただけなのか?)


 しかし顔は穏やかなのに、必死の気配がする。奇妙だ。


 シャールは衛兵に指図し、男を連れて来させた。数少ない請願者に選ばれたのに、緊張した様子がない。


「訴えを聞こう」


 男は額を床に着けて拝礼したが、すぐに顔を上げてシャールと視線を合わせ、声を張り上げた。


「クァダリムのサリマと申します」


 かすれて聞き取りやすくはないが、真摯な声だった。『クァダリム』と聞き覚えはあったが、どことは思い出せない。北の辺境にそんな名の街があったか。


「陛下、ワディ・アルマカのダムの水を放流してください! 雨が降り続き、洪水が起こります! 今のままではダムは決壊し、サルームの都は水に沈むでしょう! 多くの民が水に呑まれて死ぬことになります。どうか、一日でも早く……!」


「黙れ!!」


 シャールは思わず立ち上がり、叫んでいた。

 飾り面の裏で、自分のまなじりがキリキリと吊り上がっていくのがわかる。


「首を……!」


 刎ねよ、と言いかけた時、隣のジャーフィルの手が肩に置かれ、なんとか思いとどまった。


「あれは予言者です」


 ジャーフィルがささやく。シャールは、ため息をついた。予言者を名乗る者は時々現れる。だが、いずれも思わせぶりな事を言って祈祷料を巻き上げようとする偽物か、妄想を信じ込んでいる狂人だ。


「身なりは良いので、どこかの庇護を受けているようですな」


 シャールを見つめる男の表情は静かなままで、偽物にありがちな仰々ぎょうぎょうしさはない。シャールは玉座に座り直し、抑えた声音で言った。


「……今がどういう時期か分かっているのか?」


 広間の人々も兵士も息を呑み、静まり返って成り行きを見守っている。


「小麦の穂が出始めた頃です。ダムの水を放流すれば畑は水没し、今年の収穫は無くなるでしょう」


「それを分かっていて言うか?」


「生きてさえいれば、出稼ぎで凌ぐこともできます。水が引けば、小麦は無理でも別の作物を育てることはできましょう」


「今は乾季の最中さなかだぞ?」


「私には未来が視えるのです」


 シャールは予言の類は信じていない。しかし、世間では尊崇を集めている予言者がいることは知っている。うかつに処刑することはためらわれたが、予言の内容がどうしても許せなかった。小麦を全滅させるなど、国を滅ぼすに等しい。


「大臣、虚言妄言の罰は何じゃ?」


「……鼻削ぎか耳削ぎでございます」


 ジャーフィルが答えた。止めるつもりはないようだ。しかめつらしい表情は変わらないが、この男も怒ってるのかもしれない。


(見目好い男なのに……)


「雨が降り始めたら、わたしの言葉を思い出してください!」


 二人の衛兵に肩をつかまれ、男が言った。


「もうよい! 戯言たわごと過ぎて誰も信じまい。鼻削ぎの刑に処す。その後、アズラ砂漠に捨てよ。運が良ければ隊商にでも拾われるだろう」


 男は逆らうことなく衛兵に引き立てられていく。慈悲を請うことも、それ以上自説を言いつのることもしない。必死の気配も、もはや消えている。


 まるで、信じてもらえないことさえ、初めからわかっていたかのようだ。その態度がシャールを更に不愉快にした。


(これでは、まるで本物の予言者のようではないか)


 だが何日か王の務めをこなしているうちに、男のことは忘れてしまった。



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