雪恋

櫻葉きぃ

恩師との再会

 窓の外は、雪が舞っていた。


 そういえば、初雪になるかもと朝の天気予報で言っていたような気もする。


 そんなことも思い出せないほど、仕事に勤しんでいたのか。


 こんなやるせない思いは、酒を飲んで消化するしかない。


 馴染みのバーに行くと、客は数えるほどしかいなかった。


 カウンターのバーテンダーと、何だかしみじみした話をしている女性に目がいく。


 女性にしてはアルトの音域の声が耳に入って、目線がついそちらに向いた。


 間違えるはずはなかった。


 学生時代から、叶うはずないと淡い恋心を押し込んでいた、彼女がカウンターにいたのだ。


 ……三上 夏南みかみ かな


 俺の学生時代の、世界史の教師だ。


 担任になったことはなかったが、移動教室の途中や昼休みなど、俺を気にかけていろいろ話しかけてくれたのだった。


 今日は行きの電車が遅れて朝礼に間に合わなくて怒られたなど、他愛のない話だった。


 俺にはそれが嬉しかった。


 それからだ。


 ほんの少し、三上先生を意識し始めたのは。



 椅子に掛けてあるグレーのチェスターコート。


 身体のラインを拾っている黒いニットに、水色のスカート。


 良からぬ輩に目を付けられかねないから、その服は何とかならなかったのか。


 彼女の儚げな雰囲気によく似合うから見ている分には眼福だが。


「雪、かぁ」


「初雪は、嬉しいような寂しいような、なんとも言えない気持ちになりますね」


「昔の恋を思い出すわ。


 高校生の頃に、当日体育教師だった男性が好きで。


 その先生が異動する。


 そう聞いたのが、ちょうど初雪の日だったんですよ。


『今とは言わない。


 私が無事に教師になれたら、付き合ってほしい』


 そう伝えたら、婚約者がいると言う答えが返ってきたんです。


 今では、いい思い出です。


 その人みたいに、よく生徒のことを気にかけている教師になれているかな、と時々自省できるから」


 ……昔、先生自身も。


 今の俺と同じ、だったのか。


 顔なんて知る由もない、三上先生の心を射抜いたその男に、果たし状を叩きつけてやりたかった。


 昔だったら、1発くらいその男を殴っていただろう。


 流石に今はしないが。



「素敵ですね。


 さぞかし、素敵な教師だったんでしょうね。


 でも、貴女も。


 充分に生徒のことは気にかけていらっしゃるのでは?


 テストの採点の点数の横の余白に、何かしらメッセージを書くそうじゃないですか。


 今だって、生徒の日誌に丁寧にコメントを書いていらっしゃる。


 生徒さん1人1人としっかり向き合う姿は、誰かが見ているはずですよ。


 僕も、いろいろな職業の方の話を聞けて嬉しいですから。


 お話を聞くと非常に堅実でいらっしゃる。


 そんな貴女にピッタリな一杯、ウイスキーサワーです。


 一気にはお召し上がりにならないように。


 それなりに強いお酒ですから」


 それなりに強い酒出して、大丈夫か?


 そっと後をつけていこうかとも思ったが、それこそストーカーだ。


 それにしても。


 進路に迷っていた高2の夏のこと。



 それを見透かしたように、世界史の答案用紙の余白にメッセージが書いてあった。


 彼女らしい、トメハネハライがしっかりした、整った文字だったことを今でも覚えている。


『桜木くん、最近放課後になっても顔を見ないね!


 また他愛のない話でもしましょう!


 いつでも待ってるわ』


 そんな文字が綴られていたのを見たときは、小躍りしたくなるほどだった。



 バーテンダーさんが、そんな俺の物思いに気付いているのかいないのか、モッキンバードを出してきた。


「淡い思い出に囚われたままでは、進めませんよ。


 あの方と似た者同士とご推察します。


 似た者同士、上手くいくことを願って、この一杯を貴方に」


 気付いたら、カウンターにいた女性はすでに帰ったようだった。


 俺も後を追うように会計を済ませる。


 店の扉に手を掛けたとき、バーテンダーさんに呼び止められた。


 すると、バーテンダーさんの大きな手に似つかわしくない、可愛らしい傘が目に入った。


「どうやら、先程のお客様のお忘れ物のようです。


 お知り合いのようなので、届けてあげるとよいのではないでしょうか。


 初雪が降って、凍えそうな寒さですし。


 それでは、お気をつけて」


 ドット柄の可愛らしい傘を片手に持ちながら、目を皿のようにして彼女を探した。


 なんで俺が、初雪の夜に人捜しをしなくちゃならないのだ。


 生憎、今日は華金ではない。


 週の真ん中、水曜日なのだ。



 まぁ、それでも。


 何か三上先生との接点が作れるなら、いいか。


 ネタなら沢山ある。



 同じ日に挙式をした正瞭賢高等学園せいりょうけんこうとうがくえんの公認カップル2組。


 めでたくご懐妊したようなので、子供が誕生して落ち着いたら正瞭賢の職員室に来てくれるんじゃないか、とか。


 三上先生は出席できなかったようだった。


 俺のスマホの中の動画や写真で良ければいくらでも見せる。


 あわよくば、この再会をキッカケに、恋仲になれればどんなに良いだろう。



「手を出したら警察呼びますよ」


 凛とした声の主は、2人の男に何やら絡まれている。


 ……こういう時、同級生だった女を思い出す。


 帳 琥珀とばり こはくなら野郎2人なんて即、ねじ伏せているだろうが。


 そんな帳は、今は吹奏楽部の全国大会常連の私立高校で勤務している。


 そこで音楽教師をしているらしいが、今でも金的くらいは普通にやれるだろう。


 ……想像するとおぞましいが。



 あいにく、こちらにはそんな手技はない。


 俺は平和主義者だ。


「嫌がってるじゃん。


 そういう趣味な男は、一生モテないと思うけど。


 それに、この子はもう、この後俺と飲む約束だから。


 分かったら、その手、離してくれる?


 それとも、もっと痛い目に遭いたいのかな」


「何だテメェ!」


 こういう野郎が、俺は一番苦手だ。


 同じ性別だと思うと吐き気がする。


 昔、まだ高校生だったときに、同級生の優弥ゆうや道明みちあきに教わった合気道の技。


 習ったのは1回きりだったので、技名は忘れた。


 たやすく男1人をうっすら雪の積もった地面に倒す。


「まだやる気?


 お兄さんも、無意味に痛い思いしたくないでしょ。


 俺も、こういうのは苦手だから、あまりやりたくないんだよねぇ。


 逃げたほうが身のためだと思うよ」


「チッ、覚えとけよ!」


 それだけを言うと、一目散に逃げて行った。


 こういう輩には普段は知らぬ存ぜぬを決め込むが、今回は不可抗力だ。


「ったく、この寒いのにそんな格好してるからですよ。


 襲ってくれ、って言ってるようなものじゃないですか。


 帰りますよ、三上先生」


「桜木くん!?


 あの、えっと、どうして……」


「帳や優弥じゃなくて悪かったな。


 あ、優弥は、次の春から正瞭賢に来るってさ。


 帳の方は、吹奏楽部の指導が思いの外楽しすぎる、ってさ。


 そもそも、近い将来籍入れたら同じ学校にはいられなくなるしな、離れてるほうがお互いのためだとは思うけど。


 仲良くしてやってな、優弥をよろしく、三上先生」


 雪の降る中、傘もささずに帰ろうとして。


 万が一にも、風邪で休んだら生徒たちが心配するんじゃないですか。


 送って行きますよ。


 危なっかしくてしょうがない」


 言ったそばから、雪道に足を取られて転びそうになった彼女の華奢な手を引く。


「三上先生は、俺の手だけ握ってて下さい。


 地下鉄の入口まで来れば、この手は離しますから。


 鞄も、貸してください。


 好きな女性に怪我させる男なんていませんし」


 半ば強引に、彼女の肩に下げられているネイビーの鞄を奪い取る。


 ずっしり来るなかなかの重さだった。


 鞄の中身はダンベルか何かなのか?



 地下鉄の階段に差し掛かる前に手は離したものの、彼女の華奢な手の温もりは未だに残っている。


 自分の家に帰る電車は逆方向だが、彼女を無事に家に送り届けることが使命だ。


 やがて電車は、1つの急行停車駅に停まる。


 そこで座席から立って、出入り口へと歩く彼女の背に、遅れることなくついていく。


「ちゃんと送りますよ。

 三上先生には、言いたいこともありますし」


 言えることは、それだけだった。


 もっと、昔いた自分の母校の話などもしたかったのに。


 俺は、今隣を歩く女性からはどう見られているんだろう。


 恋仲には見えているか。


 それとも、ただの友達同士?


 上司と部下?


 こういう時に、どんな言葉を発したら良いのか。


 俺の頭の中の辞書をどれだけ捲っても、最適解は出てこない。


 ずっとそんなことを考えていたから、とっさの呼びかけにも反応出来なかった。


 それに気付けないなんて。


 こんなんで、彼女に想いを伝えるなど、負け時合じゃないか。


「聞いてる?


 桜木くん」


「あ、えっと、何ですか?


 三上先生」


「さっきから言ってるのに。


 もう、教師と生徒じゃない、社会人同士なのよ?


 私たち、先生呼びはなしにして、って」


 それは、期待して、いいのだろうか。


 俺が今、彼女に『好きです』と言ったら、どんな反応をするだろう。


「ここでいいわ。


 わざわざありがとうね、桜木くん」


 彼女は、決して新しいとは言えないアパートのエントランスで立ち止まった。


 彼女は2階に一度引っ込むと、ペットボトルのコーヒーを渡してきた。


 ペットボトルのコーヒーには、付箋が貼り付けられていた。


 なんの脈絡もないアルファベットと数字の文字列は、チャットアプリのIDだろうか。


『何か悩んでる?


 時間のある時にご飯でもどうかしら。


 その時にゆっくり、話を聞かせてね』


「いつでも連絡してください。


 呑みは危なっかしいから、ちゃんとした店でディナーでも奢りますから。


 一応、俺も社会人なんでね。


 いつまでも寒空の下にいると風邪引きますよ。

 暖かくして寝て下さいよ」


 俺がそう声を掛けると、彼女は快晴の空みたいな笑顔を見せてくれた。


 ……その可愛い笑顔、反則だろ。



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