放課後の処刑室 ~虐げられた秀才は、覚醒した【生体操作】のスキルで復讐のカルテを書く~
@__nonnonbiyori__
第1話 僕の世界は、理不尽な暴力で構築されている
人間というのは、実に脆(もろ)い構造体だ。
カルシウムの結晶体である骨格を支柱にし、タンパク質の繊維である筋肉を張り巡らせ、微弱な電気信号で駆動しているに過ぎない。水が約六〇パーセント、残りはタンパク質と脂質。たったそれだけの、有機化合物の集合体。
だから僕は、昔から理解できない。 なぜ、そんな袋詰めされた肉塊ごときが、他者の尊厳を踏みにじり、神のような顔をして笑っていられるのか。
「おい、相馬(そうま)。聞いてんのかよ」
ドスッ、と腹部に衝撃が走る。 鈍い痛みと共に、胃の中身が逆流しそうになる。僕は呼吸を整えながら、冷静にダメージを分析した。肋骨への被害はなし。肝臓への衝撃も軽微。 だが、目の前の男――剛田(ごうだ)の拳には、加減という知性が欠落していた。
「……聞いてるよ。剛田くん」
僕は床に膝をついたまま、教科書通りの回答をした。 感情を殺すのは得意だ。それが、この理不尽な吹き溜まりのような高校で、僕のような人間が生き残るための唯一の処世術だったから。
放課後の旧校舎。埃っぽい空き教室には、僕を含めて三人の人間がいる。 一人は、今僕を殴った猿――アメフト部の剛田。 そしてもう一人は、教卓に腰掛け、面白そうにスマートフォンをいじっている男。
「相馬、お前さぁ。もっと協力する姿勢を見せろよ」
蛇島(へびしま)。 一見すると線の細い優男だが、その本性は剛田よりも遥かに凶悪だ。この学校の食物連鎖(ヒエラルキー)の頂点に立ち、教師ですら彼の親の権力には逆らえない。
「来週の期末テストだ。俺と剛田の分の『答案』、作ってくれるよな?」
蛇島は画面から目を離さずに言った。カンニングペーパーの作成依頼ではない。テスト中に回答を回せという、バレれば即退学レベルの要求だ。
「……断る」
「あ?」
「今回のテストは、僕にとっても重要なんだ。指定校推薦がかかってる。君たちの遊びに付き合って、リスクを負うわけにはいかない」
僕は努めて論理的に説明した。 母子家庭の僕にとって、国立大学医学部への推薦枠は、この底辺から這い上がるための唯一の蜘蛛の糸だ。朝から晩までパートで働いている母を楽にするためにも、失敗は許されない。
しかし、蛇島はふっと鼻で笑った。
「理屈っぽいなぁ、ガリ勉くんは。だから嫌われるんだよ」 「おい相馬、調子に乗ってんじゃねえぞ」
剛田が僕の胸ぐらを掴み上げ、ロッカーに押し付ける。 背中に走る痛み。だが、それ以上に不快なのは、至近距離で嗅がされる彼らの呼気だ。他者を虐げることに興奮し、脳内麻薬を垂れ流している獣の臭い。
「お前は賢いんだろ? だったら『断った時のリスク』も計算しとけよ」
蛇島が教卓から降り、僕の鞄を拾い上げた。 中から出てきたのは、僕が三年間、睡眠時間を削って書き溜めた研究ノートと、高価な医学書の数々。
「あ、それ……やめろ」
初めて、僕の声が震えた。 蛇島はポケットからオイルライターを取り出すと、カチカチと音を鳴らしながら、僕のノートの端に火をつけた。
「うわっ、よく燃えるなこれ」
「やめろ!」
剛田の腕を振りほどこうとするが、筋肉量の差は歴然だ。僕はただ、自分の未来が灰になっていくのを見つめることしかできない。 炎は瞬く間に紙面を舐め、数式や書き込みを黒い煤(すす)へと変えていく。
「それから、これもな」
蛇島は燃えるノートの上に、さらに何かを放り投げた。 それは、駅前の書店のロゴが入った袋だった。中には、エロ本や化粧品が入っている。
「お前の鞄に入ってたぞ。万引きなんて感心しないなぁ、優等生が」
「……なんだよ、それ。僕のものじゃない」
「さっき先生に通報しておいた。『相馬が盗品を隠し持っている』ってな。証拠品もこうしてある。お前の推薦、これでパーだな」
思考が停止した。 濡れ衣だ、と叫ぶことは簡単だ。だが、蛇島の親はPTA会長で、学校への寄付金も多額だ。対して僕は、貧乏な母子家庭。 教師がどちらの言い分を信じるか――あるいは、どちらを信じるのが「学校にとって得か」。
その確率は、計算するまでもない。
「あーあ、顔面蒼白じゃん。医学部行って医者になるんだっけ? 無理になっちゃったねぇ」
蛇島の嘲笑と、剛田の哄笑が背中に突き刺さる。 僕は何も言い返せず、ただ灰になったノートの残骸を呆然と見つめていた。
◇
どうやって家に帰ったのか、記憶が定かではない。 築三十年の古びたアパート。重い鉄の扉を開けると、狭い玄関には母の靴が揃えられていた。
「おかえり、湊。遅かったのね」
台所から、母の声が聞こえる。パートの掛け持ちで疲れているはずなのに、僕の前ではいつも明るく振る舞う母の声だ。 夕食の匂いがする。安売りされていたであろう食材で作られた、ささやかな料理の匂い。
「……うん。ちょっと、学校で勉強してたから」
嘘をついた。 推薦が決まれば、母さんを楽にさせてあげられる。ずっとそう約束してきた。 ノートが燃やされたことも、万引きの濡れ衣を着せられたことも、推薦が絶望的になったことも、何一つ言えるわけがなかった。
「ご飯、すぐできるからね」 「ごめん、お腹空いてないんだ。先に寝るよ」
母の顔を見ることができず、僕は逃げるように自室へ入った。 電気もつけず、ベッドに倒れ込む。
暗闇の中で、瞼(まぶた)の裏に浮かぶのは、蛇島の嘲笑う顔と、黒い灰になったノート。
論理的に考えれば、明日、僕は職員室に呼び出されるだろう。蛇島の用意周到さを考えれば、防犯カメラの映像すら何らかの手が加えられているかもしれない。 退学はないにしても、推薦は取り消される。一般入試を受ける金銭的な余裕も、精神的な余裕も、もう残されていない。
(終わった……)
努力は報われる。正しさは勝つ。
そんなものは、強者が弱者を飼い慣らすための幻想に過ぎなかったのだ。 僕は膝を抱え、声を押し殺して泣いた。
暴力と理不尽の前では、僕のちっぽけな頭脳など、燃えカスほどの価値もなかったのだと、思い知らされた夜だった。
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